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人格が完全にイカレているパターン

日常レベルで最も恐ろしいのは「他者に影響を与えられる」と心底信じている人間だ。

「俺はこう考えているのに、貴様は何で影響を受けんのだ!」というおこがましいほどの幼稚さを持っているので危険極まりない。思い通りにならずキレたり不機嫌になる人間というのは、たまにいるが「同じ考えになれよ!同化しろよ!」という思想を持っている。人格が完全にイカレていると言ってもいい。

僕は日常的にバンドマンと会社経営をやっているが、この二つの職はどちらも「他者へ影響を与えていく」という特性を持っている。

「影響を与える」や「インスパイアする」と言うと、イケているように聞こえるのだけれど、実際には思い通りに他者を変えることなんてできないと思っている。

ていうか他人なんて救うことも傷付けることもできない。なぜなら何かしら起こしたところで、結局選ぶのは向こうだからだ。

同じ歌を聴いても泣くひともいれば、何も感じないひともいる。
同じ金銭条件を提示しても働くひともいれば、辞めるひともいる。
このnoteを読んで良いと思うひともいれば、悪いと思うひともいる。

メチャクチャ当たり前なんだけど「選ばないひと」をインスパイアすることはできない。結局は相手が選ぶかどうかでしかないのだ。主導権は向こうにあるのだ。

だからこそ僕たちにできることは何かを発すること、書くこと、話すこと、提示すること、考えること、もしくは置いておくことのみなのだと思う。
その中で、セレクトしてくれるひとが勝手に変わるかどうかだけだ。変わったら関係が起こり、付き合いが始まるだけだ。

冒頭に書いた「他者に影響を与えられる」と信じている勘違い野郎はここの考え方が壊れている。
彼らはとにかく「俺はこう考えているのに、貴様は何で影響を受けんのだ!」という思考様式にとらわれており、自分が誰よりも正しいと思っている。

ここに陥っているひとを見かけるし、食らったこともある。

やられたときに決して間違えちゃいけないのが「ぼ、ぼくが悪いのかな?」と思わないことだ。「こいつ、こいつのことを選んでいない俺になんかキレているな」と思うほうがいい。

たとえるなら、あなたが吉野家の前を通り過ぎて、松屋に入ったとする。すると吉野家の店員が「なんで入らないんすか!今コラボ企画やってんすよ!」と松屋に怒鳴り込んでくるようなものだ。

言い換えるとコントだが、真剣にこうなっているひとが日常レベルであふれている。警察を呼ぼう。「なんか知んないけど、吉野家のひとが来るんです!」と。

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