ヴィトルド・ルトスワフスキ (1999年執筆)

本文章は1999年に執筆したものである。24年前のものであり、正式な論文としてのフォーマットに則っておらず、あくまで私的なエッセイとしてお読みいただきたい。

ヴィトルド・ルトスワフスキ

Witold Lutoslawski (1913-1994, Poland)

序文

ヴィトルド・ルトスワフスキは、フレデリック・ショパンという圧倒的な大作曲家の存在を敢えて除けば、 現代音楽という時代に限らず文句なくポーランド音楽を代表する存在である。 今回はこのポーランドの生んだショパン以来の大作曲家、ルトスワフスキについて述べてみたい。 (なお、冒頭のルトスワフスキのアルファベット・スペルは、本当は slaw の l に斜め線が入る。従って「ルトスラフスキ」と は読まない。ポーランドなど東欧系言語のフォントと日本語のフォントを同時入力できないので、本来のスペルとは異なるが 省略した。)ルトスワフスキとの出会いは単純なきっかけだった。中古CD屋の店先に1350円で売っていた「管弦 楽のための協奏曲」及び「交響曲第3番」のCD(ダニエル・バレンボイム指揮、シカゴ響)を安いという 理由で買った、それだけの話である。その時はルトスワフスキの名前だけは微かに記憶していたが、どんな 作曲家なのか全く把握していなかった。で、この作曲家と「お見合い」してみようと思って、その安いCD を買い求めたのである。 最もそれ以前に町田図書館で借りたエサ=ペッカ・サロネン指揮、ロス・フィルのメシアン作「トゥランガ リーラ交響曲」が、そのCDの発売当時はまだ80分収録の技術が無く2枚組だったため、余白としてやは りルトスワフスキの「交響曲第3番」および「眠りの空間」が収録されていた。しかしその時は借りた目的 がトゥランガリーラだったため、ルトスワフスキはろくろく聴かずに返してしまった。

さて、何気なく安さに釣られて買ったルトスワフスキのCDだが、当初は「管弦楽のための協奏曲」というバルトークの有名曲と同名の曲の迫力に圧倒されながらも、ルトスワフスキの真価はよく 判っていなかった。というのはオケコンは1950年代の曲で、当時彼は社会主義リアリズムの弾圧によっ て西欧的な前衛音楽の語法を禁じられていた。 だからオケコンはその辺の事情を知らずに聴くとそれほど前衛的でもなく、曲としては素晴らしいが作曲技 術の勉強にはそれほど役に立たないという程度に正直思っていたのである。

ところが後日、併録の「交響曲第3番」を聴いた途端、この作曲家の真価に目覚めてしまった。 終始一貫した基軸音E、「チェーン形式」による楽曲の展開および限られた最小単位の素材の展開の見事さ、 そして何と言ってもクライマックスへと突き進む圧倒的な精神的構築...そしてコーダにおける完結のオチの わかりやすさ!(ベートーヴェンの交響曲第5番における終始一貫したリズムと理屈は全く同じである) 後から勉強して判った事だが、交響曲第3番はオケコンから時代的に2世代ほど離れた作品である。その間 にルトスワフスキという作曲家の作風は(その個性を保持しながらも)2度の大きな変化を遂げた。そして 現代音楽界全体でも、前衛の時代の到来及びその崩壊、新ロマン主義の開花という2つの大きな時代変化を 遂げていたのである。 ともかくその「交響曲第3番」で完全にルトスワフスキに一目惚れした僕は、その後しばらくして「パル ティータ」「チェーン2」「同3」「ノヴェレッテ」の4曲を収録した作曲者自身の指揮、BBC響(前半2曲のヴァイオリン独奏はアンネ=ゾフィー・ムター)のCDを買い込み、これで決定的に彼の音楽の虜になっ てしまう。というのは、この4曲はいずれも1980年代以降に書かれた彼の晩年の成熟期に書かれた、完 成された彼の書法による音楽だったからだ。これが幸いした。協奏的作品、純管弦楽作品のどちらにも徹底 して使われている「チェーン形式」の魔力に魅せられた僕は、その後ドビュッシーや武満徹と同様、この作 曲家のありとあらゆるCDを買って作品を聴き、徹底して文献をあさるというツボにはまり込んでしまっ たのであった。

セロツキやベイルドなど前衛時代に活躍した人たちはともかく、ペンデレツキと、最近人気のグレツキは ポーランドの現代音楽の代表格だが、ルトスワフスキは残念ながら 94 年に亡くなってしまった。 話をルトスワフスキに戻すと、やはり彼の音楽は精神的な構築が見事に再現されている。指揮者のエサ=ペ ッカ・サロネンも言っていることだが、こうしたクライマックスを見事に築ける作曲家は今世紀後半の現代 音楽界において極めて希だろう。と言って彼の作風が古典的なわけではなく、管理された偶然性に基づいた 「チェーン形式」による確固とした語法を用いつつ、圧倒的な構成感を表現できるという点では、本当に素 晴らしい。 ではこれから、ルトスワフスキというひとりの作曲家についての解説を始めよう。

ポーランド音楽史の概要 ショパンからシマノフスキまで~19世紀ロマン主義

ポーランド音楽史については、近年発行された「ポーランド音楽の歴史」(シレジンスキ、エルハルト両者 編、音楽之友社)に非常に詳しく解説されているので、これを参照しながらショパンからルトスワフスキま でのポーランド音楽史の流れをざっとまとめてみる。 敢えてショパンからとしたのはポーランドの作曲家の代表人物といえば誰もがショパンを思い浮かべるから であり(僕自身ルトスワフスキよりも先にまずショパンを挙げるだろう)、いきなり近代から話すよりもショ パンから順に歴史を追っていった方がポーランド音楽史の概観がつかみやすいからである。ショパン以前の 歴史は、ここでは本筋とそれるので触れない。

ご存知の通り、ポーランドという国は悲劇的な歴史を背負う国である。15世紀には強大な王国を築いた が、17世紀頃から弱体化しはじめ、過去何度にも渡ってポーランド民族の居住する領土はドイツ、オース トリア、ロシアなど隣接する強国の他国の支配にさらされ、分割支配の屈辱に遭ってきた。 独立を求めて立ち上がった民衆の革命がロシア軍の鎮圧によって失敗に終った怒りを鍵盤にぶつけたショパ ンの「革命のエチュード」にまつわる逸話は、ショパンの音楽を勉強した人なら誰しも知る事柄だろう。 一応説明しておくと、フレデリック・ショパンは1810年生まれ、1849年没である。今年がちょう ど没後150周年に当たる。彼の創作活動はそのほとんどがピアノ曲に限られ、ピアノ音楽の頂点に立つ作 曲家であり、「ピアノの詩人」と呼ばれる。 ショパンは1830年までをポーランド国内で過ごし、ワルシャワ革命の直前にポーランド祖国を離れた 後ウィーンを経てパリに永住したが、むしろ異国の地に留まった後の方がより彼の作品にポーランドの民族 性が色濃く現れるようになっていった。もちろんジョルジュ・サンドとの恋愛など彼を取り巻く心理的影響もその音楽性の変化の要因としては多分にあるだろう。

