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人付き合い保存の法則

「人付き合い」には耐久力がある。反証的に話すと「永遠の愛」というものは存在しないと言える。

結婚式で言われる「永遠の愛を誓いますか!?」というアレ自体、ナンセンスだしありえないということだ。

ファンの方の結婚式で「現実と非現実。」という僕の書いた歌が流れたことがあるそうだ。

サビで「確実に失くなる現実ー!」と叫ぶ曲だ。身も蓋もない結婚式になった、と聞いた。あれはじつに痛快だった。

人間関係は都度最新ベースでリスペクトを更新していかないと、たちまち崩れ去るガラスのようなものだ。

だからこそ客観的に見直さないとならないし、メンテナンスがいる。

そうしないとあなたの身の回りは「惰性で続いてきただけのひと」ばかりになるからだ。

あなたにも「むかし仲良くて、イマもまぁ別に絶縁はしていないひと」が一人や二人はいるだろう。

たとえば何かキッカケがない限り、「家族」という関係性は保存されやすい。家出とか絶縁はそこそこストレスがかかる。

逆にそうしないと、家族は永久に「家族」として過ごしてしまう。

リスペクトしなくなってしまっても、関係を続けていかないといけないなんて最悪である。

では人付き合いを見直すにはどうしたらいいのだろうか。

問いかけはいくつかある。

一緒にいて楽しい?
価値観が合う?
境遇が似ている?
仕事上必要な存在?
考え方がクール?

どれも正解なのだろうけど、最高に打率が高い問いかけがある。

それが「そのひと、あなたのこと大切にしてくれてる?尊重してくれてる?」だ。

Aさんが悪い、あなたが悪い、とかはどうでもいい。

とにかく「大切にしてくれてないなぁ」と感じるなら離れるべきだ。

絶交するのがストレスならば、最悪でも距離を取ろう。

物理的に距離を取るのがベストだが、難しい場合は会話の数を減らすなど、コミュニケーションの絶対数を調節しよう。

積み重ねで次第に人間関係の値は下がっていく。

話す機会が無くなれば、離別は近付く。

こういう記事を書くと「あたしゃ、あいつに大切にされていない!あたしゃ被害者だよ!」という被害者意識の激しい人物の正義感を底上げしてしまうときがある。

だけど僕だってそうだ。自分を棚に上げてしまっている。

自分の話に当てはめてみよう。

「あのひとに俺、大切にされてないな」と思うひともいるけど、反対に「もう俺あいつのこと大切と思ってないな」と感じるひともいる。

自分だって、加害側に絶対まわっているはずではないか。

僕にも、あなたにも「もうこいつ大事じゃねーわ」と思い浮かべるひとがいるだろう。

「死んでほしい」とまでは思っていなくても、少なくともあなたからの「大事にする」というアクションが減少しているひとだ。

しかしこれはどうしようもないことなのだ。

残酷かもしれないし、非情かもしれないが、人間なのだから仕方ない。「人間関係は永遠のものだ!」と思うほうがどうかしている。

「一生一緒にいような!」なんて口約束はある意味脅迫に近い。大切にしてくれなくなっても、一緒にいなきゃいけないなんて地獄だ。

「離れたくなったら離れる、でも今日は一緒にいたい」をあしたも明後日も連結させられるように、互いが互いを大切にしあっていく方がフェアだ。

「バンドの解散」なんかはある意味、「バンド」という、そこにはなかった人格を虐待した結果なのかもしれない。

もちろんメンバー同士が、お互いを大切にし合えなくなった関係値の末路でもある。

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