嫌っす、と言うのだ

誰かに親切にするのは大切だ。親切にすると一気にストレスが緩和されるという研究もある。

電車で席を譲ったり、町で地図を見て困っているひとに声をかけてみるといい。ストレスが吹き飛ぶ。

しかし悲しいが、世の中にはそうした親切を「弱さ」と勘違いしてにしてつけ込んでくる人間もいる。

彼らはアレもコレもしろ、金を貸せ、タダでやれ、話を聞けなど言いたい放題である。

そういう人間は「親切なひと」の親切心を利用して、自らのメリットになることしかしない。win-winが絶望的に欠落している。

あなたの都合なんておかまいなしに頼んでくる。

「これもやってくれ」「あれもやってほしいーなど、一度でも相手の要求を受け入れてしまうと相手はあなたを「都合のいい人」と認識して、だんだん要求がエスカレートしてきてしまう。

昨日もよく分からん馬鹿に「事業を起こしたいから十万貸せ」と言われた。「友達三人に三万借りろ」で追い返す以外無かった。
正念場にたった三万円、親しい誰からも貸してもらえない男に、未来など無い。

ハッキリといっておいたい。「親切な良い人」と「都合のいい人」」はまったくの別物だ。

都合のいいやつになってしまうと、自分の時間が失われてしまう。

あなたにはあなたの人生をよりクールなものにしていくというミッションがある。

その時間を第三者に奪われてしまう。都合のいい人になるのはやめてしまう方がいい。

やりたくないときは「嫌だ」と言う必要があるら。それで相手がどう思うかはあなたの課題ではなく、「相手の課題」だ。

「こう思われるんじゃないかな」と考えるひとが多いが、これは課題の分離ができていない状態だ。

やりたくないことを断るのは失礼でもなんでもない。失礼なのは、むしろおかしな頼み事を頼んでくる相手の方だ。

相手はあなたの気持ちなど汲み取らない。誰も助けてもくれない。国も会社も流石にそこまでは手が回らない。「嫌っす」というのは自分自身しかいない。

最近の僕のバンドで言うと、「金はいらんからライブ誘ってくれ!」と呟いたら「金よこせ」という輩が登場してきた。「参加費払え」という謎の理由である。参加したいやつなんてこの世にいるのだろうか。



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