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200625_どうせなら沈没より浮上が見たい

最近、読みたい本は割と躊躇なく買ってしまうのだが、それはあくまでも電子書籍の話であって、紙の本で5000円を越えてくるような大物は主に置き場所に困るという点で躊躇してしまう。 今の家はそこまで狭くは無いのだが無尽蔵に紙の本を置けるほど広くはないので、出版社さんの状況がそれぞれ違う事は百も承知なのだが、もし可能であれば必ず電子書籍版も出してほしい。

止まっていたTV番組の収録も続々と再開しているらしい。 僕が好きな一般人を取り扱うような番組でもコロナ流行後に撮影されたであろう映像が出始めた。 もう少しでアド街が再開するのか?とワクワクしつつ、しばらくは必ず配慮されるであろう映る人のマスク着用にしっくり来る事ができるかどうか悩ましいところである。

社会的ステータスと人間的な成熟度は悲しい事にどうやら比例しないらしい。 重篤な事故が発生しても相変わらずあまり減る傾向になさそうな煽り運転の事案を見ているとそう考えてしまう。 社会的なステータスを得る人にも意識せずその位置に到達した人と自ら掴みにいった人がいるという意味で、「人のコンプレックスは必ず目に見えている」という言葉を思い出してしまう。 社会的ステータスを望む事は決して悪い事ではなく、むしろ社会性動物としては当たり前の欲求なのだと思うのだが、人間的な成熟を待たずぬ願望を叶ってしまった場合に、煽り運転のような周囲に迷惑を掛ける事が起こってしまうのかもしれない。

選択肢が多いと行動がブレてしまう事の身近な例にランチのメニューがあると思うのだが、今日のブレは一際大きかった。 はじめは断固ダルバートというネパール式のカレー定食を食べようと決めていたのだが、ふと明日カレーを食べにいく事を思い出し、急遽海鮮丼に変更したのだった。 はじめは自分のブレに驚いてたのだが、ひと口海鮮丼を食べてみると途端にこれですよ...みたいな感情になってしまう自分がいて、こと食に関しては御し易いのだなと思ってしまった。 明日のカレーが楽しみだ。

物事の解決方法に、ある条件を達成せざるおえない状況を作る事がある。 例えば「運動不足の解決の為、自宅の鍵と歩数計を連動させて20000歩以上歩かないと解錠できない仕組みを作る」みたいな事なのだが、こういう強制的な目標設定は時に多大なストレスを与えてしまうのであまり社会には実装されないのだろうと思う。 ただ、先ほど挙げた例のような解決方法はおそらく結構な確率で運動不足の解決に繋がるとは思うので、要はどこに制限を設けるのか?という事なのかもしれない。

【今日のカバー写真】
いよいよはじまったっぽい梅雨。 暑くジメジメした不快感の大きい毎日を過ごさなければならないのかと思うと色々と億劫になってくるので、エアコンの効いた会社で仕事でもしたくなる。

以下は有料ですが、インターネットを見ていて気になった記事のリンクを載せています。技術に関するものから音楽などの趣味的なものまで。
もしも万が一ご興味があれば是非。

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大阪で音楽関係の仕事をしています。 アニメや漫画、TVゲームからボードゲームまで広く遊びが好きです。