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【連載小説】稟議は匝る 2-3 札幌 2006年5月8日

白銀水産の本社屋は、古いが広くて高い天井の大理石造りだ。

どこかで見たことがある。そうだうちの銀行みたいだ。山本は誰もいないレンタカーの中でそう独り言ちた。全盛期を偲ばせる老舗の風格も、今は、むなしく見えるのも感傷か。


社屋内は、真冬なのに上着を脱ぎたくなるくらい暖房が入っていた。山本はすぐに2階の奥の広い社長室に通された。席に着くなり、コーヒーが運ばれる。老舗のプライドか、運ばれてきたコーヒーは、器も中身も高級ホテル並み。勧められるまま腰を掛けたのは本革の柔らかなソファ。応接セットの横には素人目に特注と分かる1メートルはある船の模型が鎮座している。


山本がつぶれる会社の教科書に載っていそうな社長室だと思った瞬間、失礼しますという挨拶とともに男たちが入ってきた。

まずは名刺交換。入ってきたのは白銀水産会長、社長、北和銀行から出向の専務、経理担当常務、そして藤沢の5名らしかった。

白銀水産の中枢を担う人物たちといっていい。もちろん皆山本よりずっと年嵩の男たちだ。


だが。

「このたびは、このような事態となって誠に申し訳ありません」

開口一番社長以下4名は山本に向かって一斉に頭を下げた。


気の強そうなご老体の会長は、姿勢を崩さずじっと山本を見据えていた。さもありなん。一代で年商300億円の大会社を築いた大物が、銀行の若造に頭を下げるのは矜持が許さないのだろう。


多角経営の失敗から200億を超える債務超過となった今も、かつて大型船の進水式には農水大臣も駆け付けたという過去の栄光を捨てきれないのだ。

だが道東に縁の薄い若造である山本でも知っている。栄華が過去のものになったとはいえこの辺りでこの会長を悪くいう人は現在でもひとりもいないことを。

母子家庭の7人兄弟の長男として、若いうちから苦労を重ね、昆布の漁業者から大水産会社を築いたサクセスストリーは地元で知らぬ者はいない。なによりも、成功したのちも常に鷹揚で、気風が良い。かつては「困ったときは白銀さんに頼め」という言葉もあったという。この地域の商人は、そんな昔の貸し借りの話で、今も白銀に頭が上がらないものも少なくない。


そんな父の若かりし日を模範にしたのか、腰の低い二代目の社長は話を続けた。

まずはこれまでの借入金の返済猶予について、ひととおりの礼が述べられた。その後現在、メイン銀行の北和銀行の指導により、赤字部門の廃止、遊休資産処分、従業員のリストラなどの経営再建計画を策定していること。その再建計画は取引金融機関に対し多額の債権放棄を要請する内容となることについて、お詫びと協力の要請がなされた。


定跡どおりの内容だ。だが必要な儀式ともいえる。山本もすべての言葉を生真面目な顔で相槌を打ちながら聞き続けた。相手を変え何度も繰り返したセリフなのか社長の言葉はよどみなく、どこか恬淡としているようにも感じられた。


予期せぬ会談も終わりに差し掛かるころ、社長室の大きな古時計が12時を告げ始めた。とたん社長の声は途切れ、皆が時計の鐘がなり終わるのをじっと無言で待つ。

このホールクロックは、ロシアの大使館からの贈り物だという。だがその時の山本にはその荘厳な鐘の音が沈みゆくこの会社の弔いの鐘のように聞こえてならなかった。


「山本君さあ。2月転勤でいなくなっちゃう里見君の取り引き先、次から君の担当ね」

どこか舌足らずに聞こえる直属の上司安藤業務課長ののんきな声がふと耳によみがえる。


すべては既定路線。特に美談でもない。単純にうちの銀行は十数年前、逃げ遅れたのだ。

弔いの鐘の音を聞きながら山本は述懐した。


経営再建計画に基づく返済猶予も、いうなれば問題の先送り。

現在、白銀水産の取引行として残っている金融機関は北和銀行とうちと国策公庫の他、全部で5行のみ。上位3行で再建シェアの90%を超えることから、あとの2行はおまけと言いて良い。公庫は立場上、再建計画に反対できないため、実質的に、うちが合意すれば再建計画は可決される。債権放棄は今となっては、やむなし。多角化も金がなければできない。つまるところ多角化のための融資をした我々金融機関も同罪なのだ。つくづく銀行は度し難い、と。


そんな客観的な事実はまずおいて山本は毅然として、はっきりとしゃべりだした。


「このたび御社の担当となりました山本と申します。御社の従業員、仕入れ販売先、地域社会への影響を鑑みかんがみ、基本的には再建計画に同意する方向で検討していきたいと考えております。ただし、前任も申し上げていたかと存じますが、債権放棄を伴う再建計画は、透明性、公平性を確保し、経済合理性を有していること、および経営責任を果たすことが前提条件となると考えております。引き続き、よろしくお願いいたします」


最敬礼の深さで下げた頭を元に戻すと、二代目の社長がポケットからハンカチを出して汗をぬぐっているのが見えた。


銀行員は慇懃無礼だという。そうだろう、おそらく真実だ。

でもこうとしか言いようがないのも事実だ。山本の先ほどの言葉は平たく言えば、債権放棄はしてもいいが銀行内部で説明しやすい理由をきちんと整理してください、と言っているのだ。合わせて、創業一族は経営責任を取って辞職および私財の拠出を忘れるなと念を押している。


そんなのは十分わかったうえで、そこはみな大人の対応だ。くれぐれもよろしくお願いしますといって儀式は終了する。


少し暑かったですか、だれか、暖房の温度を下げてくれ、いえいえ、私はもう失礼いたします、などと形式的なやり取りを終えて、山本は席を立つ。本社を辞する時には社長以下応接メンバーに玄関まで見送りされた。当然会長は来ない。


いつの間にか、みぞれが降っていたらしく、山本はいまさらと思いつつも水たまりをよけながら本社屋の駐車場にとめたレンタカーに向かった。すでに時間は午後。計画していた着任挨拶は大幅な修正を余儀なくされたが、不思議といらだつ気持ちは起きなかった。


車に乗る間際に藤沢が駆け寄り、白い息の小声でささやく。これから、ちょくちょく電話しますので、引き続きよろしくお願いします、と。こちらこそ、とささやき返して山本は車のドアを閉めた。


その後藤沢は三日にあげず電話してきた。


9割は雑談であるが、山本の頭がキュルキュル回転する音が聞こえるような、きわどい話を振られることも多かった。例えば、仮定の話ですが、山本さんの個人的意見をお伺いできれば、などと再建計画の感度を探ってくることも多い。これが、「御行の意見を伺いたい」であれば、本店審査部や支店統括部などといった煩いう本店にも稟議でお伺いを立てる必要もあり、何も言えなくなるが、藤沢の聞き方は常に上手かった。


そんなやりとりを3ヶ月も行うと、白銀水産の数字が山本の手にもだいぶなじんできた。

同時にこの藤沢の進退をかけたプロジェクトであろう白銀水産の立て直しを微力ながら支えたいという気持ちも膨らんでいった。

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