しかしポーランド国内では彼の音楽の表面はともかくその真価を見抜けるものは同時代にはいなく、後に他 国(主にロシア)の民族主義の影響を受けてようやくポーランド国内及び国外の音楽家達はショパンの音楽 に流れるポーランド民族の地を正当的に理解するようになっていった。民族主義者としてのショパンの才能 は歴史的に早熟すぎた。その間に西洋音楽界全体の流れとしては、ロマン派の成熟と晩期を迎えている。 そしてその後現れたのがカロル・シマノフスキ(1882~1937)である。彼の音楽は初期はリヒャルト・シュ トラウスに、そしてその後ドビュッシーやスクリャービンなどに影響を受けている。つまりロマン派を脱却 した近代音楽の領域に足を踏み入れた時代に現れた、脱ロマン派を標榜するショパン以来のポーランド音楽 界の新星だったわけだ。

第一次世界大戦終戦から第二次世界大戦によるナチス・ドイツの侵略までの僅かな間、ポーランドはやっ と独立国としての地位を確立した。その時の政府の大統領が、ピアニスト・作曲家出身の(と言っても彼は 生涯ピアニスト・作曲家であるが)ヤン・パデレフスキ(1860~1941)である。そしてこの頃、ルトスワフ スキが生まれる。(1913 年)

今世紀のポーランド音楽

ルトスワフスキの生きた時代つまり現代もまた、ポーランドは他国の支配を絶えず受けてきた。第二次世 界大戦によるナチス・ドイツの侵略と、それにより比較的ユダヤ人に対して寛容だったポーランド在住の数 百万のユダヤ人の虐殺(ホロコースト)、そして戦後は名目上独立国としての地位を得ながらも実際は衛星国 として旧ソヴィエト連邦の政治的支配を受け続けた。 しかしそんな中でポーランドは、ソヴィエトとは異なる独自の社会主義体制を創造するというスローガン を立てる。その影響はポーランド音楽界にも訪れ、ソヴィエトのような「社会主義リアリズムの通念に基づ く音楽以外の(彼らの言う)頽廃的な音楽、つまり西欧の前衛音楽を禁止・弾圧する」体制から開放される。 これによってポーランドは、東欧にしては珍しく西欧的な前衛音楽を追い求める事が出来た。 年に一度ショパン・コンクールと同じワルシャワの国立フィルハーモニーで行われる「ワルシャワの秋」 という現代音楽祭は、東欧と西欧の現代音楽が唯一交流できる「出島」となった。この「ワルシャワの秋」 を通じて、ポーランドの音楽家達は西欧の前衛的な手法を吸収していく。 が、全く自由というわけではなく、やはり資本主義国とはそうそう自由に出入りが出来ない分情報の制限 はあっただろうし、資本主義の権化であるアメリカの作曲家の楽譜を入手する事は禁じられていたらしい。 (これはグレツキの談話だが、どうもこの辺は怪しい。というのは、グレツキは自己の反復的手法の独自性 を強調するため、アメリカ実験音楽系のミニマルミュージックと自分の音楽との関係を否定しようとしての 発言とも取れるからだ。しかし社会主義国の政治的束縛の厳しさは我々資本主義国の人間からは想像を絶す るだろうから、僕はこのグレツキの言葉も信用する事にしよう。) そうした中でもポーランド出身の前衛系現代作曲家の名は「ワルシャワの秋」を通じて徐々に西欧にも知 られるようになる。古く(前衛時代)はカジミエシュ・セロツキとタデウシュ・ベイルド、グラジナ・バツェヴ ィチ、そしてもちろんルトスワフスキ、そして最も先鋭的とみなされたのはクシシュトフ・ペンデレツキであ る。 ペンデレツキは「広島の犠牲者に捧げる哀歌」でクラスター(密集音隗)という技法(音響)を初めて使 用した事によって一気にその名が知られるようになったが、「ルカ受難曲」「ポーランド・レクイエム」など それらの技法と伝統的な音響との併用・折衷を経て、「交響曲第2番」など以降は(新ロマン主義ではなく19世紀の)ロマン派以前の懐古主義的な音楽を書くように方向転換したらしい。

後に1992年にイギリスで「交響曲第3番『悲歌のシンフォニー』」(1975)が爆発的にヒット した事で一気に有名になったヘンリク・ミコワイ・グレツキの名も改めて挙げておこう。 この曲、イギリスではUKポップチャートにもランクインしたそうだが、実際ただ綺麗で心休まる曲という だけではなく、ナチスによるユダヤ人虐殺という今世紀の最も悲惨なテーマを歌った深刻な曲である事は肝 に銘じて鑑賞されたい。

交響曲第3番の17年ぶりの成功(ドーン・アップショウ(Sop) ジンマン指揮フィルハーモニア管、Nonsuch) 以来幾多の彼のCDが発売されたが、旋法性による調性を基盤とした心休まる音楽を彼の特徴と勘違いして いる人が多すぎる。しかし「クラリネット三重奏曲『ひばりの音楽』」や「弦楽四重奏曲『既に日は暮れて』」 などを聴けば彼の音楽の本当の特徴をつかむ事が出来るだろう。 グレツキの音楽の特徴は徹底的な反復的手法である。(ミニマル・ミュージックが東欧に輸入されるとこうい う結果になるという実例、と言ったら安直過ぎる見解か?) ポーランドがやっと自由を取り戻したのは、1980年代末の社会主義国の相次ぐ崩壊(もちろんポーラ ンドの政権も含む)と、1991年末のソヴィエト連邦の崩壊によってである。ルトスワフスキは人生の晩 年に於いてやっと祖国の自由という栄光を勝ち取ったのだ。 その後ポーランドでは、それらに続く世代の作品がなかなか日本に伝わってこない。「ワルシャワの秋」現 代音楽祭などではおそらく新世代の作曲家が紹介されているのだろうが、なかなか簡単に手元に音源を入手 できる状況に無い。 ルトスワフスキ以降の若い世代(ズィクムント・クラウゼ、パヴェウ・シマンスキなど)について述べるの は、次の機会に譲る事にする。

ルトスワフスキの初期活動とポーランド現代音楽の黎明 デビューから戦前まで

さて、遅れ馳せながらルトスワフスキ個人に関しての足跡について述べていく事にしよう。 1913年1月25日にポーランドのワルシャワに生まれた彼は、音楽的環境に恵まれた家庭で幼少時を 過ごした後6歳からピアノを学び、1931年から2年間ワルシャワ大学で数学を学んだ後、1932年か ら5年間ワルシャワ音楽院に在学、作曲をマリシェフスキに師事した。 この頃の作品として、「ラクリモサ」( 1 9 3 9 ) という小品がある。これがルトスワフスキの現存の最古の作品 である、らしい。らしいというのはさすがにこうした小品はまだ聴いた事が無く、曲を聴いた事がないのに 確たる論説を振り回すわけにも行かないし、もうひとつは戦災(ワルシャワ蜂起)によって彼の戦前の作品 の大半が消失してしまい、どれが「現存最古」という決め手にはならないからだ。 青年期の作品では、「交響的変奏曲」( 1 9 3 6 ) が魅力的だ。若々しい魅力にあふれ、後の傑作群につながる萌 芽が聴かれる。

