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杉田由仁(2021)英語授業における「言語の使用場面」と「言語の働き」活用ガイド

こちらの本を読んだ。

学習指導要領に掲載される「言語の使用場面」と関わる諸概念を提案するとともに,学習指導要領に不足している具体的な言語使用例指導方法を提案する本。
学習指導要領を見てもどう指導したらいいのか分からないという趣旨の批判が述べられる序盤は,「学習指導要領に指導方法なんて書かれたら嫌だけどね」と思いながら斜めに読み飛ばしたのだが,本書で紹介されている指導例(後述)が仮に指導要領に掲載されようものなら真面目に授業を考える英語教育者からの批判というか批難が大量に寄せられそうだ。

「言語の使用場面」の整理・再検討

学習指導要領

中学校学習指導要領解説(H29年度)では言語の使用場面について「(ア)生徒の身近な暮らしに関わる場面」「(イ)特有の表現がよく使われる場面」に分けて例を提示している。

  • 「(ア)生徒の身近な暮らしに関わる場面」

    • 家庭での生活

    • 学校での学習や活動

    • 地域の行事
      など

  • 「(イ)特有の表現がよく使われる場面」

    • 自己紹介

    • 買物

    • 食事

    • 道案内

    • 旅行

    • 電話での対応

    • 手紙や電子メールのやり取り
      など

意識的に見てみると確かにあまり意味のある分類には見えない。(イ)の方は本屋でよく見かける「英語フレーズこれだけで大丈夫」系にまとめられていそうだ。
家庭での生活の中に「食事」が含まれていたり,学校での学習や活動の中にも「挨拶」も「手紙や電子メールのやりとり」もありそうだったり,MECEな分類になっていない。(ア)と(イ)は「言語の使用場面」と言ってもそのレイヤーが違うようだ。(杉田(2021)はこのことには特に言及していない)

指導要領での上記のような諸場面の提示だけでは授業改善には無意味だろうということで,杉田は言語の使用場面を重視した英語教授法を概観する。

場面中心教授法 (Situational Method)

この教授法は,文法訳読法による外国語教育に反対する立場から生まれたダイレクト系メソッドのうち,自然主義的接近法(Natural Approaches)を唱導したグアンの直接教授法を発展させたもので,教材の選択・編成・提示が「場面」に基づいて行われます。

杉田, 2021, p. 5

この教授法はその名の通り,言語使用場面を中心に据えて指導するものであり,文法シラバスで構成される日本の学校英語教育に取り入れるのは難しい。

また杉田は以下のような批判も述べている。

それぞれの場面で特有の表現を選定して教材化しますが,実際のコミュニケーション場面では想定した通りには展開しないことが多く,せっかく学んだ表現が使えないケースもあります。

杉田, 2021, p. 5

概念・機能アプローチ (Notional-Functional Approach)

1971年にヨーロッパ協議会(the Council of Europe)の専門家会議が設立され,ヨーロッパで成人が国境を越えて交流できるようにする最低限度の英語力についての究明が行われました。その英語力を明確化する際に,伝統的な言語教育における文法項目の習得状況によるのではなく「人々が言語を用いて何を行おうとしているのか(機能),またどのような意味を伝えようとしているのか(概念)」に基づいて分類するのが適切ではないか,という提案が行われました。そしてそれは,一般の人々の言語使用の目的と内容を予測して言語教育を概念・機能的に構成するという指導法の誕生につながりました。

杉田, 2021, p. 6

このアプローチの目指す英語力の指針を示すThreshold Level 1990では,例えば「空間」という概念を細分化し,「場所」「位置関係」「距離」「動作」「方角」などの下位概念が豊富な語彙・表現とともに紹介されている。
これは中学校英語の定番場面「道案内」の活動を組む際にも参考になりそうだ。

