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今日の自分と未来の自分の予定はあまり合わない

バーベルぐらい重たいうつだった。病は炎症を起こして、歌を作りまくった十日間がある。

成人式を迎えて、二十歳を迎えて、成人になると言うが、あれはほぼ嘘である。

ほとんどの場合、何にも気付いていないからだ。

「気付き」を得て、僕たちは初めて成人とカウントされるんじゃないだろうか。それ以外はただ気絶しているデカい子どもに過ぎない。

人生が一定の時期に差しかかったととき、「このことに気付くためにあの苦労があったのかもしれない」と繋がりを感じる頻度が増える。
『修行』と『成果』がジョイントする瞬間なのだろう。

僕はそんなもの二十歳のとき、まるでなかった。

『苦労』をかき集めている時期だったからなのかもしれないし、『成果』のカケラすらなかったからかもしれないし、『成果』に気付く敏感さがゼロだっからなのかもしれない。

「今日のこの喜びのために、あの苦しみがあったのだ」というのはこじつけではない。

スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学で『点と点』のスピーチをしたことがある。

「大学の頃、受けた文字デザインの授業がMacのフォント制作に繋がったんだよん」という話だ。

抽象的に書くと、「頑張ったことが、後々何かに繋がる。でもハマっている最中には気付かない」ということだろう。

二十歳の頃、わりと心理学の勉強が楽しかったことを覚えている。音楽はひたすら十五年以上続けている。

これらが自分の会社の経営に確実に役立っているし、無ければ創業すら出来なかった。

「どうやったら起業家になれますか?」
「どうして経営者を目指したんですか?」

こんな質問を社員に投げかけられることがある。

僕は起業家を目指してなどいなかったし、経営者になるつもりもなかった。もちろん今でも変わらない。

「なぜそれを目指していたのか?」と聞いてくるひとは若い。それこそ二十歳ぐらいだ。意識が高くて恐縮してしまう。

なぜなら僕が彼らの年齢のとき、まったく意識がハッキリしていなかったからだ。それどころか意識がなかった。完全に気絶していた。

ただ、心理学や音楽を楽しんでいたら(楽しいだけでもなかったが)ここに来ていただけなのだ。

『経済学、経営学を勉強していて起業する』という流れは至極基本的なものだろう。

心理学をやってメンタリストになる。カウンセラーになるのも分かる。

音楽をやっていて、スタジオミュージシャンになるひとも専門学校講師になるひとにも合点がいく。

でも人生はこんなに論理的じゃない。全然数学的じゃない。

人生はいつも少しだけ間に合わないし、今日の自分と未来の自分の予定はあまり合わない。

点と点がつながることのほうが多い。その過去の点と、未来の点は離れ離れだ。かなり遠い位置関係にある。

だから「このことに気付くためにあの苦労があったのかもしれない」と繋がりを感じると胸に波紋のような喜びが広がる。

『修行』と『成果』がジョイントする瞬間がくると、過去の自分を褒めてやりたくなる。

大切なのはその瞬間、瞬間に全力を尽くさないと、未来の点には繋がらないからだ。

「よくやっていたんだなぁ、十年前の俺よ」と過去の自分を親戚の子どもぐらいには可愛がりたくなる。

死にたくなるほどの絶望も後々回収されるはず。そう思えば何とか死なないでやっていける。

ほんのりとした希望が今日の自分を救う。

少し前、バーベルぐらい重たいうつだった。双極性Ⅰ型というやつだ。

このおかげで十日ほどで七曲作曲した。一気に書き切った。ほとんど寝ていなかった。

人間はイカレると、ひたすらものがいくつかを数えたり、何かに没頭することがあるらしい。強烈なストレスを殺す逃避行動だという。

「うつになった自分自身へのメッセージ。どっかの患者にも聞けば良い」といった歌詞がある。

それが膨らんで、全国に拡大した。

あの日イカれた頭はどんな点まで繋がっていくのだろうか。





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