事例「パーフェクト音読リレー」から見る「主体性」の評価

はじめに

この記事で紹介する活動は「ちょっと危険じゃない?」と思われてもおかしくないものだと思います。細かな配慮は色々したつもりですが,それを全て書くことは難しいですし,実際「危険」だったかもしれません。読んでいただければわかりますが,結構綱渡りです。
生徒とのそれなりの期間の関わり合いや信頼関係があるからこその活動だと思います。実践を真似していただけるとしたら大変嬉しいですが,時期・タイミング・関係性・クラスの雰囲気など色々なことに気をつけてもらえたらと思います。自戒も込めて。

英文資料として使うリーディングの授業としての弱点

以前の記事で紹介した教科書の英文を資料として使うリーディング。3ページに渡る中学2年生の多くには重い量の英文を,大学入学共通テストの問題に似せることによって,思いの外生徒達は楽しそうに取り組み,気付いたら3ページの長文の主な内容をクリアしていたという話でした。

ただ,この活動には一つ問題がありました。音読をしたいのに3ページを通して音読するとまずそれだけで疲弊し,とても「繰り返し」なんて出来っこないということ。でもやはり音読は自分の学生時代の英語学習の根幹にあったものなので,個人的には外すことのできない活動。

要約文の音読

そこで,教科書の本文の次のページにある「要約文」を使うことにしました。教科書では要約文の空欄に単語を入れて完成させる課題として置かれています。スキミングとスキャニングの往復や文法・意味関係を捉えさせる目的と,その単元に特徴的な幾つかの語彙(traffic jams)とかを意識させる目的があると思われる部分です。
とりあえず穴があれば埋めたくはなるので,ヒントも出しつつ穴埋めの時間。全ての空欄の答えとその根拠を本文に帰りながら説明したら,教科書の空欄とは関係なくいくつかの単語・フレーズが強調されたオリジナル版をスライドに出します。

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基本的には汎用性の高いフレーズを強調しているだけです。こうして見返すと,to use bicyclesのtoはto不定詞の復習として強調しておくべきだったなぁと思います。この英文を「40秒以内に」とか「黄色い部分は強く」(実際にやると不自然)とか「rをアメリカ英語っぽく」「rをイギリス英語っぽく」とかあの手この手で飽きさせないように繰り返し読んでいきます。
ある程度の回数(確か10回ぐらい)読んだところで,この2枚のスライドを出します。

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上は普通の穴埋め音読用。黄色く強調してあった単語達を空欄にしただけです。下は「穴なし穴埋め音読」(正頭, 2015)用。「空欄がなくても足りない語を補充できるのが最終目標だよ〜」と言いました。実際には授業時間数的にやる時間なかったのですが,このあと紹介する活動をやったあと「もう括弧なくてもできるわ!」とか「てか,全部覚えた!」みたいな生徒もいました。

穴埋め音読リレー

空欄付きのスライドを前に出しながらみんなで音読をしていきます。最初はとにかく空欄を埋めることを目標に,それでも段々飽きてくる頃にまた「スピードアップ」とか「美声で」とか遊び要素を入れて生徒達の気持ちを繋ぎます。

空欄ありの状態で5回ぐらい読んだところで,ここまでのスライド3枚と同じものをPDFで生徒に配布します。実際には一回の授業で空欄ありを5回読むところで終わったので,次の授業の冒頭に配布しました。そして黒板に「パーフェクト音読リレー」と書き,「10分間練習時間をあげるから,括弧ありの空欄補充をランダムで選ばれた5人連続で成功できたら,今日の授業終わりにしよう。でも誰かが失敗したらまた最初からね」と宣言します。

習熟度(上からABCと呼びます)Aはほとんど問題なくリレーが続き授業20分前に余裕で終了してしまったので,ちょっと簡単すぎたなぁと思います。
Bでは,まず一人すら成功できない時間が続き,その後何人かクリアしては途絶えるというのを繰り返しながら,授業終了1分前に全員クリア!ものすごい達成感でした。
特筆すべきはCクラス。まず10分間の練習の段階で他のクラスとの圧倒的な差を改めて認識します。毎回授業前から分かってはいるもののいざ目の前で見るとその「差」に正直ビビってしまう部分も。そこでとりあえず「3人連続にしよう」「自信がある人が,本当に全く分からない人の肩代わりをできるようにしよう」という2つの提案をしました。「自信がある人」には3人が挙手。「肩代わりしてもらい人」には最初はボケでほぼ全員が挙手した後,なんだかんだプライドが許さないのか「いや,俺はいい」みたいな感じでどんどん手が降りて,最後には「すみません,本当に無理です。2人成功した後に来たら死にます」みたいな生徒3人が肩代わり希望。彼らには「3日後の授業で5人連続クリアを目指す。その時は全員参加にするから今日はみんなの音読を聴きながら頑張って覚えよう」と伝えました。

