「やる気」なんてないさ
TBSに出ていた。「プロバンド」というなんとも個性の消え失せた存在として。
しかし映像の外にはなるが、高校生たちの前で何曲も演奏させてもらう機会があって良かった。ありがたい話だった。
合わせて新曲がプレイリストに入りまくっている。我ながらよく書けたので頑張ってほしい。
エンタメなんてものはどれだけ「やるかやらないか」が大きいと感じる。
これは半分以上自分に言っているが、たぶん他人にも当てはまる。
「やればいい」こそ最強だ。
こすられまくった言葉なのは百も承知だが、普遍かつ、唯一かつ、最強の法則と言える。
「分かってるけども、できたら苦労せん」という話も分かる。
しかし就活生と話しても、高校生らと話しても、僕自身の悩みに自問自答しても「やればいい」で決着してしまうことが多いのだ。
他人の相談ならば、もちろん突っぱねたりはしないが、「やればいい」と本当に思ってもらうために様々な方向から話していく。
なぜなら悩んだり、議論したり、文句を言ったり、躊躇したり、できない理由を思いつくよりも「つべこべ言わずにやる」というのは大きな破壊力を持つからだ。
言い訳の最たるものは「やる気になれない」だろう。しかしやる気がないと何もできないのだろうか。
朝起きたら、歯を磨いたり、食事をしたり、呼吸をすること、すべて「やる気があってしていること」だろうか。
「気持ちを大切にしたい」という訳の分からない言葉が綺麗に物事を隠してしまうことがある。
それにしても「気持ち」とは何だろう。「気持ちを大切にする!」という言い回しはどういう意味なのだろう。改めて考えると、まったくイメージができない。
自分に対しても「気持ちを大切にしたい」と意気込んだところで、大体が自分の気持ちなど分からない。
「あいつブチ殺したい」「会社辞めたい」「死にたい」とか思っていた翌日にパフェ食っているのが人間だ。気持ちなんてその程度の存在なのだ。
だから「気持ち」など分からないし、やらない言い訳に用いられたならため息が漏れる。
睡眠時間、アルコールの摂取量、運動の総量、諸々で脳内ホルモンの分泌量は変動し、幸福度は上下する。それが通常だ。
ボヤッとする。ムカつく。なんか調子いい。
コロコロ変わるし、「気持ち」なんて、漠然とした霧のようなものではないだろうか。
そんなはっきりしない「気持ち」に対して、やる気があるのか、やる気が無いのか、などと白黒つけさせる方がおかしい。無理なのだ。
やっているうちにやる気なんてわいてくる。わいてこないならこないで別にいい。
元気MAXでもやりたくないときはあるし、風邪でもやりたいときはある。
どんどん変化して、白黒の濃度もグラデーションになっているのが「気持ち」だ。
そんなフラフラしたものに支配されていたら、人間はほとんど行動できなくなる。
「気持ちの通りに動き回る」なんて狂っているか、夢を見ているかのどちらかなのだ。
身動き取れないほどの重体でもないなら、やはり「やってみるといい」と自分に言い聞かすのが一番良い。驚くほどに大抵のことはやれる。
「やる気があるかないか」なんて議論よりも、毎日馬鹿の一つ覚えみたいに重たい腰を上げとけばいいのだ。
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