もうひとつ戦前の作品で重要なものをあげておこう。2台のピアノのための「パガニーニの主題による変 奏曲」(1941)である。これは戦時下のポーランドでナチスに対抗するための芸術運動の一環として作曲され たものである。 お馴染みのパガニーニの「カプリース第24番」によるものだが、全く新鮮な和声付けが試みられていて、 まるで別の曲のような色彩が浮かび上がってくる所が面白い。1978年にピアノと管弦楽のために編曲さ れているが、ラフマニノフの同趣向の曲(パガニーニの主題による狂詩曲)とのあまりの違いに驚かされる。 最も今となっては我らが日本の一柳慧の作曲したマリンバとピアノのための「パガニーニ・パーソナル」 もあるから和声的な新鮮さというのは薄れてしまったが、他人の曲を使いながらも後半(最終変奏)の圧倒 的な盛り上がりは、若きルトスワフスキの中にも既に強烈な個性として現れている。

ポーランド現代音楽の黎明、社会主義リアリズム

1945年、ナチスの毒牙からようやく開放されたポーランドは、祖国の再建という大きな課題を抱える 事となった。音楽界では、1956年までをこの時期として区切る事が出来る。 祖国の独立という悦びを手に入れたポーランドが、自国の音楽の進むべき道として一種のフォルクロニズム (民謡に基づく音楽)の路線を取ったのは自然な流れだろう。しかし、もちろんソヴィエトの社会主義リア リズムの影響もある。 ソヴィエトでは1948年1月に有名な「ジダーノフ批判」があり、これはソヴィエト国内では1930 年代にもあった事だが、より強い形で形式主義が批判され、社会主義リアリズムに基づく芸術観を強要され た。ショスタコーヴィチを始め、ハチャトゥリアン、プロコフィエフなどがこれで槍玉に挙げられたのはあ まりにも有名な話だ。 もちろんポーランドにもこのジダーノフ批判は影響した。1949年8月、全ポーランド作曲家・批評家 大会において、ポーランドでも社会主義リアリズムが確立する。これが1953年頃までにかけて作曲家た ちの活動を著しく制限した。 ルトスワフスキは当時の情勢について、次のように厳しく非難している...

「今日、8年半の時を隔てて、ポーランド音楽に対する正面攻撃が開始される事になった1949年の悪名 高いワグフ大会を振り返る時、あの忌まわしい経験を思い出すだけで慄然たる思いがします。実際、ここ数 十年間の成果を無に帰せしめ、19世紀の音楽原語に戻るべきだとしたあのテーゼほど馬鹿げたものは他に 考えられません。それなのに、このテーゼを我々に無理やり信じ込ませようとしたのです。いや、それどこ ろではありません。幾度となく、亜流の、空疎な作品を持ち上げ、その一方で独創的で、創造的な作品が舞 台にのる道を閉ざそうとしたのです。誰もが知っているように、こうした事は美の概念自体に全く無縁な人々、 何かしら物語や伝説といったものをそこにくっつける事が出来ないと、音楽にはまるで関心が無い人々の支 持のもとで生じた事でした。私が今ここで述べている時期はそれほど長くはなかったかも知れません。とい うのも、事実上、数年前に既に終わっているからです。しかし、それは我が国の音楽に甚大なる損失をもた らすに足る長さであった事も確かです。想像を仕事とする芸術家の心理状態というのはこの上なくデリケー トで精密な楽器のようなものです。この楽器に襲いかかり、私物化しようという試みは我々の少なからぬ者 にしばしば重い抑鬱症の時期を味わわせたものでした。西欧の芸術界の動向に完全に窓を閉ざしてしまった 事も、我々をその対象とした陰鬱な実験では少なからぬ役割を果したものでした。」 (1957年、ポーランド作曲家連名総会での演説。出典は「ポーランド音楽の歴史」ステファン・シレジンスキ、ルドヴィク・エルハルト 編、音楽之友社。なお「ポーランド音楽史」田村進 著、雄山閣出版 において、全く同様の内容が前書の原語版より引用されている)

抑圧された中での大作~「管弦楽のための協奏曲」

この一連の社会主義リアリズムでルトスワフスキの「交響曲第1番」(1941~47)は、ポーランド政府によ って演奏が禁止されてしまう。今聴くといわゆる戦前の「東欧モダニズム」と呼ばれるタイプの作品だが(と 言ってもルトスワフスキ「らしさ」は十分に現れた作品であり、「管弦楽のための協奏曲」を始め、更に後期 の作品へとつながる兆しが見られる。)、これでも十分「前衛的」と見なされてしまったらしい。 ルトスワフスキも民謡に根差した作品を作らざるをえなくなり、教育的な作品などのちょっとした小品な どを手がける事になる。もちろん彼にとっては余技でしかなく、不本意であったはずだ。(その中で「小組曲」 ( 1 9 5 0 ) などの佳品も生まれている) その一方で民謡とは全く関係無い事...単純な全音階的モティーフを半音階的で無調的なものと結合させ、 非機能的で多彩なハーモニーと結び付ける事、又このモティーフのリズムを変形させる事...によって、この 時期の彼の音楽の特質を確立していった。そしてその集大成が、この時期の彼の代表作「管弦楽のための協 奏曲」(1950~54)である。 バルトークの影響なども見られ(第1楽章のアーチ形式など)確かに民謡に基づく作品で(と言っても何 かの民謡を引用するというわけではなくあくまで民謡調ではあるがオリジナルなものである)、同時期の西欧 の前衛的な作品と比べていささか古風の感はあるが、ソヴィエトのショスタコーヴィチの交響曲群と同様、 この曲ももはや不滅の作品である事は間違いない。 第3楽章の調性を逸脱した対位法やトゥッティの連打音による強烈な音響などは特筆に価すべきものであり、 特に後者は後の作品群にまで大きく影響している。全生涯を通してのルトスワフスキの大きな特色の一つで ある。

音を操る術

音列主義
ルトスワフスキの中期の作品...社会主義リアリズムから開放されてから、偶然性との問題に取り組むまで の間の一時期において...については、他の多くの作曲家に倣って彼も十二音技法を取り入れた時期があった。 しかし、彼の言う十二音技法は、シェーンベルクの編み出した方法とは異なる独特でユニークなものである。 彼の「自称」十二音技法は、トータル・セリエリズムの完全に閉じられた世界とは相反して、開かれた可 能性を持っていた。だから彼はそれを音の支配から時間的な支配に視点を移す事によって、管理された偶然 性、偶然の対位、そして完成されたチェーン形式にまで発展する事が出来たわけであって、決してそれぞれ が他の作曲家...十二音技法はシェーンベルク(或いはウェーベルン)、偶然性はジョン・ケージ(確かにルト スワフスキが偶然性を取り入れるきっかけになったのはケージの音楽だが。この点については後述する)、管 理された偶然性についてはブーレーズの「ピアノソナタ第3番」以降の音楽...これらの真似事として無批判 的に取り入れていったわけでは、決して無い。 彼の音楽的思想は常に終始一貫とした個性に基づいているという事を、僕はここではっきりと述べておきた いと思う。