結果的にはその日は3人連続クリアはできませんでした。「3日後に5人連続を目指すから練習してこよう」とだけ言って,迎えた3日後。

奇跡

「肩代わりはなしだけど,自信がある人は抽選で当たる確率を倍にしてもいいよ」と言うと5人の手が挙がりました。その中にいる生徒A君の存在にビックリです。
Aは単語も全然覚えられないし,テストの点数も下から5番目ぐらい。この空欄補充も3日前には全く覚えられていませんでした。そのAが今日は自信満々です。「おぉ!Aまじ!?」「はい,多分いけます!」寮で音読を繰り返して覚えてきたとのことでした。Aはただの勉強が苦手な子というよりは,単語テストも定期テストも全然英語の勉強に手をつけようとしてこなかった「英語嫌い」の代表格。大好きな歴史はCクラスの中では圧倒的にできます。そんなAが自分で英語を勉強してきて,しかも2枠に増やしてきた!もう既に感動です!そしてなんだかんだで4人連続クリアして(この4人連続クリアがそもそも熱い)5人目の抽選,選ばれたのは,A君!!ハキハキした発音で自信たっぷりに読み切って見事クリア!本当に泣きそうなぐらい嬉しかったです!周りも「Aいけたー!」「すごい!頑張った!」「寮でめっちゃ読んでたもんな!」とかめちゃめちゃ嬉しそう。リレーをクリアしただけでなく,Aが最後を締めくくったことでその喜びが一層増したのでしょう。英語が嫌いでしんどそうにしていたAをみんな知っていて,そんなAが努力している過程を見てくれていた友達もいて,そしてみんなが驚きをもって讃えてくれた。Aが今後英語に対して少しでも前向きになれるとしたら,この日がターニングポイントかもしれません。

もう一人,B君の話もさせてください。B君は典型的な「中2」という感じの生徒。勉強も部活も全然頑張れない,地頭の良さもなければ,普段の態度が悪く周りからも少しキツく当たられている。中2の中でももう少し大人になってほしい生徒の筆頭と言えるかもしれません。自学自習なんて全然期待できないので,「家で練習してきて,授業で勝負」みたいなタイプの活動になるとだいぶ苦しいです。
Cクラスにはそういう子が一定数いるから一人に大きな責任がかかるこの活動は正直向いていないとも思います。ただ,数人のそういう子のために他の頑張れる子の可能性を削ぎたくもない,ということでやっている部分も。なのでBに当たった瞬間は「あ,やばい」と思いながら,「いやいや,Bだって勉強してきたもんな〜?」と冗談っぽく言って,ダメだった時に責める空気にならないように調整しました。
いざ読み始めると,たどたどしさはありながらも,しっかり空欄を補いながら読んでいます!正直一個も覚えてないだろうぐらいに思っていたので本当にびっくりしました。いつもBをバカにし,キツくあたりがちな生徒たちも「おぉ!」「え,まじ!?」「行け行け!」と注目する!最後まで見事読み切った瞬間には今までで最大の拍手大喝采!「すげー!」「やればできる!」「やばい!B行けたのに俺ミスったらどうしよ!」みたいなリアクションが教室中で巻き起こります。僕も「いや,正直無理だと思ってた。勉強してきたんやな,偉いわ。ごめん,まじですごかった」みたいにちょっと興奮気味。クラスメイトにあんなに応援されてあんなに賞賛されたのはB史上初なんじゃないかとまで思いました。

なぜ「奇跡」は起きたのか。あれは「奇跡」なのか。

たかが5~6行の英文の音読,本当に小さなことかもしれませんが,少なくともAやBには大きな変化がありました。正直想定を超えられすぎて何がそんな変化を生み出してくれたのかよく分かっていません。男子の勝負事への執着なのかもしれないし,恥をかきたくないという気持ちなのかもしれないし,純粋に「俺もできるようになりたい」「これなら俺でもできるかも」という気持ちなのかもしれません。

ただ,今回は正直これを「奇跡」だと呼びたくなる自分がいることを認めざるを得ませんが,今後彼らが何か努力して成し遂げた時それはもう奇跡には見えません。A君とB君の二人は文字通り「やればできる」ことを証明しました。大人から「お前はやればできる」と言われるのはプレッシャーでしかないでしょう。しかし子どもが自らを「やればできる」と信じて,実際にやったらできた時,それは何物にも代え難い貴重な経験になると思います。

と,それっぽく書いていますが,そもそも彼らは二人は目標に向かって努力する力はきちんとあって,今まで自分の英語の授業でそれが引き出せていなかっただけではないかとこれを書いている今は思う次第です。実際,中学受験もしているわけですし,小学校の頃から(大人から与えられていたとしても)目標と努力はちゃんとあったのでしょう。

主体性の評価は授業への評価

これを読んでくださっているあなたの学校で「主体性を評価に入れよう」という方針になっているとして,今回のA君とB君は「主体的だった」と高評価を受けることが予想されますか?

もし答えが「YES」であるとしたら,逆にこの授業以前のA君はどうでしょうか。「NO」ではないですか?

僕も少なくともこの授業で見れたA君とB君に関しては「主体的」であり,しかしこれまでの授業ではそうでなく,今後の授業もまた以前までの状態に戻ればやはり主体的ではないとせざるを得ないと,素朴に思います。

でもそれは「穴埋め音読リレーの授業はAやBの主体性を引き出せた。それ以外の授業はそうではなかった」という授業(者)自体への評価に他ならないのではないでしょうか。今回の授業において「何が彼らを主体的にさせたのか」という視点で見ることが出来るのなら,当然それ以外の授業で「何が足りなくて(あるいは過剰で)彼らを主体的にさせられなかったのか」も考えるべきです。そういう風に考えた時,どう転んでも「授業における生徒の主体性を教師が評価する」というのはおかしな構図にしか見えないのではないでしょうか。

はじめに(再掲)

この記事で紹介する活動は「ちょっと危険じゃない?」と思われてもおかしくないものだと思います。細かな配慮は色々したつもりですが,それを全て書くことは難しいですし,実際「危険」だったかもしれません。読んでいただければわかりますが,結構綱渡りです。
生徒とのそれなりの期間の関わり合いや信頼関係があるからこその活動だと思います。実践を真似していただけるとしたら大変嬉しいですが,時期・タイミング・関係性など色々なことに気をつけてもらえたらと思います。自戒も込めて。

参考文献

正頭英和 (2015). 『クラスが集中する 5つの分類×8の原則で英語力がぐーんと伸びる! 音読指導アイデアBOOK 』東京: 明治図書

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