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終末はいつも修学旅行の夜みたいな感じ

「世界の終わり」というものに定期的に触れないとならない。
これは別に地球崩壊という意味ではないし、そういう名前のバンドを聴くという話でもない。

自分の世界、現状の暮らし、今送っている仕事のおしまいだ。

大した哲学じゃない。
僕も付き合っていた娘とは永遠にいると思っていたし、何となく大阪にずっと住んでいる気がしたし、バンドは解散せずに四人が離れることはないと信じていた。

これらの世界はすべて粉微塵に崩壊した。

忘れがちだけど『今の日々』は、未来にも将来にも伸びていない。時期が来れば、ぷっつり途切れてしまう。例え話だけど、何回も死んで、生き返っているようなものだ。
そこまでで拾ったアイテムや技能は、次の面で使えるけど、終わりと始まりは案外クッキリとデジタルに表示されている。

寂しいだけじゃなくて、救いだってある。

僕たちは今の暮らしの足りないものを数え始めると暗くなる。「いつまで地獄が続くのか」と錯覚して吐きそうになる。

でもそれらは必ず終わるし、どうしても嫌なら終わらせることも本来難しくないのだ。そしてまた何かを始めることもできる。

地元に戻って余計に感じた。忘れていたけれど、捨てようと願えばすべて手放せる。手放したいという話ではなくて、選択肢として用意されていることが大事になる。

それなりの年齢のひとは、皆いくつもの終わりを超えて、何かを始めてきたと思う。

終末はいつも修学旅行の夜みたいな感じだったんじゃないだろうか。心境は二転三転してヤケになって、枕投げとか好きな子の教え合いっことか始めたりしていたかと思う。

『断捨離』というスローガンで話をまとめたくはないけれど、『出会いと別れ』なんて安っぽさに売り飛ばされたくはないけれど、「いつだって新しくなれる」という事実に気付いた心はスター状態に近い。

『人間の悩みの九割は人間関係の悩み』なんて慣用句に掌握はされたくないし、他者に磁力なんてない。

たぶん自分が自分であることは、そんなに難しくないのだ。



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