今世紀前半の西洋音楽の発展は、従来(19世紀以前)の調性・ソナタ形式という2つの絶対的な構造体 系の崩壊と共に、新たな構造体系をいかにして創造するかという問題と常に直面してきた。 今世紀前半において、その例を4つ挙げておこう。まずはドビュッシーの旋法。「弦楽四重奏曲」「ベルガ マスク組曲」で教会旋法の使用を試み、「牧神の午後への前奏曲」で初めてその真価...調性音楽の基盤たる「根 音」の概念を曖昧にさせる...を表した。「ペレアスとメリザンド」以降はアジアの旋法と教会旋法の性格の共 通性を見出した事から、自ら編み出した全音音階に新たな可能性を賭け、この二つによって機能和声の根元 である根音という概念が取り払われる決定打となった。この「旋法性」は、ドビュッシーと同世代のスクリ ャービン、またラヴェル等同時代或いは一世代後の近代フランス音楽などを経て、メシアンの「移調の限ら れた旋法論」による感覚的ではなくシステマティックな使用法や複旋法などの更に発展した技術、武満徹が 著書「夢と数」で解説しているような(前衛崩壊後の)旋法性による汎調性論などへと成熟していく。 次にストラヴィンスキーが3大バレエ「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」で 複調性を試みる。「ペト ルーシュカ」での増四度複調(いわゆるペトルーシュカ和音)は既にラヴェルの「水の戯れ」(これは8音音 階についても既にその使用が認められる)などの先例があったからすぐに聴衆は馴染んだし、「春の祭典」に 関しても有名な初演の騒動の後はすんなりと受け入れられていった。そして複調性の試みは主にミヨーなど に受け継がれていく。拡大された調性という意味で視野を広げれば、ヒンデミットなどもそれに類するだろ う。 そしてもうひとつはフォルクロニズム。民族音楽の特色を19世紀民俗学はとは異なった方法で理論的に 取り入れていったバルトークの音楽。これは主にアウトサイダーだった「周辺国」(もちろん日本などアジア も含む)で共感を得た。ルトスワフスキも戦前のポーランド独立からナチス・ドイツによる占領下としての パルチザン的国民意識、それと戦後ポーランド・事実上ソヴィエトの衛星国としての支配下の中での社会主 義リアリズムで民謡に基づく音楽以外の前衛的な道を断たれた中で、隣国ハンガリーのバルトークの音楽に 傾倒していったのは自然な流れと言える。 そして最後に、シェーンベルク等新ウィーン楽派が自由な無調の一時期を経て完成させた「十二音技法」。 十二音技法はそのシステマティックな構造を持ちながらも、それに縛られることなく自由に使いこなす術を 作曲家が得た時、多大な可能性をもたらす...と見なされてきた。しかし、これの結末がどうなったかは周知 の通りである。 メシアンが旋法論・リズム論を発展させていく中で到達した「4つのリズム練習曲」の第3曲「音価と強 度のモード」で、音高のみならず音価・音色・音量など西洋音楽の「音」に関するあらゆるパラメータを全モード て数列化するという試みを提案した事がきっかけとなり(メシアンがここで「旋法」という音の組織としての最後の開かれた可能性を残した言葉を用いているのは興味深い)、メシアン門下のブーレーズやシュトック ハウゼンといったメンバー、いわゆる戦後のダルムシュタット楽派(このグループを表す用語はまだ定着し ていない)が行き着いたのが、「総音列技法」(トータル・セリー)である。

トータル・セリーは、緻密な音構成を求める西洋音楽の行き着いたある意味での「最終到達点」と言える だろう。その形式は完全に閉じられており、理論さえしっかりしていれば、後は音が自動的に決定されてい くという現象すら発生する。(例えばヴァルター・ギーゼラー著「20世紀の作曲」に記された、ブーレーズ の「2台のピアノのためのストリクチュール1」...恐らくこの論文の大元の出典はリゲティによるもの...の 解説を読むと、それが非常によく判るだろう)これによって西洋音楽の発展は一旦「行き詰まり」を迎えた。もちろんそれに対するリゲティの反発と、その実証である彼の「アトモスフェール」におけるマイクロ・ポリフォニーによるトーン・クラスター(トーンクラスターはペンデレツキ...ルトスワフスキと同じポーラ ンドの現代作曲家...の「広島の犠牲者に捧ぐ哀歌」が最初とされているが、「広島」のクラスターは純粋に音 響の追求に意味があるのでここでは取り上げない。)や、クセナキスのコンピュータ計算によるいわゆる「ス トカスティック・ミュージック」などの新たな可能性の追求など、トータルセリーとは異なる新たな発展の 模索はあったが、圧倒的にそれを打破したのは、やはりジョン・ケージの「偶然性」の概念である。 この「偶然性」について詳しく書こうとするとテーマが違ってきてしまい、また自分も勉強のために更に 色々な文献を参照しなければならないので、今回は残念ながら深くは追求しない。ルトスワフスキがケージ の音楽に出会った由来は後述するとして、ではなぜ偶然性の概念がヨーロッパに導入される以前の一時期に、 全世界的に十二音技法が流行ったのだろう? 今では十二音技法など当然ながらよほどの事が無ければ使わないし(よほどの事というのは、クルターク のように巨匠作曲家がそれを自分の技法として完全に掌握している場合か、一柳慧のある作品のように歴史 を回想して敢えて「古い技法」と承知しながら十二音技法を使う場合、そして昨年亡くなったロシア出身の ドイツ移民系ユダヤ人でありハンブルクで活躍したアルフレッド・シュニトケや、今活躍中のフィンランド の作曲家カレヴィ・アホのように、「多様式主義」の中でバロック的、古典的、ロマン 派的、ジャズ・ポップス的...といった時代を超越する中での一つの時代(技法)の象徴として十二音技法を 使う場合。考えられるのはこのくらいである)、トータル・セリーの流れであるポスト・セリエリストたちも ヨーロッパには依然として存在するが、今となっては極少数派でアウトサイダーの感もある。 ただやはり時代の流れの中で十二音技法やトータルセリー、或いは何らかのセリー的な要素を使わざるを えないという誤った認識が、主に音楽後進国である周辺国(ポーランドや日本を含む)で主に1950年代 ~60年代前半にかけてあった事は紛れもない事実である。もちろん本当に時代性(と言っても西欧やアメ リカなどの音楽的にも政治・文化的にも先進国である国々の時代性という意味だが)に敏感な人か、或いは 自己の芸術観念を貫き通したオリジナリティのある作曲家なら、そうした一時期の流行性としての十二音技 法の濫用には陥ったりはしないものであるが。

