世間の底辺から、上辺0.5%へ上がる方法
はじめに
こんにちは、たくろうです
僕は、今でこそ、
・長らく働いた外資系企業でトップセールスとして業務
・外資系日本法人の売上を牽引する営業部の部長としてマネジメントを経験
・部下を、入社後1年でいずれもトップセールスに育て上げる
として勤務し、年収3000万以上のオファーをいただけるようになり、
現在は2社経営する身となりました。
実は、最初からこうだったわけではありませんでした。
幼少から高校時代
家は普通の会社員家庭で育ち、超貧乏というわけではありませんでしたが
小学校から塾に行き、いい中高に行き、大学は京都の名門大学に進むように言われて育ちました。
ですが、もともと狙っていた中学から偏差値を20弱下の同志社に合わせるも、大失敗。自分でも愕然としました。親戚は有名中高一貫から京都大学へ入学するものが多く、親はかなり肩を落としたと思います。ちなみに、両親は同志社大学出身なので、これもダブルでショックだったかもしれません。僕自身も、この時はショックすぎて、両親と祖父母に受験を失敗したことを話すシーンを昨日のことのように覚えています。
車の助手席に座る僕。母が運転する車の後ろに、祖父母が乗っています。
「だから言ったやないの、あの時もっと勉強しなさいって」と、祖母。
「・・・・・」、私。
「○✖︎△○✖︎△○✖︎△・・・」、祖父(今は、もう何を言っていたか覚えていません)
「・・・」、私。
ショックすぎて、でも、結果は何を言っても変わらないし、と逡巡しながら何も返す言葉が出てきませんでした。補欠合格のラインにもかかっていましたが、縁というのはこういうもの。もちろん、中学側から連絡が入ることはありませんでした。
そこから、努力しても報われないのだと自暴自棄になり、全く勉強しなくなりました。
滑り止めの中高一貫校に通うようになりましたが、高校に上がる際に素行不良(大したことはしていませんが、お坊ちゃん学校だったので、厳しかったのだと思います)と評価されてしまい、付属の高校には進ませてもらえませんでした。
そして、高校はまた違う私学を受験しました。確か、「サザエさんの家系を書きなさい」「パリ・ダカール ラリーは、どこから、どこまでですか?」など、ひどい問題が出たのを、いまだに記憶しています笑
「こんな問題誰が間違うんやろ・・・笑」と思いながら、問題を解いたのを記憶しています。しかしながら、なんとこの時点ではカツオをサザエさんの子供だと思っていました(汗)
なので、サザエさんの家系の問題は、全て不正解!
今に至っても、興味の無いことは、とことんまでに気に留めない、自分の性格は昔から変わっていません。なので、まだ日本の一般常識でも、私は間違って認識しているものが沢山あると思います・・・。
高校を卒業した後は、センター試験なども全く受けずに、アルバイトで食い繋ぐようになりました。
そしてその後、父親とはどんどん関係が悪くなり、とうとうある日、
「だれに食わしてもらってると思ってるんだ!」の一言に、
こちらも頭に血が上り、トラックをレンタルして、ギターとCDと少しの衣服を荷台に積んで、その日のうちに家を出ました。
「食べさせてやってるからって、偉そうにするんじゃねぇ、クソ親父!!」
これが、その時に純粋に感じた気持ちです。なので、僕の子供たちには、この言葉は絶対にかけないようにしようと思っています。
そこからは、鳶職をしたり、バイク便をしたりと、給料が少しでも良い仕事に飛びついては辞める、そんなその日暮らしが続きました。
自分が稼いだお金で暮らしていけている、そんな状態に満足しながらも、
「このままで歳を重ねていって、本当に大丈夫なんだろうか・・・」
という、漠然とした不安がいつも頭の上をふわふわしていました。
最初の変化の時
そんな人生を送っていましたが、これではダメだと、その時の彼女(今の妻です)にもいい諭されて、どこかの会社の正社員になろうと、かなりたくさんの企業に履歴書を送りました。しかし、当たり前ですが全滅。
正社員で働くって、なんて高い壁なんだと、打ちひしがれました。
何度も何度も、履歴書を書いて送っては、返事ももらえない日々。
「正社員で働く道は、僕には拓けていないんでは無いかも・・・」とまで、考えるようになっていました。
そんな中、もしかしたら資格を取ればどうにかなるのかもしれない、そのように思いつき、とプログラミングの勉強をバイトの合間に勉強を始めました。
プログラミングは元々、小学生の時にやっていたこともあったのか、スルスルと面白いように頭に入ってきました。
そして、VBという言語を覚えたころ、
「給料は払わないけれども、会社に来て良い」
「会社で請けた仕事をやりながら、適切なタイミングで出向の仕事に組み入れてやる。そうなったら、給料を払ってやる」
と言ってくれた企業へ、弁当持参で通うようになりました。まさに、手弁当笑
この時の気持ちは、「もうなんでもいい、仕事に就ける可能性のあるところにいながら、さらにプログラミングの腕を上げていこう」そう考えていました。
