稼働!

就活の相談がよく来る。秋口というのは次なる就活生がダメージをくらい始める頃だろうか。

もちろん僕は就職したこともないし、何も知らない。

それでも相談が来るのは嬉しい。「こいつならなんか分かるだろう」と思われているのは、わりと光栄だったりする。

さらに言うと、僕にはひとを見る目なんて全然無い。信用してた人間に人生転落レベルで騙されたことだってある。

だから「俺には人を見る目があるぜよ」という話ではない。そんな話ではないが、凄いこと言うと、「このひとは就活が得意そう」、「このひとは不得意そう」という検討がつくようになってきた。

そもそも僕の予想が当たっているかも分からないし、「就活が得意なひと」が人間として優秀というわけでもない。

ただ、この「就活ステージ」においての向き不向きが見えるというだけだ。力学が分かれば、就活向けにトランスフォームできるのかも不明だし、大した話じゃない。

でも「物事に向き不向きというのはあるのかもなぁ」と思っている。「頑張って今よりマシにする」はできても、向き不向きはやはりあるのだ。

これは僕たちクリエイターも同じである。あらゆる部分で人間には向き不向きがということだ。

うまい言葉は見つからないが「臨場感のリアリティ」みたいなものが違う。向いてると濃くなるし、不向きだと浅くなる。

面接にしても、何かを作ることに対しても、「臨場感」が大切だ。沢山あればいいわけじゃなくて、バランスが要る。

「すんなり居る」感じのひとは、その場所との相性がいいのだと思う。「しっくりくる」というやつだ。
「違和感があるやつ」というのは遅かれ早かれそのシーンから退場していく。逆に「そこになんだかんだ居続けてしまう人物」というのは、向いているのかもしれない。

就活の話に戻すと、「面倒じゃなさそうなひと」が受かる気がする。もちろん環境の数だけ、「面倒」がある。

学閥のある会社なら、「学閥のある会社の面倒」があるし、ベンチャーなら「ベンチャーの面倒」がある。 公務員には「公務員の面倒」、昭和から続く会社なら「歴史のある会社の面倒」、経営者には「経営者の面倒」だ。

「公務員にとっての面倒くさそうなひと」と「ミュージシャンにとっての面倒くさそうなひと」はずいぶん違うのだ。

環境によっては、「ガチャガチャと口を出さないひと」とか「支持待ち人間」の方が面倒になるときもある。

そして大事なことは「受からなかったらダメなわけでもないし、受かったからいいわけでもない」ということだ。

綺麗事に聞こえるかもしれないけど、実際にそうだったりする。完全にマジなのだ。

なぜなら受かっても辞めるかもしれないし、結婚しても別れるかもしれないし、メジャーデビューしても解散するかもしれない。

就活中は御社御社!と連呼し、あれだけ入りたかったのに、半年後の日曜に「明日から仕事かよ、クソダリィ!辞めてぇ!」と毒を吐くのが人間だ。

もちろん、幸せになることや、経験をカタチに残すことは大切だし、稼ぐことを否定しているわけでもない。だけど、一番大事なのはそこじゃない。

それらは全部ただの手段にすぎない。

その環境を手に入れて「何をするか」だ。

もっと言うと、さらに一歩先の「何故それをするか」でしかない。

「何故やるか」が全ての根源だからだ。

カタチはさして大きな問題でもない。カタチにならなかったら、ならなかったでいい。解散して良かったし。

違うカタチの中にも、同じ色をした「何故やるか」がいくつもある。

もし、就活の理由が金銭だけならば、正社員で働く以外のやり方は腐るほどある。

「絶対に無きゃいけない環境」なんて無い。「絶対」じゃないから余白が効いてくるのだ。

環境が当たり前になると、人間うまくいかない。
「出来たらいいけど、出来なくても大丈夫」という感覚が大事なのだ。

「足るを知る」と言えばいいのだろうか。「目の前のことに目を向ける」とでも言えばいいのだろうか。

「必死さが達成率と比例する」という哲学もあるのかもしれないけど、あれは幻想だ。一生懸命やってるフリが止まらない馬鹿をたくさん見てきた。気合いは必要だけど、無軌道にいれても上手く刺さらない。基本的に勝負は時の運なのだ。

音楽屋も就職活動も一緒らしい。お互い運を味方にできるぐらいがんばろうね、だ。

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