ルトスワフスキの音楽における十二音技法の導入と消化

ルトスワフスキもそうした中で、バルトークの追悼である弦楽合奏のための「葬送音楽」( 1 9 5 6 ~5 8 ) にお いて、初めて十二音技法を取り入れた。 交響曲第2番でも「彼独自の」十二音技法が使われているが、これはシェーンベルクのいわゆる横の流れ の中の音列主義とは全く異なるオリジナルな使い方で、むしろ和音構成の一つの選び方(ウェーベルンもこ れと似たような事をやっているはずだが、彼については深く勉強していないのでこれは何とも言えない)、或 いは旋法性に近い。 例えば十二半音階の中からいくつかの音を和音(或いは密集音隗)として選び取った上で、残りの音に旋 法的要素を持たせて横の流れ(敢えて言えばメロディ)として使う、或いは管弦楽なら楽器群によって使用 する音列(必ずしも12の音全部ではない)を変える、などといったその「使用法」がそれに当たる。 しかし、交響曲第2番はそうした「音の組織」に問題が置かれているのではない。この曲の最大の特徴は、 後にルトスワフスキ自身が「チェーン形式」と命名する事になる、「管理された偶然性」の思想の具現化の一例である「偶然の対位」が使われている事にある。 これを語るにはまず「ヴェネツィアの遊び」及び「弦楽四重奏曲」から説明せねばなるまい。

偶然の連鎖 偶然性の吸収 管理された偶然性、偶然の対位、そして「チェーン形式」へ

1960年、ルトスワフスキは何気なくスイッチをひねったラジオから聞こえてきた音楽...ジョン・ケー ジの「ピアノと管弦楽のためのコンサート」(注:これを「コンチェルト=協奏曲」と訳すのは間違い)に強 烈なショックを受ける。そして自分の音楽の全てをこの曲の最大の特徴である「偶然性」に賭け、一から出 発し直す決心をした。 1960年に私はケージの「ピアノとオーケストラのためのコンサート」の一部を聴いたが、その数分間 が私の人生自体を変えてしまった。...しばしば作曲家たちは、演奏されているがままの音楽を知覚しない。 演奏は作曲家たちにとって全く別のもの、すなわち彼らの想像力の中だけみある音楽を発生させるための刺 激としてのみ役立つのである。一種の分裂症であるが、我々は何かを聴いて、同時に全く別の物を作り出す のである。ケージの「コンサート」を聴いた時に私に生じたのが、まさにこの事であった。 (「作曲の20世紀II」長木誠司監修、この文章の引用は「ルトスワフスキとの対話」1976、長木誠司訳) だが、ルトスワフスキにとっての偶然性は、あくまでも作曲者によって「管理されていなければならない」 と考えている。それゆえ、ルトスワフスキの偶然性は「管理された偶然性」である。(これについてはブー レーズの「ピアノソナタ第3番」でも同じ事が言えるが、ブーレーズともやはり考え方が異なる。) まずこの「管理された偶然性」を用いた初めての作品(そして傑作)が「ヴェネツィアの遊び」( 1 9 6 1 ) で ある。 指揮者は、幾群かに分かれたグループに開始(及び終了)の指示を順次告げていく。一部譜例が参照できた が、この譜例の中では正確な秒数が指定されている。各奏者は、開始の合図の後、それぞれ異なるテンポで Ad libitum で演奏していく。当然グループ内でも音がずれていくから(もちろん譜面はグループではなく個々 の奏者単位でパートが割られているが)全体はとても曖昧模糊とした響きになる。縦の線が特定できないか ら偶然に委ねられる。もはや個々の奏者の動きや縦の線でのハーモニーの意味は剥奪され、変わりに「音群」 としての輪郭の曖昧な一つの時間フィールドが生み出されるのである。これを彼は「偶然の対位」とも呼ぶ。 「ヴェネツィアの遊び」は彼なりの偶然性の吸収を見事に表した作品として、その最初の具現化であるに もかかわらず傑作とされている。特に楽章ごとの音の移り変わりは見事で、最後の第4楽章などトムトムの 音を区切りに音群がめまぐるしく動くアイデアは、後に「オーケストラの書」にも応用されている。他にも 後の作品との関連が多数見られ、言わばこれ以降の彼の「原点」の作品であるわけだ。 次に挙げるのは「弦楽四重奏曲」( 1 9 6 4 ) である。この曲の構造は、各自がまったく異なった自由なテンポ で終始曲を進めていく事にある。例えば「2ndヴァイオリンがオクターブで刻んだら、そこで演奏をやめ るか、先へ行ってしまったらそこまで待つ。刻んだ音が聞こえたらトゥッティで刻む。」などの指示が書かれ ている。 全体で2つの楽章に分かれ、第1楽章がアイデアの提示、第2楽章がその展開と全体の盛り上げを成す所は、 「交響曲第2番」に受け継がれていく。 「交響曲第2番」(1967)は、こうした「管理された偶然性」を用いた一大モニュメント的な作品である。

全体は2楽章に分かれ、第1楽章が「ヘジタント(消極的)」、第2楽章が「ダイレクト(積極的)」と題されている。第1楽章では徹底して「群の動き」に留まる。後の「チェーン形式」で導入部分に良く好んで使わ れた形のプロトタイプと言える。第2楽章では、第1楽章で提示された素材、及びそうした「チェーン」的 な要素を使った、徹底した弁証法的止揚の楽章。つまりソナタ形式でいう展開部に当たる。ひたすらクライ マックスに向かって突き進む、その迫力は圧巻である。 この曲については、「名曲解説辞典」(音楽之友社)に詳しい解説が出ているから、これ以上ここでは触れない。詳しくはそち らをお読み頂きたい。

チェーン形式 スタイルの完成、晩年

交響曲という名は与えられていないが立派な大交響的作品という事の出来る「オーケストラの書」( 1 9 6 8 ) を経て、「チェロ協奏曲」「ミ・パルティ」「眠りの空間」など、70年代も後半になるにしたがって「チェー ン形式」は完成されていく。 それとともに時代も変遷し、前衛の風潮が後退してかわりに新ロマン主義が台頭してくると、やはりルト スワフスキも時代の流れを敏感に感じ取り、クラスター的要素からより一層和声的要素の強い傾向へと変化 を見せ始めた。それは本人の弁によれば「新しい和声への試み」である。(前衛時代にこんな事を言っていた ら恐らくクソミソにされていただろう。)結局そうした転身を見せる事によって時代の潮流に取り残されずに 済んだのだから、やはりルトスワフスキは常に時代の流れに敏感な作曲家と言えるだろう。ポーランドとい う東欧の政治事情の国にありながらこうした態度は実に見事である。 「ミ・パルティ」(1976)は、後の「チェーン」シリーズのプロトタイプと言える。ad libitum – a battuta – ad libitumと繋げられた構成は明らかにチェーン形式上での創作の実験を示すものであり、またその連結 の仕方も後期の一連の作品群と酷似している。

