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意識を高める圧倒的成長チャレンジ すぐ怒ってみる 2020.04.18.

こんばんは。インターネットで MU2020 を聴きながらご機嫌にこれを書いています。街は自粛ムードにすっかり慣れてしまったような感じですが、自分の手の届く範囲は少しでも面白おかしくあるといいですね。ますますエキサイトしていきましょう。

「COVID-19の今、どんな自分でありたい?」という図の話

昨晩ZOOM飲みしてて教えてもらった藤倉さんが翻訳された「COVID-19の今、どんな自分でありたい?」という図を見て、ひねくれてる僕はなんだかさも左側の恐れのゾーンにいる人たちが愚かであるように見せようとしてそうな印象を受けてしまった。
別に何かを恐れる事は生物の生存本能として当たり前の感覚であって、むしろそれをよくわかんない意識とか空気みたいなものでコントロールした気になってしまう方が本当は恐ろしいように感じているし、そもそも大衆は愚かなのが基本であってそれをルールで上手くコントロールする事が法の仕事だと思っているので、
「別に愚かでいいじゃん!良かれと思ってみんなやってんじゃん?」
みたいな感覚になっている自分がいる事は否定できない。

意識を高める圧倒的成長チャレンジの話

前段はこんな感じにしておいて、その話の流れで、「じゃあ相互理解をしてみよう」と思い、それぞれのゾーンに書かれている属性を段階ごとに日を分けて「どういう状況でそうなり得るのか?」を考えてみようと思い、これを『意識を高める圧倒的成長チャレンジ』と名付けた。
自分の公も私もないクソみたいなSNSにその様子を垂れ流していくので気になる人はぜひ観察してみてほしい。(例の如く3日で飽きる可能性がとても高い)
事項は今日の試みに関して書いていこう。

「すぐ怒る」の分析

図を見た中で、一番バカっぽそうな事から取り組んでみる事にした。それが「すぐ怒る」だ。
朝起きて、朝ごはんを食べながら「まずは怒ってみよう」と思い、怒ろうとしたのだが不思議な事に怒れない。
喜怒哀楽が頻度の順であれば割と簡単に怒れそうなのだが思った以上に自分の中から怒りが湧いてこないのだ。
怒る事ができないまま時間は過ぎお昼になっていしまい、「いよいよひと怒りしとかないとヤバイぞ。」と思い始めたので、今度は逆に自分はいったいどういう時に怒るのか?を考えてみたのだが、そこにある種の答えというか気付きのようなものがあった。

怒りとは対象が必要な感情

そうなのだ。怒りは対象があって初めて成立する感情なのだ。
人は無に対して怒る事はできない。
「さぁ怒ってください!」と言われて困ってしまったのはこれが理由だったのだ。
この見解が出てきた時に階段を登っていたのだが、嬉しくて心なしかステップが弾んでいたようにも思う。

すぐ怒る人って何者?

という事から、「すぐ怒る人」の傾向が少しづつわかってきた。
「すぐ怒る人」は当事者意識が高く、ストレス耐性が低めで、情緒の成熟度が浅い、みたいなステータスを持っていそうだ。
ただ世の中の全てのステータスはグラデーションみたいな物なので、当事者意識の高さは責任感の強さ、ストレス耐性の低さは繊細さ、情緒の成熟度の低さは子どもっぽさとも言い換えれると思うので、別にすぐ怒るから人間として何かが劣っているとは判断しにくいのかもしれない。なんとなく社会生活が大変そうだけど。

最後に

つらつらと書いてみたが、これが今日の意識を高める圧倒的成長チャレンジだ。あくまでも今日一日、正直に言うと思い出した時にぼんやり考えた中の見解なので大いに間違っている可能性もあるが、「すぐ怒る人」を自分なりに分析したみた結果だ。
明日は「誰しもがベストを尽くそうとしているのだということに気づく」でもやってみようかな。
Why don't you do your best!!

たぶん今回から表紙はこんな感じの画像の転載にしていくと思う。
クレジット表記とかどうしたらいいんだろう?
わかんないので以下に表記させて頂く。
[引用元]
Who do I want to be during COVID-19?
https://twitter.com/i/status/1246230865266364416

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大阪で音楽関係の仕事をしています。 アニメや漫画、TVゲームからボードゲームまで広く遊びが好きです。