怒りまくる人たち!

SNSが社会に浸透してから「何だか怒りっぽい」という雰囲気がある。

邦楽ロックシーンのダイブ、モッシュ、リフト問題からニュース、エンタメの不謹慎。不倫や不真面目、コロナ対策の失敗。

どこもかしこも「怒り」が蔓延している。日本全体がキレまくっている。

不倫、セクハラ、パワハラ。女性や外国人への差別。バイトのバカッター動画の流出。

全部「自分に関係ないこと」だ。

関係ないことで、関係ない誰かが毎日怒っている。同時に「怒られる誰か」が生まれている。

「アホが何かをやらかすと、どこもかしこも盛り上がり、ニュースが取り上げ、日本中より糾弾糾弾!」というのがお決まりのパターンだ。

もちろんネットやテレビは、何の非もないひとを槍玉に上げるわけではない。

明白に何らかの「問題のあるやつ」をぶっ叩いている。

芸能人、政治家の不倫は褒められたことではないかも知れない。あまりにも自由すぎる政治家は国のリスクでもある。

飲食店の従業員が裏で食品を雑に扱っているのは嫌な気分だ。

女性や外国人に対する差別やハラスメントは、消えたほうがいいに決まっている。


すべて「正論」だ。しかし考えなければならないことがある。「正論」の切れ味は殺傷力が強すぎるということだ。「正論」は誰も否定できない。

たとえば「女性差別は許されない」と言われたら、誰しもが頷くしかない。だからこそ「正論」は過剰になりがちだし、凶器にもなり得る。

この凶器を使えば、誰かを血祭りに上げるのは簡単だからだ。

「正論」を唱えるひとは、自分が誰かを血祭りに上げている意識なんて皆無である。

なぜならそれは文字通り「正しい議論」だからだ。

彼らは「正しさ」のため、社会を良くするために、正当な理由と共に誰かを批判しているに過ぎない。

こういった炎上が、本当にこの社会を良くしているのならいいと思う。だが、どうやらその気配はない。

「正義マン」は次から次へと攻撃対象を変えて「正論」を吠え続けるだけだ。

結局、そうした炎上が何をもたらしているかといえば、みんなの口が重くなったことくらいではないか。

うかつなことを言って批判されるくらいならば、当たり障りのない話題でごまかすというのは合理的な態度だろう。

「正論」を振りかざすときには謙虚さを忘れたくない、と僕は思うのだ。

「誰も逆らえない」という武器を使うからには、抑制が必要だ。

「正しさ」はしばしば対立を生む。
完ぺきな正しさを求めるひとと僕は幾度も喧嘩別れをしてきた。

「自分が正しい」と信じているひとは、世の中にあるほとんどのものが間違って見えてしまうからだ。たまにそれがとてつもなく嫌になる。


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