飛ぶ感覚

 今、わたしは文を読んでいる。この黒く縦に羅列された文字の並びに目を通している。ところが、一度この黒く細い線で描かれた文字たちに目を向け、その意味するところを読み取ろうとすると、わたしは立っているのか座っているのかそれとも寝転んでいるのか、そんなことすら忘れてしまう。
 試しに、この文章から目を上げてみよう。いや、君は目を上げただろうか? この文字の羅列をまだ見ているのであれば、君は目を上げてはいない。だけれども、わたしには、この文字たちの向こうに見える部屋の景色の諸々がありありと思い描けるはずだ。いや、実際思い描いた。
 なんら特別なところがないただの黒い線の集まりであるこの黒い文字たちによって、わたしの頭に思い描き出されるものは、一体何物なのだろうか? 人はこれをイメージだと言う。だが、ただのイメージが、あなたの今ある身体状態を忘れさせてしまうほどにまで、身体に影響するのだとしたら、このイメージは実体を持たないとは決して言えまい。いわんや、わたしは物語が人間の身体に与える影響というものを知っている。この文字の羅列に目を通しているわたしは、手、足、腹、背中、頭という言葉のいちいちに反応し、それらに意識を向けることができる。そして、背後から頭をぐわっと鷲掴みにされて硬い床にひどく打ちつけられたと目にすれば、髪の毛をぐしゃぐしゃにされながら頭を掴まれた感覚ばかりか、額に重たい感覚を感じることもできる。
 わたしは今、立ったり座ったり寝そべったりしているというのに、このように、わたしの今ある状態とはまるで違うような感覚を身体に感じることができるというのは、一体どういうことだろう? わたしの身体は、わたしとは不可分のものではなかったのだろうか? だけどもほら、また今、わたしは立っているのか座っているのか寝そべっているのかを忘れてしまって、こうした文字を目にしたからこそ思い出せる。それでは、感覚的にここにいるということが不確かなわたしとは一体……?

「おい、君」

 誰だ。誰かがわたしを呼んだ。わたしの中には男の人の声が響いた。左に目を向けると、そこには黒い人かがぽつりと立っている。あなたは誰だ? 誰なんだ?
 だがそれはすぐに霧消する。わたしは再び、いやずっとこの文字を見つめる。だが男は確かにそこにいた。わたしはそれを見たしそれを聞いた。そこにいて、わたしの耳に声が響いた。彼は一体何者で、その彼を生んだわたしは一体どういう存在なのだ?
 想像は実体なき実体を作り上げ、この感覚を揺さぶりにかかる。この想像を作り出すものはわたし自身に他ならない。文字はその契機に過ぎない。文字からわたしは意味を読み取り、それを想像し、今いる現実とは別の実体を作り上げる。
 ここにおいて、わたしは新たなる、今わたしがいるはずの現実とは全く別の経験を生きることになる。この想像が作り出した揺さぶられる感覚という実体。感覚はこの身体を飛び出し、想像上の実体なき世界に降りたって、実体を作り出す。
 物語というのは、結局こういうことであった。新たなる実体。ここにはないものがわたしの感覚を通して語りかけてくるという実体。わたしは相変わらずこの黒い文字を見つめ、目を滑らせている。だけれども、額と見れば、前髪のかかった、もしくはかかっていない、自分の額を意識するし、手と見れば、この文字の浮かび上がっている画面や、もしくは紙を持つ手を一瞬認めることになるであろう。そして、さらにその手触り……かちかちに硬いのか、それともぺらぺらに薄いのか、いや、自分が手にしているものをも無視して、ここに書かれている言葉の一つ一つに反応して、その感触をありありと思い浮かべることができる。こうしたわたしの感覚を震わし、揺さぶることが、実体のあるなしにかかわらず、物が語りかけるということであり、新たなる実体を作り出すということであって、この肉体を通り越して全く別の新たなる身体を獲得することができる本来のわたし自身に帰る可能性を見出すということである。
 感覚は飛ぶ。その飛ぶ感覚に追随する意識こそが、本来は脳髄回路の外にあるものを指している言葉であるはずの精神であり、わたしの本来の可能性を秘めている創造する精神である。

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