機能と場面を考慮した指導案

言語の機能と言語使用場面の関係について,杉田はこう説明する。

同じ「機能」を持つ表現はさまざまありますので,どの具現形を選んで発話するかはその「場面」により決まります。

杉田, 2021, p.54

“May I have some water?”も “Would you get me some water?”も「依頼する」という同じ「機能」を持つが,どちらを選ぶかは場面によって変わるという話だ。これは分かる。
しかし,このあと提示される授業例はこの考え方を活かしきれていないように思われる。

杉田は中学・高校で取り扱われる多くの文法項目の指導について,「文法項目」「場面」「働き・機能」の3つで整理している。また,「文法項目」は「具現形」として実際に教えられる表現の形で提示され,「場面」には「人物」「場所・時間」「話題」が含まれる。

例えば,This is …という「具現形」を教える際,その「場面」を「人物: 友達」「場所・時間: 初対面」「話題: 紹介」「働き・機能: 説明する」と設定すると, “This is Mike Davis. He is from America.”のような例が導かれる。
というか,実際は逆かもしれない。教科書の「キーセンテンス」のようなところに例文として,“This is Mike Davis.” とか“He is from America.”とかの文があるときに,その「場面」を「人物: 友達」「場所・時間: 初対面」「話題: 紹介」「働き・機能: 説明する」という風に整理してあげるという感じか。「場所・時間」が「初対面」というのも微妙な整理な気がするが。

ここまではまぁいいのだが,次の例で私は「話題」という概念が少なくとも特定の文法項目の指導において必要なのか見えなくなってしまった。
例文は以下のようなやり取りになっている。
A: Is this your smartphone?
B: Yes, it is. I like this model.
まぁ,Bの答えに対しては「そんなこと聞いてねぇよ」と言いたくもなるがそれは良いとして,この例文がどう整理されているかというと,まず「具現形」は“Is this your …?”,「働き・機能」は「 質問する」,「場面」のうち「人物」は「友だち」,「場所・時間」は「友だちの家」と来て,「話題」は「スマホ」だ。
本当にそれでいいの?と私はここでパニックになってしまった。
このやり取りの「話題」をスマホとするなら,一個前の項目は「話題: Mike Davis」でないと辻褄が合わない。そもそもさっきはスルーしたけれど「話題: 紹介」って,それ「話題」じゃなくて「機能」じゃない?という気もしてくる。

私は言語活動において「話題」が重要ではないということを言いたいわけではない。しかし,特定の文法項目やその代表的なキーセンテンスの提示に留まる限りは「話題」という概念は特に役立たないのではないか。
Bくんの“I like this model.”という発話をきっかけにもっと二人が(あるいはCくんやDくんも一緒に)会話を続けていくのであれば,「スマホ」という話題の持つ指導上の意味は十分にある。やはり生徒にとって身近な話題というのはある程度の発話量や内容を支えてくれる。
少し前にALTが授業のオープニングのスモールトークの話題として,「人からもらった特別なプレゼント」という話題を提示したのだが,人から特別なプレゼントを貰ったことがある(という意識がある)中学生は少ないのでは?と思い生徒たちの会話の様子を観てみると,やはり普段よりちょっと盛り上がりに欠けていた。
そういうやり取りのレベルまできて,初めて「話題」という要素は指導に活きてくるのだ。逆に言うと,上の例では指導の内実に無関係すぎて「スマホ」とか「紹介」とか無茶苦茶な分類でそのまま出版されてしまっているのではないだろうか。「人物: 顧客」「場面・時間: auショップ」「話題: スマホの紹介」「機能: 購入を勧める」なんてことにもなり兼ねない。

4Pアプローチに基づく指導案

4Pアプローチとは,筆者の前著,杉田(2016)『「英語で英語を教える」授業ハンドブック』で紹介されている指導法だ。

  1. 場面の中で提示する (Presentation in situations)

  2. 気づきを促す (Promotion of noticing)

  3. 意味を推測させる (Prediction of meaning)

  4. 言語活動に参加させる (Participation in practice)