そして、その会社で無休でプログラミングをする日々を送りながら、他の会社の面接を隠れて受けていると、
「うちなら給料払ってやる」
「生産管理も勉強させてやる」と言ってくれた社長さんがいて、その会社にようやく入社することができました。
『手に職をつければ、お金になるんだ!』
と、初めて感じた瞬間でした。
とても嬉しくて、この社長さんに一生ついていこう!と思ったことを記憶しています笑。我ながらその頃から、惚れやすい/その気になりやすい性格なんだなぁと、今でもクスクス笑えます。
営業への転職
1年弱、プログラミングを勉強して、そんなこんなで生産管理のSEとしてキャリアをスタートしたわけですが、給料は本当に安かった。手取りは15万くらいだったと思います。
「1ヶ月働いても、十万円ちょっとか。これだと、全然食べていけない・・」
もちろん、昇給を目指して働くのが一般的かもしれません。ですが、何年も働いて、もちろん仕事が重なる時は徹夜して・・・・、その後、毎月ペラペラの給料袋/振込金額を見ると、とても悲しくなりました。
「これじゃ、何やってるのか分からない」
「もっと、お金を稼げる仕事に就かなきゃいけない!!」
そして一念発起して、営業で稼ごう!と、その頃むちゃくちゃ体育会系だと言われていた光通信を受けました。そして、ITの知識を買われて、その頃世間を賑わしていたIP電話(実態は、ビジネスフォンのリース販売)の事業部に配属されます。
噂通り、業務は超絶 激務でした。泡を吹いて倒れる同期、プレッシャーとストレスでどんどん痩せたり、顔が変形していく人、自暴自棄になって上司とデートすることで激詰を回避しようとする女性、本当に動物園のような会社でした。
ですが僕は、、、
「こんなクソみたいな環境だったら、みんなすぐに辞めるだろう」
「最後まで残っているだけで、絶対に、いい仕事にありつけるはず」
そう考えて、ずーーーーーーっと耐えながら、それでも仕事を覚えられるように努力しました。
その結果、運もあって、なんちゃって管理職にもなりました。社長室へ移動して、企業買収なんかも経験しました(大失敗でしたが笑)
この大失敗の企業買収では、その後の仕事がなくなってしまうという状況に追い込まれました。仕事がなくなるということは、クビかまたは以前の動物園のような事業部に戻されることを意味します。
「僕の人生どうなってしまうのだろう」
「これと言ってスキル無いから、本当に会社の都合で好きにされてしまう」
と、嘆いていました。
その後、縁もあって誘われるまま、一回目の起業も経験した(最初のメンバーだっただけ)のですが、もっとちゃんと働けるビジネスマンになりたくて、IBMの子会社へ転職しました。ここまでは良かったのですが、すぐにその企業がリーマンショックでボロボロになって、退職勧奨をうけました
ここでも、こんなことを言われました。
「若いから大丈夫だろう?」
「会社はリーマンショックで厳しいので、営業は減らすからね」
「営業は特に、特別なスキルを持っていないから出向の可能性も無いから」
スキルが無いって人に会社は厳しいことを、あらためて認識しました。
退職を決心後は心はズタズタでした。ただ、IBM 子会社時代の取締役が同時期に退職をしていて、セコムで役員をしていたので、その方に拾っていただく形でセコムで、サイバーセキュリティー寄りのITセールスとして働くというラッキーに恵まれました。
「こんなチャンスを貰えるなんて、なんて幸運なんだ!」
「死ぬほど働いて、役員に貢献しよう!」
そう思いました。
このセコムでは、光通信の時のようにガムシャラに働いて、週間優秀セールス賞などを何度もいただくことができました。
でも、ここで気づきました。いつまでこの、ガムシャラ営業を続けるんだろうか、これしか自分には価値が無いんだろうか?と。
第二の変化
ここで、自分の人生がこんなにも辛いのは、学歴がないからなのだと考えました。なので、これを解消しようとビジネスブレイクスルー大学(学長:大前研一)に入学して単科を3つ取りました。
しかしながら、まがりなりにもこちらはトップ営業、全然歯応えのないカリキュラムで、成績は全部A+。これでは勉強にならないと、大学院へ飛び級させてもらいました。
大学院は、海外大学出身者や東大・京大も多くとても辛いものでしたが(特に、英語学科を取ったので、2年次進級の為にTOEIC L/R750点以上とTOEIC S/Wもそこそこのレベルをクリアしないといけませんでした)、なんとか卒業できました。
卒業前の事務局からの連絡では、同学年で上から2番目の成績ということで、これは頑張って勉強して良かったと心から感じました(卒業後には、アルムナイでのパネルディスカッションの機会をいただいたり、非営利法人を立ち上げたりと、継続して良い経験を積ませていただきました)。
そして、この時勉強しながら外資系企業への転職面接をいくつか受けていたのですが、運良く1社採用通知がきました。これが、次に働くことになるDell Technologiesの事業子会社です。この時の、年棒提示は1400万円、セコムの2倍弱でした。本当に驚きました。
