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大学院生がフィリピン旅行から学ぶこと

はじめに

立地が日本に近く、歴史的な繋がりもあり、人々の交流も盛んなフィリピン。そして近ごろ、東南アジアの中で格安航空券が手に入りやすいことでも(私のなかで)注目のフィリピン。そんなフィリピンはマニラに、6日間バックパックしてきました。2022年12月8日から13日までです。

今回のフィリピン訪問からは、格差社会・多文化混在を強く感じました。

そんなフィリピンで感じたことを、「人間の安全保障」に携わる大学院生が、アカデミック調に振り返ります。

ぜひ最後までお読みください!

旅程

今回は、次のような旅程でフィリピン・マニラを回りました。

  • 12/8:JALのマイレージ交換で羽田→伊丹。電車で関空へ。エアアジアZ2189便でマニラ(コラソン・アキノ)空港へ。

  • 12/9:チャイナタウン(記事トップの画像の場所)→オールドマニラ(下の写真)観光
    友人の紹介で日本人の駐在の方とディナー

  • 12/10:タガイタイ観光

  • 12/11:マカティ(最富裕地区)、遊園地

  • 12/12:Japanese Garden, Chinese Garden訪問
    パエリア食べる

ハイライト・大変だったこと

  • マニラ大聖堂はとても荘厳

  • 日本食だらけ。ラーメン・吉野家は味変わらん。

  • ちょっといい店でパエリア。ぼっちで気まずかった。

  • 一人遊園地。”Are you alone?”と3,4回聞かれ気まずかった。

  • 少し怖かったけど一人でジプニーに乗れた!(下記参照)

感じたこと

冒頭にも書いたように、マニラを旅していて感じたのは、格差社会がどんなものであるのか。そして、多文化が混在しているおもしろさです。わかりやいように工夫して、アカデミックに書いてみましょう。

①階層ごとに形成される対立する異空間、「二重公共圏」

マニラは、エリアごとに全く異なる空間が存在しています。マカティは日本の六本木。チャイナタウンはデリーで見たような景色が広がっています。さらに、私が訪れなかった場所には、ゴミ山で生活する人々もいるとか。このように、マニラには歴然とした階級の差が存在しており、それぞれの階級の人々が全く異なる空間の中で生きています

この様々な「異なる」「空間」を、言説(語られること)に着目して二つに分類し、「二重」「公共圏」と表現している論文があります

「公共圏」とは、「人々が『共通な関心事』について語り合う空間のこと」(コトバンクより)です。つまり、同じ関心事について議論が交わされる空間を公共圏と呼びます。

この「公共圏」が「二重」に存在しているのがマニラだというのです。日下(2008: 423)は次のように言っています。

フィリピン市民社会の公共圏を、「市民的公共圏」と「大衆的公共圏」によって構成された「二重公共圏」として概念化したい。フィリピンでは、言説が通用するアリーナが(流暢な英語と現地語)、メディア(英字紙と現地語紙、英語番組とタガログ語番組)、教育(私立学校と公立学校)、居住地(守衛付きの分譲地と不法占拠地)などの差異によって階層的に分断されがちだからである。こうした公共圏の分断性は、階層間の実質的な「対話」や「討議」を妨げがちである。もっとも、それぞれの公共圏でも多様な言説が競合しており、それらは決して均質な言説空間ではない。
日下渉(2008)「フィリピン市民社会の隘路 ー『二重公共圏』における『市民』と『大衆』の道徳的対立ー」

このように、フィリピンには、上位階級による「市民的公共圏」と庶民・貧困層による「大衆的公共圏」で、語られることが共通する「公共圏」が二重に存在します。

その二重公共圏をもつフィリピンでは、片方の公共圏に属する人々(「我々」)は、もう片方の「彼ら」を正当でないとみなし、両者の人々は道徳的に対立しているといいます(日下、2008)。

このように、経済格差により形成される「二重公共圏」は、敵対的な社会を形成します。

私は、このようなマニラを歩いていて、たとえ富裕層が住む治安のよいエリアであっても落ち着かない気持ちでした。その華やかさが貧しい人々を挑発しているように感じたのです。

そして、そこを安全に歩いていることに罪悪感を感じました。この繁栄は、貧困地区の人々の犠牲の下で成り立っている。そんな感情を終始感じていました。

②文化的多様性 西米中日韓…

フィリピンの文化について感じたこと。
(*あくまで感想です。学術的なものではありません。)

フィリピンには、もともと住んでいた先住の人々、渡ってきたマレー系移民、華人、植民地支配したスペイン人、戦時中に支配した日本人、戦後支配したアメリカ人など、本当に多様な民族の文化の影響を受けていると言われています。

行ってみた感じは、フィリピン文化は、東南アジアらしいフィリピンの文化と、250年支配していたスペインの文化が基盤にあり、そこにアメリカ、中国、日本、韓国の文化が共存しているイメージでした。

スペイン植民地時代の教会などが観光地とされている一方、アメリカ軍が残していったジープを使ったジプニーと呼ばれる乗り合いバスが走っていたり、そこらじゅうにセブンイレブンがあったり、街角の屋台では肉まんが売ってたりします。共存しているのか融合しているのかは判断に戸惑うところですが、この混合している感じは興味深かったです。

しかし、このうち「スペインの文化」に関して興味深い論文を見つけました。

それによれば、フィリピンには単にスペインの文化の影響を受けたのではなく、「アメリカ大陸を経由したより重層的な『スペイン文化』が届いたと言える」というのです(井上、2020: 63)。

しばしば使われたスペイン語がメキシコ特有のものであったり、アメリカ大陸での布教経験がフィリピンでの布教活動に影響をもたらしたり、また食べ物についてもアメリカから来たものがあると言います(井上、2020)。

フィリピン文化が、上に書いた民族のみならず、メキシコやラテンアメリカの影響を受けていると思うと、本当に世界の文化の結節点がフィリピンだということになります

みなさんもぜひ、世界の文化が交わるフィリピンを旅してみてください。

③マスクをする国しない国 マスク着用率は日本並み

最後に、マニラを旅行しててとても驚いたのは、人々の多く(6〜7割)がマスクをしていたということです。

2022年に訪れた、インドやオーストラリア、ルワンダはほとんどの人がマスクをしていませんでした。

ではなぜフィリピンではマスク着用がここまで定着しているのでしょうか。

もともとの文化の違い?コロナに対するイメージの違い?政府の強権?マスクの手に入りやすさ?

様々な仮説が立ちますが、調べた限り有力な文献はありませんでした。何かご意見・情報がある方は教えてください!

終わりに

フィリピンのマニラを歩いている際、その社会にとても強い何か特異性を感じました。それを生み出しているのが、格差と文化だったのだと思います。

今回、実際フィリピンを訪れてみて、格差がどのような帰結をもたらすのかということ、また、文化的な特徴がその都市に面白さを生み出すということを肌で感じることができました。

このように、旅はいつも私に新たな問題意識を与えてくれます。それが私の研究の原動力です。

参考文献

日下渉(2008)「フィリピン市民社会の隘路 ー『二重公共圏』における『市民』と『大衆』の道徳的対立ー」『東南アジア研究』46-3 p.p.420-441

井上幸孝(2020)「フィリピンへのスペイン文化の移入についての予備的考察」『専修大学人文科学研究所月報』305 p.p.49-68

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