この「ミ・パルティ」は最後の ad libitum で特徴あるリズムがトランペットで刻まれるが、これとほとんど 同じリズムを使って全く雰囲気の違うコミカルな作風に仕上げた作品が「オーボエ・ハープと室内管弦楽の ための二重協奏曲」(1980)である。 これはもう編成を見てお分かりの通り、(ハインツ、ウルスラ)ホリガー夫妻の委嘱で書かれた作品。彼ら の現代作曲家への夫婦で演奏するための委嘱作は数多いが、この協奏曲は尹伊桑のものとならんで傑作と言 える。CDも多い。第1、第2楽章では弦楽や打楽器の ad libitum の動きに乗ってオーボエが多重音などの 複雑な技巧を見せるが、第3楽章になると雰囲気ががらりと一転、思わず笑いが込み上げてくるようなコミ カルな作風になる。

さて、ここで「チェーン形式」について詳しく説明せねばなるまい。 「チェーン形式」は彼が独自に編み出した理論で、「ストランド(縄状)形式」という呼び方もした。一言で 言うと、独立した異なる構造が違いに干渉しあい、補い合いながら進行する形式、という事が出来る。 具体的には、ad libitum と a battuta の二つの部分を交互に対峙させる事によって「干渉」させ、それに よって曲を展開していくのだが、曲全体の提示に於いては(オーケストラでは)いくつかの音群に分かれた 領域が指揮者の開始・終了の合図にしたがってそれぞれ個別のテンポで動き出すという特徴を持つ。(これは 「ヴェネツィアの遊び」以来の彼が一貫しておこなっている)そのため、指揮者への指示も厳密にスコアに 書き込まれている。「ある音群のみにこのテンポを提示せよ」などと書かれているのはざらである。 もちろん、ad libitum と a battuta の対峙は単に音現象としての変化に留まらない。Ad libitum での「時

間」は質的な時間であり、一方従来の西洋音楽では当たり前だったa battutaの「テンポ」は量的な時間で ある。西洋音楽での時間概念は常に量的なものであったが、ここで質的な時間概念を手に入れる事によって ルトスワフスキの音楽は同一時間軸内での量的・質的両方の特徴を持つ時間概念の対峙による展開という要 素を持つ事が出来るのである。むしろこれが「チェーン形式」の最大の特徴だろう。

晩年の完成された「チェーン形式」を表す作品として、その名もずばり「チェーン」と名づけられた3つ の作品がある。1は室内合奏、2はヴァイオリンとオーケストラのための事実上協奏曲、3は大オーケスト ラのための曲である。残念ながら「チェーン1」( 1 9 8 3 ) はまだ聴いていない。が、必ずしも成功作ではない らしいという評判は肯ける。チェーン形式は大人数の音群を用いる事によってその真価を発揮できるものだ から、室内合奏でそれを展開しても面白くないのではなかろうか?(とは言っても「ヴェネツィアの遊び」 は室内オーケストラだが。)

「チェーン2」( 1 9 8 5 ) はポウル・ザッハーの委嘱によってアンネ=ゾフィー・ムターのために書かれた。 協奏的な使い方としてのチェーン形式が見事に生かされているが、せっかくのチェーン形式なのに楽章間に 「間(休止)」がある事が残念だ。それを除けば素晴らしい曲である。ヴァイオリンとオーケストラは終始「対 話」し、チェロ協奏曲の「対峙」よりも一層「協奏的」な作品に仕上っている。第4楽章の A battuta – Ad libitum – A battuta と畳み掛けるような時間軸の使い方(テンポの質的及び量的な使い方の対比)は特に凄い。 献呈されたムターも実に切れ味の良い演奏をしている。先月もニューヨーク・フィルの現代音楽特集でルト スワフスキ・プログラムを組み、ムターがこの曲と「パルティータ」を弾いていた。ムター以外のヴァイオ リニストでの録音も所持しているが、やはりこの曲及びルトスワフスキ作品全体に見られる鋭い切れ味の表 現は彼女にはかなわない。

構成面でやはり何と言っても一番素晴らしいのは「チェーン3」( 1 9 8 6 ) だろう。12分少々の作品だが、 交響曲第3番のミニチュア版といった趣で楽しめる。最初に消極的な Ad libitum でのチェーンが聴かれた後、 突然 A battuta になって鋭く音楽が展開していく所などはまさに彼らしい。 最後にA-durの高次倍音和音(13度まで使う)が金管で高らかに鳴り響き、調性の輝きを一瞬示した 後でがらがらと壁のように崩れていき、ズドンと一発トゥッティの不協和音で締めくくられる。(余韻として コントラバスがグリッサンド下降するのが微かに聞こえるのが又面白い。) 「交響曲第3番」(1983)は、ルトスワフスキの語法の集大成としての最盛期の大作で、文句無しに全生涯 を通じての代表作と言えるだろう。これについてはあとで詳細に分析をしよう。 その他の作品としては、クリスティアン・ツィマーマンのために書かれた「ピアノ協奏曲」( 1 9 8 7 ) が素晴 らしい。80年代を締めくくる傑作である。チェーン形式の完成度は言うまでもないが、ピアノ・ソロにな る所が派手派手しいカデンツァどころか逆にモノローグ的な静かなメロディで、ツィマーマンの演奏はさす がショパン・コンクールの優勝者だけあって美しく歌い上げている。 90年代は最後の2つの作品、ソプラノとオーケストラのための「歌の花と歌のお話」( 1 9 9 2 ) という可愛 らしい歌曲、そして全生涯を締めくくるに相応しい最後の傑作「交響曲第4番」( 1 9 9 2 ) が書かれた。これも また第3番に劣らず素晴らしい曲だが、第3番とは対照的に最晩年、そして最終作としての渋さが光る。 晩年のルトスワフスキは京都賞を受賞して来日したりもしたが、1994年、その偉大な生涯を終えた。 追記:交響曲第4番と同時期に、ヴァイオリンとピアノのための「Subito」という曲も書かれていたらしい。最近発見され、 楽譜が出版されたそうだ。どちらが最後なのかははっきりしないが、今の所「定説」として交響曲第4番が最後の曲である。

分析 実際の楽曲におけるルトスワフスキの音楽の俯瞰

名曲の詳細な分析は作曲家にとっても演奏家にとっても有益な勉強だと思う。 一番良いのは楽譜と直面しながら個人個人で分析をしていく事だが、やはり楽譜だけではなくそれを読み取 るための「ヒント」が欲しい。それで研究書やCDなどに頼る事になるが、大抵のCDの解説は曲の概観の みを説明するためだけのもので、その作曲家の真価を詳しく知るためにはとても満足出来ない。(もちろん、 時には素晴らしい解説書を付けてくれるCDもあるが)だから大抵は、詳細な解説を載せた分厚い本などを 読む事になる。 しかしベートーヴェンやモーツァルトのような往年の大作曲家なら沢山の文献があるが、ルトスワフスキ のようについ5年前まで活躍していた人については、日本語の文献はほとんど出ていない。(英語で300ペー ジほどのルトスワフスキの研究書があるらしい(2023年注; Steven Stucky, Lutosławski & his music (Cambridge University Press, 1981))) ルトスワフスキについては、音楽之友社から出ている「最新・名曲解説全集」に4曲の解説が載っている。 「管弦楽のための協奏曲」「交響曲第2番」「オーケストラの書」「チェロ協奏曲」。オケコンはともかく、他 の3曲の解説についてはこれである程度チェーン形式の実践例(純管弦楽的、及び協奏的)を俯瞰できるの でありがたいが、むしろルトスワフスキの真価はこれらの曲の後、1980年代からの曲において頭角をあ らわしてくるので、それらの解説となると残念ながらCDの解説書などを除いて全くない。 先日ようやく憧れの「交響曲第3番」の楽譜を入手する事が出来たので、この楽譜とCDの演奏(手元に 3種類ある)をもとに、この曲の詳細な分析を試みよう。

