いいひとなんてクソだ!

世の中には「いいひと」というやつがいる。「優しいひと」とも言い換えられるかもしれない。

彼らはなんだかんだ憂き目にあう。

彼らを踏みにじる人間、こき使う人間、いじる人間が一定数この世にはいるからだ。

世の中、歌や本の中の世界のようにはできていない。悪意や敵意がフワフワとそのへんを漂っている。

「いいひと」は誰にでも平等に接しようとする。

実際は無理だ。
「平等に接する」ってホント大変なのだ。

「いいひと」に共通することは、みんな人間関係に疲れてるということだ。

疲れてるひとを注意深く見ると、マジメすぎるひとが多い。「いいひと」ってのはなんだかんだ「まじめすぎるひと」を指す言葉かもしれない。

「分け隔てなく接しましょう」と学校では教わるが、じつはアレは我が身を焼く教えだ。関わるひと全員とマトモに取り合うなんて不可能だ。

「みんなを平等に愛する」って無理なのだ。

「誰かを愛するって誰かを愛さないってことよ!」となんかの少女漫画に描いていたことを思い出した。当時、うるせぇよと思ったが、真理でもあるのだ。

ではどれぐらいの割合で愛を分配すればいいのだろうか。「誰にどれぐらい」丁寧に接すればいいのだろうか。

意外と簡単だ。

相手が自分に向けている尊重の分だけ、相手を尊重すればいい。

もちろん人間関係は先に尊重する方がいいのだが、リスペクトがうまくキャッチボールできないときはある。そんな日は無理をしない。無理をしても苦しむだけだ。

冒頭に書いたように、世の中にはあなたを傷つけるひともいるし、苦しめるひともいる。これは仕方ない。

だから相手をしない方がいいひともちゃんといる。

地球の人口は75億人を超えた。
完全に種としてはピークアウトすべき数値だ。本能的に潰し合い、殺し合いをするのだろう。

だから悪意を持ってあなたに接してくるひとと、本気で向き合ってもキリがない。

いくら強靭な体力と精神力を持っていても、疲弊はする。

「変なやつ」は無視するのが一番なのだ。悪人に対してあなたが一生懸命にならなくてもいい。

相手に情熱が無いのに、情熱を注いだら悲劇しか起きない。温度差は絶対にうまくいかない。

分かり合うにはお互いの歩み寄りがいる。

コミュニケーションは片方だけの歩み寄りでは決して成り立たない。まじめなひとはこの片方になってしまうことが多い。

相手があなたに一生懸命じゃないなら、あなたも少し肩の力を抜いた方がいい。

「距離感」という言葉は便利だが、距離感が掴めると生きるのは少し楽になる。

人間関係の悩みは複雑でしんどくてキツイ。

うつになるひとや自殺するひとがいるぐらい難解な問題だ。そのくせいつまで経っても、義務教育のカリキュラムには追加されない。

「やられたらやり返せ」という話ではない。

「傷つけられたら倍返ししろ」でもない。それもそれでキリがない。

「スッと距離をとる」というやつだ。

ほどよく付き合うことで、大切な関係値を保存するのだ。情熱ばかりじゃ人間を大事にしていけない。

近くにいなきゃいけない関係値のひともいるだろう。

でもイマより遠ざかることは不可能ではない。

ぶつかりあってモメるなら別れた方がいいし、辞めた方がいいし、休んだ方がいいし、ひっそりとしていた方がいい。

「モメる」って何も生まないどころか失うことばかりだ。

僕はモメにモメを重ねて生きてきた。

ここに来ていくつかある座右の銘に「モメたらおわり」が刻み込まれている。最近けっこうモメてない。仲間、ダチは好きなやつばかりだ。

「距離感をミスらないように」もいくつかある座右の銘の一つだ。改めてこれは「信頼しない」とは少し違うと思う。

ムカついても、正義を説きたくなっても、助言したくても、何も言わずに、ただ距離を置く。

見捨てるのではなく見守る。

それは「相手を信じて待つ!」というホットな行為に他ならない。



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