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大学院生がインド旅行から学ぶこと
旅の概要
私は、2022年6月6日から13日までの8日の日程でインドのデリー・アグラ・バラナシを旅行してきました。インドには独特の世界が広がっており、発想力を上げる格好の場所だという前評判を受けて決行。そして実際行ってみてインドには想像をはるかに上回る混沌とした世界が広がっていました。そこで感じたことを、ややアカデミックに結び付けて共有します。
旅程
まずは、8日をどのように過ごしたのか、シェアします。
1日目: JALでデリー国際空港へ。ゲストハウス、サンタナデリーにチェックイン。街ブラしてたら詐欺の旅行会社に連れてかれる。ゲストハウスにもスタッフは一人、客も私だけ。とても心細かったけどそのスタッフと仲良くなれた!しかし、使えると思っていたAhamoが全然繋がらない!8日間スマホなし生活…。
2日目: デリー探索。国鉄のチケットを買いに行ったら半ば強引にリキシャ(自動3輪)に乗せられ、変な旅行会社に連れてかれる(学ばない笑)。インド門とショッピングモール訪問。
3日目: アグラへ。タージマハルとアグラ城を見学。デリーから往復国鉄。帰りは駅に早く着きすぎて猿が闊歩する深夜のホームで3時間待つ。
4日目: 疲れすぎたので休息日。半日寝る。夜だけmomoという餃子みたいなものを屋台に買いに行く。
5日目: Indigo航空でバラナシへ。サンタナのバラナシにチェックイン。PCR検査受ける。ガンジス川の火葬場など見学。
6日目: 朝5時に起きて、ガンジス川下り。大学や寺院など見学。
7日目: バラナシからデリーまでspicy jet。デリーからはJALの深夜便で日本へ。
8日目: 羽田から帰宅。
このように、刺激的すぎる8日間を過ごしました。
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辛かったこと
あてにしていたAhamoがインドでほとんど全く繋がらなかったこと。インドはAhamoの対応エリアだったのですが、ほとんど使い物になりませんでした。同様のことはマニラでも起きました。途上国での海外ローミングは厳しいのかもしれません。(オーストラリアでは繋がりました)
(参考:https://ahamo.com/services/roaming-data/index.html)食べ物の選択肢が少なすぎる。インドのごはんは基本カレーでした。何カレーにするかで現地人は迷います。また、宗教上の理由から、豚肉(イスラム教でタブー)と牛肉(ヒンドゥー教でタブー)はほぼ手に入りません。カレー以外も、食べ物はほぼカレー風味でした。
暴力的な動物がいたるところにいる。道のいたるところに野犬。通りに3頭は牛。上を見上げれば猿。このような環境です。そのため糞のにおいが結構きつかったです。
熱い。行った当時、デリーの気温は40度前後でした。湿度がない分、日本の40度とは比較になりませんが、容赦なく熱気が太陽から注ぎ込まれます。かといってクーラーにきいている場所も少ないです。なので、私は木陰で休むことが多かったです。
誰を信じたらいいの?私に話しかけてくる人はみんな旅行会社に連れて行こうとします。靴屋で話しかけてきて仲良くなった風になった人もグルでした。みんなそろいもそろって"I am GOVERNMENT STAFF"と言います。『地球の歩き方』だけが頼りでした。
このように、終始気を張り詰めて生活していました。しかし、このようなインドの洗礼を受けるにつれ、熱気と狂気に満ちたインドにしだいに愛着が湧いてきた日々でもありました。
今は早くインドに帰りたくて仕方ありません。
感じたこと
私は、そんなインド旅行から様々なことを感じました。インドのカオス、雑踏、サバイバル、カレーだけの日々…。そこから得た発見を、大学院生らしくアカデミックに表現してみました。
感じたこと①:包摂的混沌
インドの街を俯瞰してみたときに見える姿は混沌、カオスです。様々な特性の人、動物、カレーのにおい、糞のにおい、砂ぼこりなどが混ざり合い、街を形成しています。
しかしどうでしょうか。これらは「排除」されるべきなのでしょうか。このようなインドの街では、手足のない方も、牛も、観光客も、如何なる生命がある種妥協しながら生きています。しかも、その関係性は比較的対等です。
確かに、歴史的なカースト制度に由来する不平等はあります。インドではかつて、人々がカーストに分類され、その権利は不平等に配分されました。しかし、それも絶対的ではなくなった今日、私は実際に見てみて、権力というよりも職業的な棲み分けとしてのカースト意識なような印象を受けました。(詳しい方、何かご存じでしたら補足お願いします。)
日本はこの点どうでしょうか。例えば日本政府が外国人を「包摂」する(排除の反対)というとき、それはどこかで日本人>外国人という非対称的な(不平等な)構図が出来上がってはいませんか?人間以外の生命に関してはなおさらです。なんという自己(マジョリティ)中心的な社会でしょうか。
これは私の感想にすぎず、学問的には更なる調査が必要です。しかし、私はインドには包摂的混沌が形成されていると感じました。
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感じたこと②:生き抜くために必要な賢さ
2つ目は、知識の重要性です。
インドの人は商魂猛々しく、私を騙そうとしてきました。彼らの営業テクニックはあっぱれなものです。巧みな話術や、適切な場所・時間で私に詐欺の商品を売ろうとするのです。
巧みに騙そうとしてくる彼らは、このように賢いのです。そして、きちんとした住居に住めています。一方で、スラム街も存在します。無論、詐欺は良くありません。旅行者としては一刻も早くやめてほしいです。しかし、頭のいい人が生き残っているという現実があります。
そして、さらに頭のいい人は、この生存競争をさらに有利に進めます。IT産業に従事したりして、日本人よりも良い生活水準を謳歌します。
私が研究の基盤にしている「人間の安全保障」は、人間一人ひとりの生存・生活・尊厳に着目します。この「人間の安全保障」の改善のためには、知識・教育が重要であることが改めて感じられました。
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感じたこと③:国民統合の難しさ
最後に感じたことは、インド国民を統合することの難しさです。というか、「インド人」をめぐってある種の排他性があることがわかりました。
インドは都市によって全く異なる様相を呈していますし、私はまだ行っていませんが、南インドやベンガル地方はもっと違うといいます。この広大で多様なインドにおいて、どのように人々は統合されているのでしょうか。違う言い方をすれば、「インド人」とは何なのでしょうか。
多くの人はヒンドゥー語を話しますが、話さない人もいます。飛行機の中で隣になったおじさんに、「ヒンドゥー語しゃべれねー奴はインド人じゃねー」と言われました。大きな声で際どいこというの止めてくれと思っていましたが、このような意識を持っている人がいるということはよくわかりました。
日本は、世界190以上ある国の中では、統合という面では恵まれていると気づかされました。国土は広すぎず、似た歴史を共有し、言語も限られています。〇〇人と括ることの複雑性を理解することができました。
考察・おわりに
このように、インドで見たもの、感じたことを振り返ると、その社会の美点、課題を垣間見ることができました。
アカデミックの視点を持ったうえで異国の社会に触れると、より社会の深層に迫れるような気がしました。
しかし、インドに詳しい人からすると別の考えがあると思います。ぜひ、これを読んでいる皆さんのインド観をシェアしてください!
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