交響曲第3番

ルトスワフスキの 4 曲ある交響曲の中で得に傑出した作品である。 シカゴ交響楽団の委嘱で1972年から構想されはじめたが、一旦完全に放棄してしまったらしい。その 後前述の「ミ・パルティ」「眠りの空間」「オーボエ・ハープと室内管弦楽のための二重協奏曲」などを経て、 1983年に完成された。 二つの動機からなる大展開部など古典的なソナタ形式を踏襲する部分も見られるが、彼独自の理論「チェ ーン形式」が最も効果的に現れている作品である。 全体として時代的な新ロマン主義の流れの影響を受けているせいか、「基軸音」という1970年代の彼の 曲には薄かった要素が明確に現れ、調性回帰的指向の片鱗を見せはじめた頃の作品である。(最も、ルトスワ フスキは最後まで明確な調性には回帰しなかった。その点では彼の音楽語法及び信念は徹底していた。)

全体は単一楽章だが2部に分かれ、第1部が提示部、第2部が展開部となっている。圧倒的に第2部の方 が長い。再提示部(再現部)はなく(ルトスワフスキの音楽における音響エネルギー体の推移には、展開後 の再提示という概念は必要ない)、独立したコーダをもって全曲を閉じる。

・第1部

まず冒頭の4音から成るE音の tutti によるリズム動機の提示。この動機が tutti で奏されるたびに全体の 流れの目安となる。冒頭のリズム動機の後すぐに ad libitum(senza tempo)になる。E音がペダルで持続し、 基軸音となる。

ほぼ1分間隔でリズム動機が tutti で再提示される。3回目の提示(練習番号3)の後3つのエピソード が語られる。この3つのエピソードは、後になるにつれて(体感的に)間延びする。実際にテンポ(この場 合の「テンポ」とは ad libitum の部分を入れての速度)は同じ(2分音符 108)だが、次第に長い音価を使 うためである。 まず一つ目のエピソードでは、二つ目の核となる動機...半音間隔の3音の下降、以後半音動機と呼ぶ...を 素材としたヘテロフォニックなマイクロポリフォニー音響が、まずヴァイオリン群(多数 divisi されている) で a batutta、続いて木管楽器群が ad libitum で、半音動機にとらわれない自由な音形でうごめく。しばら くこのようなa batuttaとad libitumによる音群の受け渡しが続く。(これが「チェーン形式」の提示部で の特徴である。)

練習番号11で再び tutti のリズム動機が登場する。ここから2つ目のエピソードに入る。 コールアングレの独奏を中心とする前半部分、弦楽器のグリッサンドを多用する後半部分の後、3つ目の エピソードに入る。(練習番号19) 3つ目のエピソードは更に(体感的に)減速する。聴衆は次第に緊張感を失っていく。 アダージョによるブリッジを経て、いよいよ展開部に入る。

・第2部

リズム動機が繰り返し打ち鳴らされ、展開部の開始を告げる。(練習番号31)
ここは tutti ではなく、主にホルンとチューブラー・ベル、木管楽器群(途中からチェロも入る)による、 E4(一点ホ音)のみの音高である。ここで再び速いテンポ感が取り戻される。 チェロとコントラバスの divisi で半音階のクラスターが低音に保属する。12半音階のうち、そのクラス ターに使われていない残りの音程を素材として、ハープが微かな雲をなびかせ、ヴィオラが激しく跳ね回る。 (規則正しいリズムは、リズム動機に基づく。)2ndヴァイオリン、1stヴァイオリンも順次参入し、こ ちらは半音動機による六連譜でより激しく動く。練習番号35からリズム動機による規則正しい拍節感は連 譜のずれによってかき消され、再び第2部の開始と同様、一点ホ音のみの音高でリズム動機が執拗に顔を出 す。
弦楽器 soli 群による二つの動機の短い展開。同一テンポだが音価を徐々に縮めていく緊張感を煽る弦楽器 tutti の後、8音から成る分厚い和音でのリズム動機。今までリズム動機が提示されたのは E 音のみだった が、ここで初めて「和音」となって提示される。(練習番号40) クラリネットのソロ、次にチューバのソロを中心とした ad libitum の混沌とした音響、短い a batutta の 後、展開部最初のクライマックスがad libitumで訪れる。(このad libitumでのtutti大音響の迫力は、ル トスワフスキならではの魅力!)クライマックスの最後、半音動機に基づいた雪崩(或いは滝)のような弦 楽器群の降下によって、一旦クライマックスは終了する。(練習番号46) しばらく弦楽器群のみのモノローグ風の停滞場面(a batutta)が続くが、この中でも徹底して二つの動機を もとにした変容・展開が行われている。次第に弦楽器群は各グループで divisi し、音の層の厚みを順次増し ていく。 金管楽器が加わってクレッシェンドした途端、第2のクライマックスが訪れる。(練習番号62)これは先 ほどとは逆に、弦楽器群の雪崩から始まる。つまり高音域からなだれ込んでクライマックスに入るという仕 掛けになっている。 もう一度高音部から落下した後(練習番号63)、管弦楽全面における「展開」が始まる。(練習番号65)

ここは明らかに基軸音を持ち(Fis)、汎調性的な響きがオーケストラのあちこちから聞こえてくる。と言っ ても「汎調性」という言葉に付きまといがちなふわりとした音響ではなく、極めて力強い巨大な存在として の音響である。
練習番号72で半音動機による雪崩がかなり拡大された形で、非常に長い時間 ad libitum で高音域に停滞 する。今度は弦楽器のみならず、木管楽器、短音楽器(ピアノ...ペダル無しで...と、シロフォン)によって 展開される。これらの音響は今度は下降せず高音域のままで、明らかな「降下」を告げるのはトランペット とホルンである。 そしてここから全曲中最大のクライマックスへの階段を上っていく。(練習番号73)チェーン形式の特徴 ad libitum でのズレによるスピード感を保持したまま、a batutta でかなり Meno mosso しているにもかか わらず、聞き手は前のスピード感の緊張を記憶しながら、その後の「最大のクライマックス」において圧倒 される。 その「全曲中最大のクライマックス」では(練習番号76)、半音動機とリズム動機がかなり長い音価で引 き伸ばされ、全管弦楽による tutti で絶叫する。ここで鳴り響く全ての音はこの二つの動機だけに基づいて いるので、交響的構築の摂理たる明らかな「素材の展開による精神的構築の頂点」を(Piu largo まで Meno mosso され溜め込んだ音響エネルギーの爆発によって)聞き取る事ができるという仕掛けになっている。そ してその基軸音は、全曲を通しての基軸音であるEからちょうど(調性音楽の用語をあえて使えば)属音に 当たるHである事も、このクライマックスの音の方向性を暗示している。 その後何度かの「余震」を繰り返しながら次第に音響エネルギーは弱まっていき、弦楽器(高音)による レチタティーヴォ(この単語を用いたのは作者談に基づく)のみとなる。このレチタティーヴォを注意して 聞くと、コーダのメロディを暗示している事が分かる。(練習番号84) 練習番号89からしばらく「クライマックスの回想」のような ad libitum が続くが、迫力はさほどではな い。ここは一種のクールダウンと考えられる。展開で頂点が築かれた後、興奮を冷ます部分である。

