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【連載小説】稟議は匝る 1-2 根室 2005年11月6日

1-2 根室 2005年11月6日

白銀の名前は、北海道の特に道東地区において特別な意味を持つ。この辺で商売をするもので、白銀さんの世話になっていない人を探すのも難しい。人格者の上、気風もよく、あちらこちらの保証人になっている。道東総合建設も例外ではない。

「白銀さんがうちの経営に関係ないのは知っているだろう。添え担保を本気で実行するのは信義則違反だろ」

添え担保とは、企業と銀行の信頼関係のために念のために設定する担保・保証のこという。バブル前は多用された。銀行の保全(評価)はゼロとしてカウントされることが多く、現実では、添え担保が法的に実行されることは極めて稀だ。

にらみつけている視線から目をそらすわけにはいかない。山本は震え声を出さないように、軽く息を吐き、メモを取るために持っている手帳をカバンにしまいこんだ。姿勢を正し、佐藤の瞳を捉えてゆっくりと話し出す。

「社長、私みたいな若造が申しあげるのも僭越ですが、なるべくたくさんの人に相談した方がいいですよ」

瞬間、殴りつけるような激しい風音が窓を打った。古い窓がきしむ音が部屋中に響く。外は強い風が吹いているようだ。それにかまわず、話を続ける。

「弁護士先生はもちろん、代議士先生でも、だれでもかれでもなんでも、なりふりかまわず。
私は白銀会長とは、毎月第4木曜日にライオンズクラブの会合でお会いしております。次回の会合の時に、佐藤社長と今日話した内容をすべてお話ししますよ。ICレコーダーなんかなくとも1字1句間違わずに。社長のおっしゃるところの、いい大学出ているんで」

長く無言の時間が過ぎていく。そう長い時間ではないだろうが山本には永遠の時に思えた。隣の大熊は置物のように下を向いたままだ。
佐藤は、鋭い殺気を放ちながらも苦虫を噛み潰したような顔で、黙ってこちらを睨みつけている。

・・・こんな展開は想定していなかったし、自分もむきになりすぎたのだろう。そう自省する山本に耳に時計の針の音だけが聞こえる。
虎の尾を踏んだのかもしれない。しかし、もうそのカードしか残っていないのも事実だ。どう転ぶかは分からないが、おそらく今日は、これ以上話は進まない。
山本は大熊に目配せするソファからわずかに腰を上げた。

「・・・それでは、社長、本日のところはこれで失礼します」と立ち上がるや否や、佐藤が右手を挙げた。。

「・・・・・・まて」
大きくため息を吐き、言葉をつなげる。
「白銀さんに話をする必要はない」

山本がソファに座りなおすと、佐藤は話しはじめた。

「当然、今のままでよいとは思っていない。すでにメインや会計士などと相談して、会社の立て直し策は検討を進めているところだ。再建計画が完成し、関係者の理解を得るまでは時間がかかるだろうから、まずは私の経営責任として、毎月できうる限り返済していく」

あれほど恐ろしい殺気を放っていたのが嘘のように、肩をすくめて淡々と話しを続けていく。ただ目線は合わない。佐藤はテーブルの上に置かれた大理石のライターに話しかけているようだ。

「会社の利益返済として毎月150万円程度、私の個人弁済として毎月20~30万円程度。それでしばらく様子を見てほしい」

おそらく細かい計算などしなくても、今現在、道東総合建設ができるすべてだろう。元金だけでも50年近くかかる計算だが、社長が恭順の姿勢を示しただけで十分だ。山本はソファに浅く座り直し、背筋を伸ばした。

「わかりました。社長の言葉を信じます。また来週にでも、社長のご都合のよろしい日に3上いたします。具体的な今後の運びはその折にご相談させてください。それでは、今日はこの辺で失礼します」

山本の言葉を潮に張り詰めていた空気が緩んだ。
その後はお互いに通常の面談のようにお座なりな挨拶などを交わす。新人の大熊は腰を抜かしているのか、ヨロヨロしながら立ち上がり、大きく会釈をするなり、そそくさと退出した。次いで退出しようとドアノブをつかんだ山本は、振り返ると思い出したように佐藤に話しかけた。

「そうそう、社長、さっきの話ですが。実は函館の別の取引先でも同じ話を伺ったんですよ。10万渡したら人を殺すってやつ。函館では5万といわれました。根室で10万とは、私の命の値段も若干上がったんですね」

軽口のつもりが、言われた佐藤は青筋を立てて大理石のライターを握りしめている。調子に乗りすぎたと山本もそそくさと社長室を後にした。

長い廊下を早足で玄関に向かう。

建物内部は複雑に入り組んでおり企業の成長とともに、増築を繰り返してきたことが容易に想像された。本社は利益を生まないから金をかける必要がない、その1点は佐藤の考えに共感できるなどと思いながらなぜか面白くなってきて、山本は笑顔を我慢しながら玄関までたどり着いた。

病院のナースステーションのような、壁のない事務室があり、7,8人の従業員が全員起立して「ありがとうございました」と深々とお辞儀をする。ワンマン社長の教育のたまものだ。
山本も正対して、「お世話になりました」と深々とお辞儀をして帰る。

この手の儀礼的なふるまいを山本は好きになれなかった。
お客様を大事にするという精神論は一見立派なようであるが、おそらく佐藤は決して自分ではやらない。山本に限らずよほど重要な客以外は見送りもしないだろう。自分は決してやらない虚礼を部下には強いる、会社が傾くのは当然だろう。

玄関を抜け外に出ると、空が明るく澄んでいた。
先ほど室内では厚く深い雲に覆われていたのが嘘のようだ。やはり道東の天気は変わりやすい。気温は氷点下近いだろう。

遠くから煙のにおいがする。おそらくゴミか何かをドラム缶で焼いているのだ。都市部ではすでに廃れた行為だが、地方ではよくある風景だ。
山本も郷里で稲刈り後に藁を焼いている風景を思いだした。懐かしい香りだ。

駐車場へ出ると、大熊が既に車にエンジンをかけて、当然のように助手席で待っていた。
いつの間に降ったのだろう。駐車場には、ところどころ、うっすらと雪が積もっていた。
 

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