プロっていったいなんですか!
音楽を続けていると時折り「プロ」と「アマチュア」の違いの話になる。
しょうもないと言えばしょうもない。されど十代の音楽は「当方プロ志向!」や「プロを目指す!」なる言葉から始まるのも事実だ。
じつは本質的な違いはスキルレベルにはない。上手ければプロというわけでもないし、ヘタだからアマというわけではないのだ。
上手いヘタというのも基準はないが、「数学的に正確」と「再現性が高い」ということぐらいな気がする。この両輪が守られていれば、音程やリズムはガタつかないし様々なパターンの楽曲に対応できる。
このように競技的に考えると、やはり技術力という争点でプロかアマチュアかという議論は難しくなる。
ギター少年たちは「上手けりゃプロってわけじゃないのか……」と気付いて練習しなくなったり、速く弾くのをやめたり、高く歌うのをやめたり、メタルを卒業したりする。
そして十代は終わり、お金の話になる。
「音楽に関する所得を軸とした生活状況」をプロと定義するケースが多い。「歌うだけでメシ食ってます!」というのをプロとするということだ。こう考えるひとは令和の世になっても一定数存在すると思う。
しかし考えてみると「生活する」という基準値が極めて難しい。平均を出すことはできるが、個人差があまりにも激しい。
月収十七万円で暮らせるひともいれば、月収百万円が必要なひともいるからだ。ひとによって「食っていける」というレベルは様々だ(病気の家族がいるとか、贅沢や質素という話以外もある)
実家に住んでいるひと、何かしらの理由で持ち家があること、霞を食って生きているひと。「わし、とにかく暮らすのに金がかからんのよ」と大吾の声で再生されてしまうひとがいるとしたら、話が難しくなってしまう。
生活事情によって、プロの線引きが行われるのも変な話だ。
月収五万円で生きていけるひとがいれば、プロのハードルはさほど高くないことになるし、別の仕事で月に五百万円稼いでいて、音楽の所得が二十万円しかなければ、なかなかプロになれないことになる。
じゃあ何かというと「成果に対する責任を負っているかどうか」なのではないだろうか。
肩書きや所得ではなく、「失敗したら痛い目にあう」ひとがプロ。それ以外はアマチュア。という考え方だ。
音楽業界のひとが言っていたわけではないのだが、僕にはこの定義がわりと気に入っている。
この「失敗したら自分も痛い目にあう」は音楽以外にもそこそこ当てはまる。腰かけならバイトでも正社員でも責任者て雇われ社長でもならミスってもどうでもいいだろうし、逆にバイトでも何でも「ミスるわけにはいかん!」と思ってやっていたらプロフェッショナルだ。
あなたの仕事はどうだろうか。ジョブじゃなくても子育てでも部活でも介護でもギャンブルでも。
「失敗したら痛い目にあう」だろうか。痛い目にあわなければ趣味なのだろう。サウナに行って整わなくても痛い目にあうことはない。
もちろん「痛い目にあう」ほうがひとがストレスは高い。だけどやはり面白い。「成功しても失敗してもいいや」というのは面白さの奥行きが得られない。
これまで僕は意識的に「失敗したら痛い目にあう」を目指して日々を設計してきた。毎回毎回設計しきれているわけでもないが意識してきた。
「あぁ、これミスっても大した痛手にならないな」と思う瞬間もゼロではない。しかしこうなるとすぐにやめてしまう。飽きてしまうのだ。
やはり何事もヒリついた座標軸にいたいではないか。
関わるダチもそういうひとが好きだ。彼らはのん気に見えていても、心を叩けばどこか哀しい音がする。
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