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[#タクツツレヅレ (5)] こどもおとな

 

お久しぶりです。

成人の日なので、「大人」に関するテーマで書いてみました。


私は果たして大人なのか?

私は現在21歳なのですが、時おり友達から「大人っぽい」と言われることがあります。
で、内心調子に乗りながら、「いやいや、おれなんてこどもおとなですから……」と謙遜することがよくあります。

「こどもおとな」って、なんだそれ。どっちなんじゃい。

この言葉の真意は、おそらく「自分はまだ大人だと思えない」ということなんでしょう。

法律上は、私はもう成人です。
自らの判断で契約を結ぶことができるし、親に権利を制限されることはありません。

しかし、それでも私は大人だと思えない。
というか、そもそも大人って何なんだろう。全然わかりません。


大人になった気がしない

振り返ってみると、中学生・高校生だった頃は、「20代になったら何か特殊な力によって私は一人前の人間になっていることだろう」と、漠然とした楽観論を信じていました。

でも現実には、歳をとっただけな気がします。

あれ?もう20歳?…えっ?21歳なんですか???

全然大人になった気がしません。


定義を探しても無駄

そこで、「大人 定義」とか、「大人 子ども 違い」とか入力して、ググりました(ググレカスと言われないように)。

だいたい予想してましたが、全然わかりませんでした。

意見がもう三者三様に分かれています。
いや、三どころではない。n者n様。

もう禅問答というか、テツガクの世界になっちゃうのですね。


結局子どもの延長なのだろうか

色々考えてはみましたが、今の私は結局「子どもの延長」としか思えません。
だから、やっぱり「こどもおとな」。見た目は大人、頭脳は子ども!

まあでも、少なくとも突然大人になる人はいないと思います。
「気づいたら大人になってた」。そう思う人が大半なんじゃないかねぇ。(もしくは私みたいにずっとそう思えないか。)

そう思うと、「砂山のパラドックスみたいだね」って感じで気持ちに整理がつきます。一歩一歩大人に近づくけど、一歩進んでも依然として子ども…。

補足:砂山のパラドックスとは
砂山から砂粒を個々に除去していくことを想定する。ここで、次のような前提から論証を構築する。
「砂山は膨大な数の砂粒からできている」(前提1)
「砂山から一粒の砂を取り除いても、それは依然として砂山のままである」(前提2)
前提2を繰り返し適用したとき(つまり、毎回砂山の砂粒数は徐々に減っていく)、最終的に砂山の砂粒が一粒だけになる。前提2 が真であるなら、この状態も「砂山」だが、前提1 が真だとすれば、このような状態は「砂山」ではない。これが矛盾である。

Wikipediaから引用(ごめん)

あと、付け加えると、大して経験も積んでいない若造が「おれは大人だ!ガハハ」とか威張ってたらかっこ悪いよね。…という単純な気持ちもあり、なおさら自分が大人だとは主張できないわけです。


オチは無いよ、ごめんね~


結局あれこれ考えて「よくわかんねぇな」で終わっちゃいました。

なんにせよ、これからも私は「いやいや、まだこどもおとなですから…」と謙遜し続けることでしょう。

というわけで、またね。

おなかすいた~。なんか食べてこよ。


街中で見つけた雪だるま

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