試写会と師
「さよなら、バンドアパート」のプレミア試写会が即日完売満席になり、幸先が良いとのことである。
スティーブ・ジョブズと同じ格好をして喋ったのだが、あんな風にうまくいかない。難しい。何より新製品のプレゼンテーションなどではないところが一番難しい。
とにかくウケたのかスベったのか分からない味わいを見せつつも無事に終わって良かった。他のひとたちはなんであんなに喋るのがうまいのだろうか。
それにしても無理に面白いことを言うと、ほとんど刺さらないことをいいかげん学びたい。
来賓で(株)落日の代表、加藤さんが来てくれた。
このひとは「さよなら、バンドアパート」のキャラクターの一人である工藤という人物のモデルである。
出会いは七年前であり、アルバムの制作一枚半に関わってくれた。振り返ると会った頃の当時、僕のバンド人生は完全に詰んでいた。
手を差し伸べてくれたおかげで、僕の音楽人生は七年延命している。加藤さんがいなければ、僕は確実にやめていただろうし、やめることができなかったのならば、失踪していたか死んでいたと思う。
今でも覚えているがある日、この加藤さんが僕に「本を出せ」と言ってくれたのだ。僕は「やったことないからブログでもやってみます」と答えて、LINEブログを500日ほど連続で更新した。
その活動はここnoteに移り、ホンシェルジュやmuevoでのコラム連載の仕事がやってきた。
元々テキストを書くのは好きだったが、「よしやろう」とちょっと気合を入れて文字を書くようになったのはあの言葉があったからだ。
「本が出て映画になります」とLINEをしたら「映画を作れとまで言ってないけどな」と返信が来て、観に来てくれた。さらに監督やらプロデューサーやら映画関係の親分たちに保護者のように挨拶をしてくれた。「うちの者が……お世話になってオリマス」的なアレだ。
なんだか保護者のように挨拶をされることが、僕はたまらなく嬉しかった。
もう自分自身、いい大人なので下の立場になることが少ないのもあるが、こういう場所に加藤さんを連れてこれたこと、そこで加藤さんが僕サイドとして立ち振る舞ってくれたことに痺れるほどの嬉しさを感じたのだ。
昨今、目上の存在がありがたくなる。
年上の方々は周囲にいるが、三十代になってから出会った年上と、二十代のときに出会った年上とは少し関わり方が違うように思う。
やはりあの頃はビジネスパートナー、仕事仲間としてだけではなく、シンプルなThe・未熟者として接してもらえていたのだ。
ガキ扱いが嫌だった気もするのだが、よく思い出せない。本当に嫌だったのだろうか。反対に最近はやけに懐かしく、その懐かしさが目を細めるぐらい眩しい。
もう一人、キタニヤスタカというひとがいる。
僕が19歳ぐらいの頃に大阪で音楽、というか諸々の表現を教えてくれたひとがいるのだが、気付いたら「露の新幸」という落語家になっていた。千切れている。一瞬意味が分からなかったが、合わせ技で音楽もやっている。
いろんな音楽仲間が辞めていく中、あの道ばたの匂いのする今年48歳になるミュージシャンはまだバキバキに継続している。タフだ。心棒がまったくブレていない。嬉しい。自分もまだ生き残っていることが誇らしい。
ここまで人生やってきたが、自分のことを「教え子」と呼ぶひとはいない。
小中高と12名の担任に関わってきたのに、自分の心に残った「師」的な人物は校舎の外に出てから会ったひとばかりだ。
人間は正しいことだけじゃ間違えてしまうし、丈夫なだけじゃ壊れてしまう。曖昧なまま進んでいきたい。
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