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時間としての、空間としての、生態系としての、そして後悔としての大学

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とうとう……というか、やっと……というか、いずれにせよ、私は大学を卒業してしまった。

学部生としての4年間が終了することになる。私は進学するわけではないので、大学という場所にも別れを告げる。

さて、4年間も学びというものを続けてきた人間にとって最も重要な命題とは、「大学から何を得たか」である。私はこの先に広がる時空間へ何かを持ち帰ることが出来ただろうか?

まあ、「部分的にそう」といったところだ。確かに得たものは沢山あっただろうし、色々なものを知ることができた。しかし。

しかし、今自分に付き纏っているのは後悔。これに他ならない。もっと得ることができた。妥当な努力でもっと沢山のものを持ち帰ることができた。

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4年間という期間は、今になってはとても短く思えるが、実際には長い。1,461日もある。つまり私は大学在学中に1,461回起床し、就寝したことになる(実際にはもう少し目減りしているかもしれないが)。

だが、こんな事、普段は考えもしない。外圧の無い自我は〈今、ここ〉に集中することしかできない。あいにく大学の門は常に開かれており、心地よいそよ風と、キャンパスを見物しに来た人々、信号を避けるためにと侵入する通勤者たち、そして私には到底対処のできない自由という大きなうねりの中で、ただ自我が溶け出さないようにと気を配ることしかできなかった。

私は何者か。何が私という存在を規定しているのか。私のすべきことは一体何なのか。

「自己の傾向性を統御する主体的理性的行為者」とか、そういう「ひとりでに妥当な行為が高い確度で行えるような人」みたいなものは、私にとっては全く与り知らないもので、結局どうなったかといえば、最低限の課題をこなし、時には締切を忘れ、毎晩人気のない街をふらふらして、満足したら帰って惰眠を貪るような、そんな暮らしぶりの怠惰な学生だった。何せ、課せられた使命、あるいは使命を果たさんとする責任、そういうものが何にも分かっていなかったのだから。

学生の本分は勉強、というのはよく言われることだ。では、果たしてどこまでが勉強なのか。

「人生は勉強や!」という人がどこかにいた気がするが、そういうこと? ……「人生におけるあらゆる経験が勉強になり得る」ってこと? ……でも、勉強と一口に言っても様々な形態と区別があるのだし、やはりアカデミックな学びとしての勉強を行うのが学生というものであってほしい。

……と、今になっては思えるが、こう思い至るようになるまで、沢山のものに手を出してきた。サークルを転々として課外活動の定住地を探したし、色々な人と出会おうとしたし(ついぞ大学内で友達はほとんど出来なかったわけだが…)、インターンシップ、就活イベント、そういう「社会に出ましょうね」と誘ってくる種々の事柄についても喜んでそちらに向かったし、怖いもの見たさでカルト団体に接近してみたりもした。

それら全てが決して徒労に終わったわけではないが、就職先が決まってふと過去を振り返ると、どうしたものか、本気で学問に励んだ記憶がまるで無いような気がしてきた。

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卒業までの2年間は、卒論執筆のためのゼミがあった。私が所属していた研究室では、研究室所属の教員らがそれぞれ「ゼミ」を開催しており、しかも研究室の学生数十名に対し、教員は十名弱居たものだから、私が参加していたゼミは片手で数えられるほどの少人数ゼミであった。

ゼミでは各々がまとめてきたレジュメを読み上げ、指導教官が講評を行いつつ、議論を深めていく。

正直、私はこのゼミが苦手でたまらなかった。他の学生は、日々研究に明け暮れ、教官と深い議論を繰り広げる。だが私には何を話しているのかがさっぱり分からない。単なる「分からない」なのではない。「何が分からないのかすら分からない」。ゼミが終わった後、私はキャンパスの美しい景観と文化的な雰囲気に晒されながら、毎度打ちひしがれた想いで逃げるように帰っていったのを憶えている。

しかし、このような経験を重ねるにつれ、「本気で学びに向き合うとはいかなることか」という問いが少しずつ見えてきた。それは、「分からなさ」の深遠な洞窟を掘り進めるようなもので、とにかく粘り強く考え続けることでしか歩みを進められない。そのように考えた。そこで感じたのは、大きな苦しみと儚げな喜びだった。

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やっとのことで歩み始めた学問の道(この際洞窟でもよい)は、どうも進むたびに豊かになるようで、卒業論文執筆時にはかなりの知的興奮を覚えた。ゼミで話すのも、研究室で話すのも、とても楽しい。いつもは「(応答なし)」になっている頭がフル回転している。

あらゆる事物や思考に繰り返し直面し、自らの思考を限界まで振り絞って、やっと見えてくる少しばかりの示唆。それらを砂金のようにかき集め、一つの意見として同志のもとへと輸出する。さらに、この一連の過程を時間の許す限り反復していく。やがて、荘厳で堅牢な総合知が出来上がっていく。そうか、学問の「深み」というのは、そういうものなのか。

さて、こうした発見が幸いしたのかは分からないが、私はそれなりの卒業論文を書くことができた(無論、苦しみながらではあるが)。同期からは面白いと言ってもらえたし、あわよくば、修正ののち学術論文としてジャーナルに、というお話も頂いた。

初めて、大学で報われた気がした。しかし……。

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……もっと早く気づけばよかった。気づくのが遅すぎた。

大学というものは、自然豊かな公園ではないし、責任なき自由をもてあそぶ所ではないし、何らの金銭もかけず居座れるものでもない。大学は、学ぶためのものである。愚かしくも、私はこの端的な事実を4年の暮れに悟ったのだった。

その事実に気づく前の種々の行為は、言ってしまえば、無意味に等しいものだと感じた。意味や自覚のなく得られる認識は総じて空虚なのであり、本質を理解せずに行う勉強は、その実的営利を除けば全く空しいものだ。

だから私は、卒業に際して「もう卒業するのか」と考え、「なんか卒業した実感ないよね」と軽口を叩くのである。だって、ほとんど何もしていないのだから。

しかし、やはり同時に私は気づいているはずだ。その軽口の下には、あまりにも大きな後悔が沈潜している。

私は大学を卒業してしまった。

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