・コーダ

練習番号93から。それまでの無調性的な混沌とした響きから一転して、Eが基軸音としてペダルで鳴り 響く。その上に5度を堆積していくので、非常に澄んだ色彩的な汎調性の響きとなる。(細かい事だが、ハープ をE/H/Fisと指定せず、Fes/Ces/Gesと敢えて書いてあるのは、開放弦で鳴らした方が綺麗に響くからであ る。僕はこれを見てちょっと感動した)

テンポ表示は書いていないが、かなりゆったりとしている。しかしそれは「ゆったり」ではなくむしろ巨 大な存在感にあふれ、山が今にも動くといった感じを与える。 管弦楽は徐々に厚味を増し、練習番号97~98でコーダ中最大のクライマックス(第2部での全曲中最 大のクライマックスに匹敵する)を迎えた後、最後の大詰め(練習番号99)で突如 Allegro になり、短音 打楽器群に(チェーン形式の流儀によって)音響が移行する。(練習番号100)この短音打楽器群はガムラ ン風の響きにも聞こえる。 金管と短音打楽器群が音を徐々に間引き、完全な東洋的五音音階(いわゆる律音階)を形成する。(ここが 全曲中唯一「調性」をはっきり聞き取れる部分である)

最後の ad libitum(練習番号102)で12半音階全てを使った(つまり彼独自の「自称」十二音技法の 概念に基づく)壮大な和音が全管弦楽で鳴り響いた後、全ての音はEへと集結されていく。そして最後の小 節で冒頭の回想として、E音のリズム動機を tutti で大きく打ち鳴らし、全曲が締めくくられる。

あとがき

ルトスワフスキは、東洋に目を向けたドビュッシーやアジア系タタール人の混血であるグバイドゥーリナ と違って、ポーランド人という純粋な西洋人である。特に東洋芸術とつながりがあるわけでもない。 最近日本人の作曲家としての日本・アジア的な意識というものをより真剣に考えるようになってきたその タイミングで、どうしてルトスワフスキに憧れるのか? やはり人間としての根源的な要素(湯浅譲二いわく「ユングの無意識層」に当たるらしい)で、ルトスワ フスキの精神的構築に圧倒されたとしか言いようがない。ベートーヴェンやブラームスなど、往年の精神的 構築の見事な作曲家よりも更に増してルトスワフスキに共感できるのは、同時代人という意識も働いている のだと思う。ドイツ(或いは彼らの活躍したオーストリア)とポーランドの民族的なアプローチの差という ものもあるかもしれない。どうも僕はドイツという国とは折りが合わないらしい。 しかしショパンならともかく、ルトスワフスキはポーランドの民族性というものは、特に晩年にはそんな に色濃くは見られない。これはその作曲活動の最初期において、社会主義リアリズムの強制によってポーラ ンドの民族性を無理強いされた事も深く関係しているのだろう。 だからこそ「東洋と西洋の民族性の差異」という悩みを払拭して、ルトスワフスキという作曲家を好きに なれるのかもしれない。 改めてルトスワフスキについて詳しく調べようとして一番困難だったのは、特に晩年期に於いての資料が 少ないという事。武満徹の時と比べて、全く(日本では)資料に恵まれない作曲家である。「分析」の項でも 書いたことだが、CDの解説だけではいささか中途半端すぎる。(それでもあれば随分マシだが。)また輸入 版CDとなると、訳しながら読む面倒臭さもある。 2年ほど前にルトスワフスキに関する論文を掲載したホームページがあって、晩年のルトスワフスキが京 都を訪れた際に面会した(!)話や、チェーン形式に関する文章なども載っていたのだが、ブックマークだ け付けておいたらいつのまにか無くなってしまった。ちゃんとHTMLを保存しておくべきだった。今考え るともったいなくて悔やまれる。 しかしそれよりも悔やまれるのは、生前にルトスワフスキを知っていたら、或いはもう少しルトスワフス キが長生きしてくれたら、どんなに良かった事だろう。これは武満徹にも言える事だが... その武満徹や、フィンランドの作曲家マグヌス・リンドベルイ、カイヤ・サーリアホ...僕は特に後者の音楽 は好きなのだが...の作品には、「ヴィトルド・ルトスワフスキの追憶(或いは「思い出」)に」といった作品 がいくつかあり、それらの作品を聴くと(リンドベルイのはまだ聴いていないが)、ルトスワフスキという作 曲家が世界的に慕われていた事がよく判る。 それにしても、当分ルトスワフスキの「構成感」の魅力からは離れられそうもない。ますます研究し甲斐 のある作曲家の一人である。

参考文献

「ポーランド音楽の歴史」ステファン・シレジンスキ、ルドヴィク・エルハルト 編、音楽之友社 「ポーランド音楽史」田村進 著、雄山閣出版
「20世紀音楽の構図 同時代性の論理」矢野暢 著、音楽之友社

「20世紀の作曲 現代音楽の理論的展望」ワルター・ギーゼラー 著、佐野光司 訳、音楽之友社

「作曲の20世紀II」長木誠司 編、音楽之友社 「最新・名曲解説全集 III・VII・補I」音楽之友社 ルトスワフスキ「交響曲第3番」の楽譜 Chester Music 各CD、および解説書

「エッセンシャル・ルトスワフスキ(2CD)」作曲者指揮ベルリンフィル、ワルシャワフィル、他 Philips 「ルトスワフスキ:管弦楽のための協奏曲、交響曲第3番」ダニエル・バレンボイム指揮シカゴ響 ERATO 「ルトスワフスキ:パルティータ、チェーン2、同3、ノヴェレッテ」作曲者指揮BBC響 DG 「ルトスワフスキ管弦楽曲全集(1~6)」アントニー・ヴィト指揮ポーランド国立放送響 NAXOS 「ルトスワフスキ、ペンデレツキ、黛敏郎、ケージ:弦楽四重奏曲集」ラサールSQ DG 「メシアン:トゥランガリーラ交響曲、ルトスワフスキ:眠りの空間、同:交響曲第3番」エサ=ペッカ・ サロネン指揮ロサンゼルス・フィル SONY 他、エアチェックMD(木管三重奏曲、クラリネットと管弦楽のための「ダンス・プレリュード」ピアノ 伴奏版、など)

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