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財布を届けたら幸せになった

脳にはアクセルとブレーキに相当する部分があり、アクセルのきが良い脳が科学的に「幸せ」な状態だそうな。
反対にブレーキが強い脳はうつになりかねなかったり、健康状態を維持しにくくなったりする。

「科学的に幸せになれる脳磨き」という新刊によると。

賢いひとたちが面白い実験をやってくれた。
1000人以上を対象に、脳のアクセルの活性が高いのはどのようなひとなのかを調べたのだ。

この実験の結果、「最強のアクセル活性男」が判明した。
チベット仏教の僧侶をやっているダライ・ラマの通訳のリカールさんという人物だ。このひとが脳科学的に世界一幸せな人間」に認定された。

リカールさんは通常時でも常人の10〜100倍近いアクセル活性を持つのだが、さらにアクセルとベタ踏みになり、幸せの暴走機関車状態になるタイミングがある。

「瞑想し世界平和や他者の幸福を祈っているとき」らしい。この瞑想中の脳波はもう大リーグ級だという。

こういう方向性の話に無宗教国家で暮らす僕たちは少なからずアレルギーを起こす。「誰かの幸福を祈ることです!」と履歴書の趣味の欄に書く勇気があるひとは少ない。

だけど実際にやってみると心に良い効果があることが分かる。「やつのために何か役に立たないかなぁ」と頭でやつのことを思うだけで、多少気が晴々する。

「役に立ちたい」という祈り以外にも「普遍的な感謝」という心持ちもアクセルが活性化されるという。
「普遍的な感謝」というのは、なんかしてもらったからするような「リターン感謝」じゃなく、「ただもう、いつもありがとな」と思っておくものだ。

これもやってみると確かに分かる。すぐそばにコンビニがあることでもいいし、LINEの先に友人がいることでもいい。

嘘でも良いから現状に感謝してみると、気が晴れる。これは僕みたいにいつもうんざりしているので、うんざりするようなことしか言わない根暗な人間はより効果を感じやすい気がする。

昨日財布を拾って交番に届けた。

持ち主のひとから電話がかかってきて、超感謝された。偉人のような扱いを受け、表彰されかねなかった。ギネスレベルの善行をしたわけではないのだが、僕自身妙に良い気分になった。

「役に立つ」というのも、世界を救ったりしなくても、財布を拾って届ける程度で良いのだと思う。幸福になるのは、そんなあっけないことなのかもしれない

昔からおかしな生き方を選んでいるため、「幸せになりたい」と願ったことがあまりない。小学生の頃からうんざりしていて、色々もううんざりであるのも隠せない。
だけど、そんな生まれついてのうんざりマンも財布を届けると、幸福感を感じるのだ。そしてやはり気持ちよかった。

あしたも少しは感じられたらいいな、ぐらいは思う。目を血走らせて幸福を追い求めるのは違うけれど、良い方向に流れていくように心の姿勢を軽く前傾にしてやるぐらいはやってもいいのかもしれない。

結局、幸福を手にするのも後天的なテクニックで多少はマシになる。リカールさんも「幸福は、わたしたちに起こる何かではない。磨くべきスキルだ」と言っている。
もちろんそのスキルに手を伸ばすも伸ばさないも自分次第なのだけど。

でもそれもまた、財布を拾って届ける程度の労力な気がする。

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