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Yamaji (2019). Language Teacher Cognition Research on Factors Affecting Expert English Teachers’ Textbook Consumption

研究の概要

中学校で教える日本人英語教師が教科書を自律的に使用するようになるにはどのような経験があるのかを探った研究。

Trajectory Equifinality Model (TEM)を使用した研究。

Research Question

経験豊富な日本人英語教員の教科書使用に影響を与える要因は何か。

研究の背景と概念の整理

言語教師認知には教師の学習経験,専門職業人としての経験,社会的文脈が影響する(Borg, 2016)。
しかし,日本の英語教員の教科書の使用に対する認知については上記3つの要因の影響が明らかにされていない。
教科書は教師と学習者をサポートする重要な役割を持っている一方,教師にとっては制約になることもあると考えられる。

Trajectory Equifinality Model (TEM)は,ある(共通の)経験をした人を対象にインタビュー等の調査をし,その経験(「等至点」と呼ぶ)に至るまでの経験を概念化するものである。

詳しくは以下の文献が参考になるはずだが,我が家では積ん読タワーのどこかにいる。

研究方法と研究のフィールド

研究の参与者は同じ県で働く,指導的立場(文科省が各自治体に設置するよう求めている指導的ポスト)にある教員4名。皆,公立で5校以上,22~30年の経験のある教師で,同じ出版社から出ている教科書を使用している。年齢は40~50代,すべて女性の教員である。
それぞれの教員に対して50分の授業観察と2度のインタビューをした。インタビュー1回目は教科書使用の方法に関わることを60~90分程度聞く。その結果を質的分析にかけ,2回目でよりインタビュー内容の正確な再現に向けてその中身を協議する。

TEMは似た空間的時間的環境(文化)で活動する複数の人を対象とすることで,共通して通る経験と個別の(特殊な)経験とを分別することができる。その意味で今回の研究協力者4名の選定は妥当と言える。

結果と考察

TEMの分析から4名の教師が概ね共通して以下の3つのステージを通ることが分かった。

第1ステージ「習ったように教科書を使う」

4人の教員は全員,学習者としては文法訳読法を経験しており,4人中2人は教職に就いて初期の頃は自分が習ったように文法訳読法で教えていた。
ただし,他の2人は過去の経験からCLTの授業を志していて,習ったようには使っていなかった。

第2ステージ「新たな方法論に合うように教科書を使う」

4人中3人の教員がCLT型の授業をし,自分自身の授業スタイルの確立を目指した。また,大学院や海外での研修でTBLTやPhonicsなどの新たに出会った指導法に惹かれ,それに合わせてそれまでの教科書の使い方を一変させる教員もいた。

一方で,PPP型の授業を続けていた教員は教科書の「自律的な」使用からは離れていたが他のある教員の授業を見て自身の授業を見直し,そこから教科書をどう使うかを考えるようになった。

第3ステージ「自分なりの折衷的な使い方をする」

様々な教師が様々な方法論を学び,自分なりの授業スタイルを確立するのと並行して,教科書の利用方法もそれぞれの授業スタイルに合わせて柔軟に変化させていく。
ただしここでは第2ステージから更に教科書を効果的に使う方向に真っ直ぐ行く教師と,教科書の扱いに悩む教師で道が分かれる。

コメント

TEMを使った質的研究の論文をもう少し読んでいきたい。自分の研究の関心とかなり親和性が高いとは言え,まだその手法に確信が持てていない。

例えば,Social Guidance(SG)とSocial Direction(SD)だ。
SGはEFPに向かうことを後押しする大小様々な環境要因,逆にSDはそれを阻害する要因。
例えば本研究では「考えさせられる経験」や「学校の異動」がSG,「過去の学習経験」「オススメされた指導法の踏襲」がSDとされているのだが,このモデルではSDとその他の要因がどう関わっているのか,ピンと来ない。
SDがなければもっとスムーズ(?)にEFPに辿り着くのか?SDは無ければ無い方がいいのか?SDがあったからこそ色々もがいた末にEFPに辿り着くということも言えそうだが,それぞれのSDが最終的にEFP到達にどう関わったのかが明確でないのだ。

また,そもそも論として「EFPを経験した人」を研究対象とすること自体に難しさを感じる。本研究で言えば「教科書を自律的に使用する」というEFPに到達しているという「自己認識」に基づいて4名の教師にインタビューをしている。だが,彼らが「教科書を自律的に使用」しているという確固たる根拠はどこに見られるのだろうか。強いて言えば,「教科書を自律的に使用していると自認している」をEFPにすべきところなのかもしれない。
複数回の授業観察や事前インタビューを通して教科書の自律的使用が確認できたのであればこのモヤモヤ感も多少軽くなるだろう。

TEMを用いた研究(TEA; Trajectory Equifinality Approach)は,まず「何をEFPとして設定するべきか」そして「それに到達している人をどう判断するか」を決定するための研究が事前にあると良いのかもしれない。

また本研究そのものに対しては,授業観察(50分×1回)の必要性があまり見えない。4名のうち2名は「文法の導入だから」という理由で,観察された授業では教科書を使用しなかったそうだ。この研究のための授業観察としてそれはどうなのか。まぁ,「教科書を必ずしも使用しない」という「自律性」の現われとも取れなくはないが。
その後の質的分析のところでも授業観察で見えたことが効果的に言及される部分は見受けられない。

TEAの具体的な研究事例を読めたことは,その改善点が多く見られたことも含めてとても有意義だった。

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