・セコムで学んだ、サイバーセキュリティのスキル
・大手法人向け営業のノウハウ
・MBAの学びという自己投資をおこなったことへの評価
日本法人の社長は、こんなところを評価してくれたとのことでした。
ここで、
「学びはお金になるんだ!!!!」
「やった!やっと報われた!!!!!!」
とても嬉しくて、自分の仕事人として人生に初めて、ワクワクを感じることできた瞬間でした。
これまでは、生活する為に嫌なことでもやらなくちゃいけない、楽な仕事、好きなことを仕事にする、なんてものは自分の人生にはありえないことだと思い込んでいました(高望みするなと、自分に言い聞かせていました)。
外資系企業での業務
英語のミーティングが多かったり、文化が違ったりと大変なことは多かったですが、MBAで学んだことを駆使し、そして今までの営業畑で培った折れない心で、業務をおこないました。
ここでは最初、いじめにあったり、誰も何も仕事を教えてくれなかったり(外資なので、仕事を教えてもらえないことはあたり前のこと)、苦労しました。
ですが、これまでの人生でストレス耐性が上がっていたため、なんとか仕事を続けることができました。
「誰よりも早く仕事に行って、最後に帰る」
「寝ている時間以外、全て仕事する」
「土日は、一週間の仕事の振り返りと次週の仕事の準備をおこなう」
これを徹底することで、誰よりも多く仕事に時間を使うことで、結果を出せるように務めました。
気付けはトップ営業になり、部長職を拝命することができました。この企業でも上司に恵まれて、多くの勉強をさせてもらいました。
「やった、やっと人並みに仕事ができるようになった」
「大手町ビジネスマンになれた」
「一つ一つ積み上げれば、高卒でもできることがあるんだ!」
そんな風に感じて、初めて達成感を感じることができたのもこの仕事でした。
最後の源泉徴収は、2,100万円を超えていました。この頃は副業も行っていましたので、合計は3,000万円に達していました。
学びはお金になる、人生の幸せを運んでくれる
昔は、「こんなに頑張ったから給料が上がった」「頑張ったから副業も着実にうまくいった」と思っていました。ですが、冷静に評価すると、そうではありませんでした。
学びが僕を変えて、お金を稼ぐ力を与えてくれて、自分のことを大事にできるようになったということに気づきました
・MBAの学びが僕の考え方を根本から変えた
・サイバーセキュリティに取り組んだおかげで、コンサル営業が身についた
・SNSの学びで、マーケティングの仕掛けを構築できるようになった
そうなんです!!
ここまで読み進めていただいた、あなたは、もうお気づきのことと思います。
『学び』は仕事をどんどん高度に変革してくれて、高額な収入を届けてくれるんです!!
そして、僕はこの頃から、”仕事が子育てやパートナーとの人生、仕事自体をうまく回せないことで結果が出ていない”、そんな方をサポートして
『人生を軽やかに自分の思い通りに変えてもらう』
これを、次の仕事にしようと心にきめました。
*外資でも実現できましたが、いろいろと組織的な制約があったので退職、起業しようと、おぼろげながら考えていました。
そして、起業して2社を運営している今に至ります。
『学び x 起業』で、
・自分の好きなことを仕事に
・自宅や好きな場所で働いて
・好きな額を稼ぐ
このような毎日を、軽やかに実現しています。
あなたにも、是非、この感覚を感じていただきたいと思います。
「あ〜、人生ってすばらしいなぁ!!!」
そんな風に、日々感じ過ごしています!
さいごに
僕は、最初のプログラミングでは50万円のスクール、MBAは二つとっているので300万円×2=600万円、そしてサイバーセキュリティでは100万円のスクールと一回8万円のスキル認定試験3-4回受けています。最近では、SNSに関して120万円程度の学びをおこないました。
軽く計算しても、私は1,000万円以上の自己投資をしています。
お金を稼いでは、貯金する/キャバクラなどで散財する のではなく、自分に投資してきました。
『学んだ以上に稼げる(自己投資の金額以上に稼げる)』
ことを、私の人生が物語っています。そして、それは私だけの限られた成功体験ではありません。
この記事を見ているあなたは、私の講座を検討していただいているお一人かもしれません。
私は、私のような体験、人生と価値観の変化、を私の講座を通じて得ていただきたい、そのように切に願っています。
年収はただの数字ですが、ここにこだわることで、見えてくる未来もあります。是非、あなたを次のステージへ引き上げるお手伝いをしたいと思います。
いつか、どこかで、お会いできることを楽しみしています。
Achieve Your Goal
井手 拓郎
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