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脱サラドラマーブルース1

二日酔いなどしてないはずだが、2階と3階を間違えた。自分でも驚いた。

我がバンドのドラマーであり、渋谷のビアバーを経営するW氏。既に還暦を過ぎ、今年孫も生まれた温和な人物だ。
彼はかつてはかっぱ寿司の役員であり、広報としてテレビ局のCM撮影などにも立ち会っていた、俺のような一介の庶民にとっては凄いなと思わせる存在であった。

W氏との出会いで今のバンドにも入れたし、恩人と言える。

私が加入してから14年経つが、その間に傍目から見て、とても激しい人生の波に晒されている。
基本他人の事は書かないのだが、今回はこの人物について語りたいと思う。

福岡は博多の出身で、ドラマーを志して上京後、
印刷会社などを経てかっぱ寿司に入社する。
その後は順調に出世していき、50歳そこそこで役員に抜擢された。
私が出会った頃はその頃だった。  

音楽の始まりはドラマーのカウントからだが、彼の「ブルース」は買収から始まった。

牛角を経営する「コロワイド」がかっぱ寿司の「カッパクリエイト」を買収すると言う話がやおら飛び出したのだ。2014年の事だ。
同業第5位の「元気寿司」との経営統合の話を白紙に戻してのTOB(株式公開買い付け)であった。翌年10月にかっぱ寿司はコロワイドに買収される事になる。

こうなれば当然買われた会社には粛清の嵐が巻き起こる。役員だったW氏は報酬半減、降格と言う憂き目に遭う。

大宮在住にも関わらず、横浜エリアのマネージャーを任命される。かつて経験した役職に戻された格好だ。しばらくウィークリーマンションを借りて通っていたが、程なくして退職した。

これは大分後になって聞いた事だが、W氏の義父は、かっぱ寿司の創業者である徳山氏だったのだ。回転寿司黎明期、他店がベルトコンベアーで寿司を回していた時に、水流で皿に乗せた寿司を回す方法を考案し、その様がかっぱか泳いでいるように見えた為、かっぱ寿司と命名したのだそうだ。既にかっぱ寿司を去り、他の食品関係の会社を経営していた徳山氏により、W氏はコンビニ弁当の工場長になっていた。

基本的に月一のバンド練習の時にしか会わないし、それ以外ではそれほど密にやり取りしている訳でもないので、この辺りの動きは目まぐるしく思えた。

しかし、W氏と私はバンドで出会う前にも実は近いところにいた様で、かつて地元北戸田のジャスコ(今はイオン)にあった島村楽器によく通っていたのだが、その2階にかっぱ寿司があり、W氏はそこで店長を勤めていた事があったそうだ。
休憩時間に仲良くなった楽器屋の店長に頼んで、気分転換にドラムを叩いていたりしたらしい。
因みに、ベースのK氏もその店のスタジオで当時別のバンドの練習をしていたと言うから驚いた。

リズム隊とボーカルの3人が互いを認識していない状態で同じ店にいたかも知れないと言うから人の縁は不思議なものだ。

コンビニ工場の長に収まったW氏だが、程なくして渋谷にビアバーを出店する事になる。
徳山氏の所有する宮益坂の雑居ビル。懐かしい「新堀ギター教室」の看板が未だ残っているこの物件の地下1階が使われていない状態だったので、そこで店を構えてみてはどうかと。

そして2016年6月、渋谷宮益坂にビアバー「Jem Style」が開業する。
この年は、同じメンバーのO氏が結婚し、京王プラザホテルの宴会場で余興としてWONKYで演奏したのも思い出深い。
この「WONKY」と言うのがバンド名だ。結成当時のメンバーの名字の頭文字をつなげたのだが、私の名前は入っていない。だが私はこの名前が気に入っている。初代のボーカルのNが真ん中に入っているが、私の頭文字はKだし、名前はTなのでTだがどちらも当てはまらない。そこで「何でも歌えるT」だと言ってくれたのもW氏である。人柄が滲み出るエピソードだ。少々無理があるが。実は英単語にも存在しており「ぐらぐらする よろよろする」などの意味合いだそうだ。

かくして「Jem Style」は30種という豊富なビールのラインナップを売りにして、宮益坂に出店する。


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