要するに「〇〇ってことっしょ!?」はデンジャラス。危険。マジで。
「わかる」というのはじつに難しい。
「わかった!」と思っても何もわかっていないことがほとんどだからだ。
「ゾクゾクするほどわからなければ、わかっていない」ぐらいに思っていたほうが案外しっくりくる。
あなたのまわりにも「あーわかったわかった。要するに〇〇ってことっしょ!?」というひとがいないだろうか。アレは相当なレベルでわかっていない。
「わかる」とか言っているけれど「それによって自らが変わった」ぐらいまでいかないとわかってはいないのだと思う。
たとえばスタジオでコーラス練習をするとする。
ハモる理屈はもちろんわかっている。一例だが「三度上でハモる(ドレミファソラシドだとドに対してミを歌う)」なんて理論もそこら中に転がっている。
しかし「じゃあその通り歌唱できるかできないか?」はまた別の問題だったりする。その理論をもってして「歌える自分」にならないとやはりわかっているとは言い難い。
そういう意味でも冒頭に書いた「要するに〇〇ってことっしょ!?」はデンジャラスな言葉だ。よく聞くフレーズだし、自分自身もわりと言ってしまう。
だが「要するに〜」はマジでよろしくない。
物事を一般化してパターン化したいのは人間の性なのだろうけれど、この「まとめたい欲」はぐっとガマンしたい。
なぜなら対話において話し手が一生懸命に話したことを最後に相手から単純化されて「要は〇〇ってことね」と済ませる習慣は、世界観を拡大する機会を失ってしまうからだ。
「要するに〇〇だよね」を続けていると「自分が変わる」契機はなかなか得られない。
話の聞き方を四つのレベルに分ける『U理論』という考え方がある。
Lv.1【自分の枠内視点】
自分の枠内で考えてひとの話を聞く。新しい情報も過去の思い込みに合わせて受け取る。
Lv.2【自分と周辺の視点】
客観的に聞く。対処療法になりがち。
Lv.3【自分の外に視点がある】
相手が使っている言葉で聞けて一体化できる。
Lv.4【自由な視点】
何か大きなものと繋がった感じがする。あれもこれもそうだった!みたいに聞ける。
これら四段階のコミュニケーションレベルのうち「要するに〇〇ってことっしょ!?」とまとめるのは最も浅い聞き方の「Lv.1:ダウンローディング」であることがわかる。
このような聞き方では今までにない知見の獲得やレベルアップは得られない。
より深いコミュニケーションによって、相手との対話から深い気付きや想像的な発見を起こすには「要するに〇〇だ」とパターン認識し、自分の知っている過去のデータと照合することは戒めないとならない。
「要するに〇〇ってことっしょ!?」とまとめてしたくなったときは、そうすることで新たな気付きが失われてしまう可能性があるのだ、ということを今日もあしたも思い出していきたい。
簡単に「わかる」ことは、過去の知覚の枠組みを累積的に補強するだけの効果しかない。
本当に自分自身が変わり、進化するためにもアホみたいに「わかった」と思うことを戒めていきたい。
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