非日常な電車【1】
※この物語はフィクションかもしれないしそうではないかもしれない。
田舎に住む僕は、職場と僕を繋いで斡旋している会社が提供するセミナーに向かわなければならず、普段月に1度も乗らないバスやら電車に4時間ほど揺られることになった。
わけだが、それはそれで新鮮で公共交通機関でありながら田舎っ子の僕には非日常の体験で、電車に流れるアナウンスやら角度が急な椅子の背もたれやらに少し心躍らすなどしていた。
僕は物心ついたときから電車が嫌いで、小学校から大学まで電車やバスを使って通学したことが一度もない、というか自転車で通える圏内の学校しか視野になかったくらいなぜか電車が嫌いだったのだが、それは電車が日常になるからであって、たまの電車は僕にとっては新幹線や飛行機と化し、これほど嫌いな電車に心を躍らす自分がいるのに気づく。
電車が嫌いにならなくなったのは乗る頻度が少なくなることに対しての非日常感が演出されるからという理由だけでなく、電車の中での過ごし方や時間の活用の仕方を確立しそれにワクワクすることができるようになったからというのもある。
電車の中ほど僕にとって集中できる場所はないので、ここぞとばかりに電子書籍を開き一目散に体勢を整え、iPadに悔いるように物語に入っていく。かと思えば電車の心地よい揺れに誘われ、頭を窓とシートの間に挟み、肘を窓の凹みのでっぱりにつき、顎を斜めに手で支えながらできるだけ快適に寝る体勢を作るのも欠かさない。ひと段落したらぼーっと外の景色を眺めながら、瞑想するなり思いを馳せるなり、明日の朝が早いから早く寝たいのに寝ようと布団に入った瞬間に頭が活発に活動を始め寝れなくなるときのように考え事をするなりしている。
憂鬱で億劫なセミナーに4時間揺られ向かう車内。AirPodsをつけて普段聴いている曲を今日も今日とて聴きながら窓の外を眺めると、自分の意図とは全く関係のないところで頭が働き出し、制御不能になることが多々ある。
よく起業家が「アイデアが降ってくる」という表現をするが、それと似たような感覚かもしれない状態に陥り、自分の頭がどこからか降ってくる何かに乗っ取られ、僕に何かを考えさせる。
乗っ取られた僕の頭はなぜかわからないが「父の死」へと発展していき、気づいたら涙を流している自分がいた。午前10時過ぎ。
続く。
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