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自分が今ヤバイのかヤバくないのか不安になることはないだろうか

自分が今ヤバイのかヤバくないのか不安になることはないだろうか。

ここでいう「ヤバさ」というのは非常にニュアンス的なもので漠然としている。

別に病気でもない、いったん仕事もしている、身の危険もない、ぼんやりと年をとり、ただただ呼吸をしている。とりあえず、生きている。

こういう状態だ。良いか悪いか分からないけど、完全に間違えているわけでもない。ただ、「今の日々が素晴らしいか?」という問いを自分に投げかけたらYESとは言いがたいようなうっすら曇りがかった毎日のことを指す。

「自分自身の人生は、自分以外の誰にも生きることはできない」という言葉がある。誰かが言っていたわけではないので、完全に僕の言葉だ。

人生というやつはボーッとしているとあっという間に流されてしまいそうになる。もちろん無理に抗う必要もないのだが、自分の気持ちがワクワクしていない日々が長い間続いているのならば危険信号だと思う。

これはスティーブ・ジョブスの言葉だが「今日が人生最後の日だと思って生きよ」という有名なフレーズがある。スタンフォード大学の卒業スピーチで語られたものだ。

じつはこのセリフには続きがあって「今日が人生最後の日だと思って生きよ。納得できない日が何日も続くようだったら、それは今いる地点から動くタイミングだ」という旨をジョブズは伝えている。

「今日が人生最後の日だったら」と毎日考えるのは難しいけれど、たまに振り返る必要はある。人間、本人が望んできた場所でもいつの間にか変型していることがザラにあるからだ。

欲しかったものも手に入ってしばらく経ったら、いらなくなっていたりしないだろうか。そして現在位置が不要なもので満たされているならば、僕たちは新天地に出かけなくてはならない。

だけど人間は変わっていくことが基本的に怖い生き物だし、そもそも心理的ホメオスタシスという変化を嫌がる本能が備わっている。原始の頃より、住むところを移動したり、シチュエーションが変わることに対してアラートを鳴らす必要があったからだ。

つまり【変化が怖い】というのは変わるということに生命の危機を脅かされてきた時代の名残なのだ。

でもこのセンサーは現代ではわりと役に立たない。ほとんどの場合、現状の環境を捨てたところで大失敗することはない。むしろエイヤで動いてしまってもそこから学べることの方が多かった。

たとえ自分でリスクをとって失敗したとしても、他人の言いなりになって知らない間にリスクを背負わされて生きるよりは100倍マシだ。

どう生きるか、をたまに考えるぐらいのセンスがほしい。少なくとも自分は。


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