いたひともいなくなる
公園にいる小さい子とお母さんのコンビを見ると、無条件に泣いてしまう。
フードコートで話す高校生のカップルも涙腺にキツイ。
「二人きり」ってカテゴリに弱いのもあるけど、親子とか、つがいっていうのはなんだか見ているだけで、いろいろと考えてしまう。
ずっとはこのままでいられないとか、いつかは別の誰かと二人きりになってしまうとか、その二人きりを守るためにエグいことをやってる戦士がいるとか。
あれもこれも永遠じゃないことを突き付けられる。
みんなご存知の通りすべて無常なのだ。それでも僕らはとどまろうとしてしまう日がある。時の流れに逆らい巻き戻したくなってしまうタイミングがある。
わりと近しい人間が死んでしまった。同い年だった。
ガッチリ仲良かったわけでもないが、よく対バンとかもしていた。
30という年齢で死ぬのは早い。
でも「人生使って成してきたことがある」ぐらいには、わりとまぁまぁな時間だ。
もちろん充分ではないけれど、かといって80年なら充分というわけでもないと思う。
カートコバーンにジミヘンの30年弱はどうだったのだろうか。
成したけど、彼らの命に後3年が残っていれば、何をしてたんだろうか。
結論、30年が長いか短いかというのは分からない。あらゆる「もしも」の先にある。
彼らの人生は30年だからそうだった!の域を出ない。
もちろん平均値から見ると短い。
しかし「彼がどういうひとだったか」と残された者たちが語れるぐらいの量ではあるのも事実だ。30年は別れ惜しみ、哀しむには充分なタイム感なのだ。
今から1988年を思うとそれなりの時間だったことが分かるだろう。
1988年は地球の人口も50億人ほどだった。30年も経てば種の個体数は20億も増えてしまうみたいだ。
そしてご冥福をお祈りするのはもちろんだが「30年間お疲れさまでした」という気持ちもある。
人生30年。短いのだけど楽しいだけじゃクリアできないぐらいには長い。傷付かずに成せる量じゃない。
僕もその量を飛び越えた。
でも「今日のこの年齢で死ぬことは普通にある」という前提を忘れないでいたい。
「どんなひとにも夜は来る。だけど夜は必ず朝になる」は、いくつかある座右の銘の一つだ。
だけどその上で「いずれ朝が来なくなる」というのも忘れちゃいけないみたいだ。
僕らにはそんなに時間が無い。やりたくないことで人生を埋めている場合じゃない。
僕もあなたもとりあえず今日までは生き延びている。あしたは分からない。
あした死んだら今日までの自分が、「自分」という人間のレコードになる。
じっくりとかゆっくりなんてヒマは無い。
僕たちは思うよりも、すぐにいなくなってしまう。でも僕たちは一度出会ったら、そのひとのことを二度と失わない。完全に忘れてしまわない限りは。
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