雲のうかぶわけ

雨。

昨夜遅くに『ヨブ記』を読み終えた。
神に至極忠実な一人の男ヨブは、「敵」によって唆(そそのか)された神に試される。
ヨブは自らの神への敬虔ゆえに地上で築いた相当な富と幸福を、これもまた神によって一瞬にして奪われる。
家畜は死に、兄弟、その子らは死に、ヨブの身体は皮膚病に犯され、周囲で彼を慕う人々はみな彼の前からいなくなった。
ヨブは嘆く。
いまや自分の生まれた日を呪い、あなた(神)が与えた苦痛に耐えかねている、せめてあなたの御手でわたしを殺してくれ、と。
そして彼を見舞いに訪ねた三人の友人との討論のなかで、ヨブの心の狼狽は次第に神への敵意(挑戦)となって膨らんでいく。
彼ら三人の友人はついにヨブを説教し得るだけの言葉を持たなかった。
ヨブは、自分は義(ただ)しい人であったと主張を強める。
そこにエリフと名乗る智慧ある男が現れ、三人の友人を退け、ヨブを厳しく叱責する。
つまり、ヨブが義しくあったところで、神の高さと何の関係があるのか、と。
神の偉大さと、彼がなす不思議を思い出せば、ヨブの神に対する言葉は甚だ悪の台詞である、と。
エリフが神からの智慧をヨブのために示したあと、ヤハウェ(神)はヨブに暴風(あらし)の中から話しかける。
神は自らの偉大さを直接ヨブに語り、ヨブはついに自分が神の前に不義であったことを悟り、三人の友人のために祈る。
それを見届けると、神は以前の2倍の富と幸福をヨブに与え、彼はその齢を全うし穏やかな死を遂げる。

ここに西洋精神における、神と個人[地上と天上]の直線的繋がりが鮮やかに描かれている。
一切はヤハウェの偉大な力の支配の下にあり、人は彼の深淵を知り得ない。
あらゆるものは神がもたらし、人もまたその業(わざ)の一つであるのに、どうして人が神より義しく、また神の智慧を語ることができるか。
神は言う。

君は雲のうかぶわけを知りうるや、
智慧の全き者の不思議な業を。
(IOB 37:16)