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女にまさるところがない!

「男が女より強いのは腕力と知性だけで、腕力も知性もない男は、女にまさるところは一つもない」という三島由紀夫の言葉があるが、年を重ねるにつれ実感する。

男という生き物をもう三十年ほどやっているが、女のひとは本当に優秀である。経営していても実感する。基本的に女のひとは何でもできる。

やはり男はどうにも不器用だし、大多数が伝達力と共感力、協調力なんかも低めだ。しかし悪いことばかりでもない。筋力は強いし、知恵に関しても高めだ。

逆に言えば「力も弱くて頭も悪い」と、どうにもキツイ。

僕自身がまさしくそうなのだが、やはり社会の役に立たなかったし、簡単に踏み潰されてもきた。

というかシンプルに生きるのがめちゃくちゃハードだった。

特に僕は男の中でも能力が低いのか、すぐに「楽したい、怠けたい、どうでもいい」という方向に堕落していってしまった。

「堕落」「怠惰」「怠慢」は、じつは楽でもなんでもない。ひたすらコケにされ続けるからだ。

「男女雇用機会均等法という法律は世の中を大きく変えたのだ」とむかし習ったときはピンと来なかった。

しかし、アレは僕たちを確実に殺した。

あの法案は「あなたたちだって立派に働けますよ」と女性の自立心を促す一方で、男からなけなしの目標を奪ってしまったのだ。

「頭か腕っぷしで生きていったるねん!一発かましたる!」という目標だ。

生物学的に見れば、女性があらゆる面で優れているのは、いつの時代、どこの国の文化人類学に目をあてても一目瞭然だ。

その生物学的劣勢を克服するため、僕たち男は知性と腕力にしがみつくしかなかったのだ。

最後の砦である「そこ」を崩されてしまっては、当然ダメになる。

音楽の世界にはダメになってしまった男がゴロゴロいる。

イギリスの思想家カーライルが「目標がないくらいなら、邪悪な目標でもあった方がいい」と言っている。

そうなのだ。「凶悪さ」は男たちの特徴だ。比叡山焼討ちなんて女の所業としては不可能だ。

女は格闘技を観ても「かわいそう」や「痛そう」という感想を持つ。「思いやり」が先に来るのだ。ちなみに僕たちは「ヤベェ」「つえー」「かっけぇ」だ。

つまり男たちは良くも悪くも「邪悪さ」をエネルギーとして還元できるとも言える。

のし上がること、権力を持つこと、突出して稼ぐこと、なんかに目の色を変えるのはやはり男だ。

上昇志向が良いか悪いか、要るか要らないかの議論も飛び交うが、上昇志向により「元気さ」が手に入ることは間違いない。

このコロナショックで「元気にやらないといかんのう」というシーンが本当に増えた。

無気力に生きるのも一つの手だが、「無気力」を選んでいられない日々が続いている。

ちなみに男は「小さい頃から、よく動くから早く死ぬ」らしい。

たくさん動きたい。早く死にたい。

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