本書87ページの「コラム」とその後に紹介されている多くの指導案を見る限りでは,PPP型の授業に「場面」や「概念(意味)」「機能」を取り入れた形と言ってよさそうである。1~3がPresentation,4にPracticeとProductionが含まれている。

本書で紹介されている多数の授業案にいちいちツッコミを入れることはしないが,やはり「話題」がうまく活かされていない感じが否めない。

中学校の“I have to…”という表現の指導について,「働き・機能」は「説明する」で,「人物」は「友達」,「場所・時間」は「教室・授業」,「話題」は「将来の夢」である。「将来の夢を語る場所と時間といえば,学校の授業だよね」という冷めた現実認識も寂しいところだが,“I have to…”という具現形と「将来の夢」という話題が今ひとつピンと来ない。
「目標文」は以下の通りだ。
I have to study both Japanese and English because I want to be a translator.
うーん…。私の勉強してきた限りでは,この場面はどちらかというと“must”を使うんじゃないの?と思ってしまう。(間違っていたら指摘してほしい)
have to はルールや慣習なんかに逆らえず,「(あまり気乗りしなくとも)やらなければならない」というどちらかと言うとネガティヴな表現だ。

mustが,主として,話し手が自らの権限をもって文の主語に課す義務・必要などを表すのに対し,have toは,話者以外の要因,つまり周囲の状況など,中立的・客観的な要因,すなわち,人間の思惑とは無関係な外的事情によって生じる義務・必要(external necessity)を表す用法として広く用いられる。

中野, 2014, p. 191

通訳になりたいという「将来の夢」があるのに,そのための日本語と英語の勉強をexternal necessityとして表現することには違和感がある。

本書第5章のタイトルは「言語の使用場面・働きを重視した授業の実際」とある。
must = have toみたいな文脈(「使用場面」と「機能」と呼んでもいい)から切り離された雑な指導を乗り越えてこそ「言語の使用場面・働きを重視した授業」に意味があるのに,その「実際」はこんなものだという自己批判なのだろうか…。

また,上で引用した「場面中心教授法」への批判も4Pアプローチでどう乗り越えられるのか示されていない。

それぞれの場面で特有の表現を選定して教材化しますが,実際のコミュニケーション場面では想定した通りには展開しないことが多く,せっかく学んだ表現が使えないケースもあります。

杉田, 2021, p. 5

そもそも,教室でのコミュニケーション活動が「想定した通りには展開しないことが多く,せっかく学んだ表現が使えない」なんていう状況は,コミュニケーションの教育としてはあるべき姿の一つとも言えると思うのだが。

まとめ

筆者の提案する指導案の数々は正直そのままではあまり使い物にならないものも少なくないが,それは読み手であり授業者であるこちらが改善を受け持つものとして置いておく。

この本の提案の価値は,(上に述べたように筆者自身が失敗している可能性もあるのだが)文脈から全く切り離されたキーセンテンスを手と口で覚えるだけの文法指導からの脱却を促すことにある。
かなり粒度の粗い場面設定が本書で紹介されていることで,学校の教員も場面設定に無駄に凝りすぎず気楽にやれるという面もあるかもしれない。

一方,典型的なPPPに対する「4Pアプローチ」など,それ自体にはそれなりに良さを見出せるが,「そもそもみんなそういうこと(知らなくて)やってないの?」という疑問はある。
確かに私が中学生だった頃にはそういう導入のされ方はしなかったが,今の中学校の先生方の授業はどうなのだろう。
自分自身がそうだからというだけだが,(実際に毎度そうしているわけではなくても)文脈の中で文法事項を導入するというオプションも持っているのではないだろうかと推測してしまう。
こればかりは他の学校の先生方の授業を広く観に行く機会もなく,正直分からない。

今でも多くの文法指導に(本書で紹介されているレベルの)「言語使用場面」「言語の機能」が立ち入っていないのであれば,本書の価値は私が思っているほど小さくないのかもしれない。

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