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Anytime, something uncertain is interesting.

自分が中学生の時の英語の授業で納得させてもらえなかったことの中でも3本の指に入るであろうこと。
次の二つのセリフを同じ先生が何のためらいもなく言うのです。

・「someは肯定文。anyは疑問文と否定文です」

「"Would you like some tea?"これ大事だからこのまま覚えてね」

あれ?疑問文なのにsomeだ。もちろん,かわむら少年は質問しますが,「それはちょっと難しいんだよねー。このまま覚えちゃった方がいいよ」と返されただけでした。

でも本当に,中学2年生,それも英語の定期試験は毎回ほぼ満点の生徒に理解できないほど難しい話だったのでしょうか?
そんなはずないと思い,自分の見ている中2の授業で話してみました。

someとanyのイメージ

次の図は僕が授業で書いたものとほぼ同じものです。

これを「数量」で捉えれば,一番下を0として上に行けば行くほど数量が多いというイメージです。

someはその中でめっちゃ少ないでもめっちゃ多いでもない,ある程度の数量を表すことができます。対してanyは0から100(というか無限?)まで全ての数量をカバーします。someは「限定的」anyは「非限定的」と言うこともできます。

例えば,「なぜ基本的には(所有・存在を尋ねる)疑問文ではanyを使うのか」を考えます。所有しているか・存在しているかを尋ねるということは,その数が多いのか少ないのか,はたまた0なのか,質問する側には分かっていないわけです。

なので,ある程度の限定的な数量を表すsomeを使って訊くのは不自然で,0から無限までカバーできるanyを使いましょうという話です。

また否定文については「限定的」「非限定的」という言葉をもう少し改変した方が分かりやすいです。someは「個別具体的」anyは「一般的」としてみます。

例えば,"I like some books."は「好きじゃない本もあるけど,好きな本もいくつかあるよ」という個別具体的な好きな本が浮かんでる感じ。"I like any books."は「どんな本でも好きだよ」と,本一般を好きという感じ。そして否定文は,"I don't like any books."と言い,「私はどんな本も好きじゃない」つまり本一般が気に入らないということです。ちなみに"I don't like some books."と,否定文でもsomeを使うことができ,「好きじゃない本もある」という感じですね。

※上記の内容は『即戦力がつく英文法』(日向, 2014, pp. 226-229)を参考にしています。

お茶を飲んでほしい時は…

(現在僕の勤めている学校はCOVID-19の感染防止対策でオンラインでのライブ授業を行っています。授業中生徒の音声は基本的にミュートされており,生徒は話したいことがある時は自分でミュートを外すか,チャット機能を使って文字で送ってきます。)

上で見たsome/anyの説明を全てそのまま中学2年生に話すのは確かに難しいかもしれませんね。でも,「なぜ疑問文なのにsomeなのか?」というかわむら少年の問いぐらいなら説明できそうだと僕は思いました。

まず,スタートは「someとanyの違いって覚えてる?知ってる?」から。1年生の時にやったのか,塾でやったのか,何か読んだのか,何人かは「疑問,否定」「いくつかと何でも」「anyは何でもいい」とかZoomのチャット機能で送ってくれました。(Zoomのチャットはミーティングを閉じた後に自動的にPC上に保存されるので,後で生徒の「発話」を見返すのに便利です。)

そこでひとまず,その日はThere構文の否定・疑問がメインだったので,前回の授業で見た肯定文も合わせて,「肯定文はsome,疑問・否定はany」という「基本」をみんなで確認します。

そして,上の図を描き,疑問・否定は基本的にanyを使う理由まで明示的に説明。そこから「じゃあ,どういう時に"Would you like some tea?"って言うと思う?」と投げかけると,someの特徴をanyと比較してよく理解した直後ということもあってか,「紅茶をちょっとは飲む時」「飲んでほしい時」というチャットが数件。

チャットをくれた子の一人のミュートを外して「もうちょっと具体的に説明できる?」と問うと,「先生が家庭訪問とか来た時に,『お茶どうぞ』って言うみたいに飲んでもらいたい時は0じゃないからsome」といった完璧とも言っていい説明が。僕の勤務校は5教科の習熟度別で3クラスに分かれていますが,3クラスとも似たようなクオリティーの説明が生徒から出てきました(もちろんそこにたどり着くまでの過程には差が見えましたが)。

上手に説明できる子がいたのは正直ラッキーでしたが,Zoom越しに生徒の様子を見る限り,多くの生徒が納得しているようでした。

someの方が丁寧?

でも,本当に面白かったのはここからです。

ある一つのクラスだけでしたが,一人の生徒が「someの方が丁寧なんだ」とチャットを送ってきました。「なんでそう思った?」と訊いてミュートを外すと,「『飲んでほしい』って気持ちをsomeで表してるから」とのこと。チャット欄では「なるほど」「確かに」と数件。

かわむら「でも,先生がお茶飲みたくない気分だったら,someだと断りづらくない?」

「あ〜」「確かに」(チャット欄)

♪〜♪〜♪〜チャイムの音♪〜♪〜♪〜

分からなくて面白い授業

大学3年だったか4年だったか,ゼミでこんな話をしました。
(何の文献だったか思い出せない。思い出せたら更新します。)

次の表のA,B,C,Dの授業,好きな順に並べてみよう。

当時の自分の正確な答えは忘れましたが,今なら,

C → A → D → B

の順に並べます。

「面白い」が最優先ですが,その中でも「分かって面白い」は結構当たり前のような気がして(それも難しいんですが),それよりも「分かんないけど面白い」の方が価値がある気がするのです。
ほとんどの授業では「分かる」ことをしっかり大事にしつつ,たまーにそういう授業が出来れば嬉しいってぐらいですが。

今回のsome/anyは「分かって面白い」のつもりで話していたのですが,最後に「丁寧さ」の話をしてくれた生徒がいたおかげで,「どっちの方が丁寧なんだろうね?」って感じで終わり,少なくとも何人かの生徒にとっては「分からないけど面白い」になったんじゃなかろうか,と期待しています。

「分からなくて面白い」授業ができると,授業の後も頭の何処かに引っかかってて,ついそれについて考えてしまうという子も出てくるかもしれませんし,何より「勉強」とか「学問」って「分かる」瞬間の喜びも当然ありますが,基本的には「分からない」の方が多くて,それがあるから楽しくなってくるんだと思います。

自分で学べる子は,分からない状態をポジティブに捉え,分かろうと勉強する子ではないでしょうか。

(ちなみにB→DではなくD→Bなのは,分かること聞かされた上に面白くないってシンプルに授業としてほぼ価値がないと思うからです。)

参考文献

日向清人 (2014). 『即戦力がつく英文法』DHC.

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