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意識を高める圧倒的成長チャレンジ(ITAS Challenge) 誰しもがベストを尽くそうとしているのだということに気づく2020.04.19.

昨日から始めた『意識を高める圧倒的成長チャレンジ』、名称が長いのでこれからは、
I (意識を) T (高める) A (圧倒的) S (成長) Challenge
略してITAS (イタス)チャレンジと呼称する事にする。
たぶんあと少しで飽きると思うけど。

『誰しもがベストを尽くそうとしているのだということに気づく』とは

今回のテーマは上記の通り「誰しもがベストを尽くそうとしているのだということに気づく」だ。これ自体も表記が長いので以後は『誰しも〜』と表記する。
さて、『誰しも〜』とはどういう事だろうか?
あまりにも長すぎる表記なので、分解して考えてみる事にする。
そもそもこの表記には主語がない。想定するにこの表記の主語は「私は」や「自分は」のような一人称であると推測される。
そう、私は何かに気づくわけだ。
では何に気づくのか?
ご明察の通り「誰しもがベストを尽くそうとしている事」に気づくのだ。
ただ、この「誰しもがベストを尽くそうとしている事」という語句も日常あまり見かけない文法が用いられているように思うので、「みんなががんばろうとしている事」という言葉に書き換えて表現してみる。すると、
(私が)みんなががんばろうとしている事に気づく
という表記になる事がわかる。

『(私は)みんなががんばろうとしている事に気づく』 から学ぶ事

さて、「みんなががんばろうとしている事に気づく事」から一体何が学べるのだろうか?
ははぁみんながんばろうとしているなぁ、いっちょオイラもがんばっちゃうぞ!
とどれだけの人が思うのだろうか?そもそも「みんなががんばろうとしている事に気づく事」はそんなに大事なのだろうか?
今回の図自体が本来は感染症をこれ以上拡めない為の行動変容を啓発する目的である事を鑑みるに、概ね一定の理解はできるような感じはするのだが、私個人の意見としては無用な同調圧力を助長する可能性を大いに感じていて、あまり自分から進んでこういう行動を他者に取りたくはないと思ってしまった。

「みんな」で他人を一括りにしてしまう恐ろしさ

次に「みんな」という言葉を考えてみたい。
この言葉はおそらく2つの使われ方をする言葉で、
一つは「自分を含めた全体」を表し、
もう一つは「自分以外のその他大勢」を表す使い方だ。
今回の「みんな」はどっちの使い方をしているのか?それは個人個人の受け取り方で大きく変わると思っている。
また、「みんな」という言葉は定義が曖昧で、何人以上からが「みんな」になるのだろうか?そしてその「みんな」の認識は全人類共通の認識なのだろうか?という疑問が湧いてくるのである。
人はよく「みんな言っている」のような言葉で自分の意見を補強しがちだが、その「みんな」とは果たして本当に「みんな」なのであろうか?

結局『誰しもがベストを尽くそうとしているのだということに気づく』とは何なのか?

最後に『誰しも〜』とは何なのか?という事を考えて終える事にしよう。
閉塞的な状況が続いてしまうと人は色々な事をネガティブに考えがちで、ネガティブな心理状況のときはマイナスな事が増長されがちだ。
事態を過度に重く受け止めて、見えない敵を過大評価し思考を停止してしまう事は時間の浪費に他ならないのだ。
そんな時にこの『誰しも〜』のような「みんながんばろうとしてる」的な認識を持つ事はマイナスに傾いた思考をフラットにさせる効果があるように思う。

この文章を書きながら、
「たぶん面白くないだろうな〜」と思いながら書いていて、読み返してみたがやはり全く思考をしていない。
早くも飽きてきてしまっている。
できる限りベストを尽くしたいものだ。
明日、やれんのかな?w

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大阪で音楽関係の仕事をしています。 アニメや漫画、TVゲームからボードゲームまで広く遊びが好きです。