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あれオレ詐欺。あれ、俺がやったんだぜ!?というマウント

自分自身の話ができないとならない。そんな当たり前のことをよくよく思う。

緊急事態宣言が明けて久しぶりに会う人間が増えた。「生きてたんだね!?」という気にもなるし、同じことを思われているのもひしひし感じる。

「おひさー」と近況を語らうわけなのだが、油断すると自分以外の話になりそうになる。ここにいない人間の話はゼロにはならないが、過剰でもよろしくない。

これは悪い例だが、『あれオレ詐欺』という言葉がある。
「あれ、俺がやったんだぜ!?」というマウント、自慢みたいなものだ。「あの有名人と知り合いだよ」なんていうのもあるが、この詐欺の一種だろう。

これまで「BUMP OF CHICKENを手がけた」という言葉を五、六件聞いたことがある。
僕は「嘘とは言え、すごいな」という冷めた感想しか持たなかったのだが、実際にその無重力のようなふわふわした実績に踊らされてしまうひともいる。

そのひと自体が何者かどうかなんてのは、本来どうでもいい。有名人でも中身がスカスカならば微妙だし、無名でも信じられないほど面白いひとのほうが良い。

音楽をしていると、よく「食えてるの!?」と聞かれる。YESならすごくてNOならすごくないという解釈をされるのだ。
これは冷静に考えるとおかしい。内容を一切聴いていないのに判断なんてできないはずなのだ。極端な話、あいみょんの曲なら食えていなくても心を貫かれると思う。

数字があるものだったりにしか価値を感じられなくなったら少々寂しい。大勢に賞賛されているということは素晴らしいことなのだけど、そこしか見れないのも芸がない。

先日、居酒屋の隣の席で
「俺がみんなにどれだけ慕われているかを教えてやる!」
「は、はぁ……」
なんてやり取りを見かけた。三十代ぐらいのサラリーマンだった。

「どれほど慕われているか」というマウントは人生単位で初めて聞くものだった。自慢とかを超越しているハイボルテージな状態だが、人間誰だって油断するとそんな心理状態になりかねない。
誰にも相手にされない侘しい夜は、自慢の一つもしたくなるかもしれない。
「ここに俺がいる」ということを月に向かって吠えたくもなる気持ちも分かる。それもできないなら居酒屋のテーブルに吐き出すしかない。

だけど本質的なものや、価値のあるものは大体が雄弁じゃないと思う。というより不器用ですらある。
やけに説明的で器用なものほど大したものではない。

あんまりイキり倒しているとむなしい。つくづく自戒を込めていたい。



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