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ここにきて若者のうつが増えているそうな

SNSを見ても街を歩いても「今のままじゃダメ!」という声のデカさで鼓膜が破れそうだ。「あなたの目指すべき場所はここだよ」と知らない誰かからの警告で常に動悸がする。

広告、情報、メッセージの多くが警告や是正なのだ。体型、転職、脱毛、金、結婚、英会話、etc……結局、すべてが「今のままじゃダメ」だ。

だけどそのようなメッセージを受けて「俺もなんとかしなきゃ……!」と思うひとたちもどうだろうか。自分で何も決めていないようにも感じる。

「他人から与えられた価値観を生きようとしている」と言うと大げさかもしれないが、何者かが用意した価値観を満たそうとして、飲めない度数のヤバイものを飲まされている状況に近い。

僕のアル中治療をしている医者が「他のひとがどんな生き方をしていても構わないが、自分はこんな人生をやりたい、という意志を持ってほしい」と言っていた。さすが精神科医!と膝を打ちたくなる。

自分の意志で縫われた靴を履いて人生を歩きつつ、誰かしらには貢献しているという確かな手触りを感じることが、アル中やうつからの救いの一歩目だそうだ。

『幸福度』という指標は『貢献度』とほぼイコールになる。

「マイメンと朝まで飲んでマジSAYKO‼️俺たちSAIKO😝」という夜に限って、家に帰ってから死にたくなると思う。これはこの『幸福感』が偽りだからだ。

ただ騒いで飲んでドーパミンを出している状態と、知らないひとに道を案内した幸福度は、その体感持続時間には雲泥の差があるという。

僕がjuJoeの公式LINEを無償で返信しているのは、この貢献欲を満たしたいからだ。

これも医者が言っていたのだが、今、若いひとにうつが増えているらしい。「別に人間はいつだって一定の割合で病んでいると思うけど」とへらず口を叩いたら、医者は「いや、違うのよ」と言った。どうも今までとは質が違うとのことだ。

三十歳以下の患者に共通しているのが『強迫観念』らしい。「もっと価値のある、意義のあることをやらないといかん」というぼんやりした義務感が、炎症を起こして若いひとたちの心を砕いている。

「何かしら自分を高めないと!」と思ってはいるが、「何かしら」が分からない上に、さらに「何で高めなきゃいかんの?どうかしたの?金欲しいの」などと聞くとみんな答えられない。

医者曰く「学習や鍛錬は幸福になるためにあるといい。さらに言うと、その学習、鍛錬そのものが目的だとなお良い」とのことだ。

体をデカくするために筋トレをするんじゃなく、腕立て伏せそのものが楽しいからやる。金が欲しいから働くんじゃなくて、仕事そのものが楽しいからやる。売れたいからバンドをやるんじゃなくて、音楽そのものを愛しているから演奏する。

これがひどくズレると病む。

患者たちは「幸福になるために学ぶのではなく、成功するために学ぶ」というズレ方が激しいらしい。この苦しみがここ2、3年で増加したそうだ。

たしかに学んでいるその瞬間が楽しい、そんな風に過ごしていて、ずいぶん遠くまで飛距離が出たわーと思うことは僕にもある。「承認されるためにやる」とビジネスライクに考えすぎると破壊力が生まれない気がする。

でも誰かから承認されたいと思う、承認されないと自分が無価値だと思ってしまう。これもまた青少年特有の感じ方だとも思う。

そもそもこれはやまいなのだろうか。いわゆる「恋のやまい」のような成長痛に近いものじゃないだろうか。医者が気にしすぎなんじゃないだろうか。

他人がどうとか、世の中あっと言わせたいとか、そんな不純に心が揺れているのが青少年というものだし、そうでなくてはいけない気もする。

結果、いつかはその感じは終わってしまう。

青少年たちの目は次第に年をとる。
「いやいや、しかたないんだよ」などと昔からの知り合いがやっている店のカウンターでこぼして知り合いに「あんた……ダサくなった!」などと言われて、酒を飲んでいるときだけ気が大きくなり、「うるせぇ!」とグラスを叩き割るようになるのだ。

明日も早いので帰ろうとするが、財布には千円札が二枚しか入っていない。店に謝って、ATMに走り、一杯飲めるほどの高額な手数料にため息が出る。もう一度店に戻ると「いらっしゃい!」なんて言われて、数分経ったら居たことさえも忘れ去られる自分の存在の小ささに死にたくなったりする。

これはこれで趣きがあるように思う。

「誰かの期待を満たそうと思って生きる必要などない」と医者は言っていたがそうなのだろうか。ケチをつけるわけじゃないが、そもそも期待されていなければ、話にもならない話である。



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