競争しないで挑戦し続ける
挑戦に必要なものがある。残念ながら素手ではチャレンジすらもできない。チャレンジというのは成功不確定な何かに向かって、足を踏み出すということと同義だ。武器、兵器なしで戦場に立ったら即死してしまう。そのツールとはなんだろう。
『健康』だ。
健康第一!とお題目のように唱えるひとがいるが、まさにそうだ。超必要。
年収が一%アップするよりも万全な体調のほうが、幸福度を六十五倍感じられているという研究もある。
僕は十代の頃から基本的に「ムリっぽいこと」にへばりついてきた。『挑戦』という表現が適切かは置いといて、何となく「ムリっぽいこと」をやりまくってきた。ドーパミンに脳がやられているからなのか、このほうが楽しいのだ。
何よりも「普通のルート」は「ちゃんとした猛者」が大渋滞を起こしていた。
たとえばサラリーマン社会ならば、生産性の高いひとや学歴の高いひと、仕事のできるひとには逆立ちしても勝てない。
音楽も同じくだ。
クラシックならば僕程度のスキルではカスりもしないだろうし、ロックだと正統派ミスチル系の席は、予約が取れないほどの順番待ちだった。文芸の世界も、四六時中読み書きするマジもんの文筆家が勢揃いだ。
逃げに逃げて、脇道から前に進む習慣がいつしか僕には身についた。そして肌には『競争しない挑戦』が肌に染み付いた。
『競争しない挑戦』という湯はじつにいい湯だ。温くもできるし、熱くもできる。気分次第、状況次第、自由気ままに道を極めていける。
正面からの比較、相対を避ければ、世間の声や野次にフォームを崩しもしない。「よそはよそ。うちはうち」だ。
もちろん他者や同業の影を完全になくすことは不可能なのだが、しかし純度のコントロールならばできる。じっさい純度100%の競争ゲームはキツイ。幾度も参加はしたが、まるで歯が立たなかった。
もはや「就職」や「公務員試験」というものよりも「競争しない挑戦」のほうが安定しているのではないかとすら思う。
根性なしみたいに聞こえるが、「よそはよそ。うちはうち」でちゃんと成果にコミットできるならばいいんじゃないだろうか。
事務所の競争は辞めちゃえばいいし、レコ屋の収益はあてにしなければいいし、自分にできることを珍しがってくれる場所、ありがたがってくれるテーブルに乗せちゃえばいいのだ。
『競争しない挑戦』のメリットは「競争しない」と言っても、挑戦はしているところにある。
挑戦とは投資だ。
何かを失う怖さ、リスクは一定伴うが、ただただ時間だけが目減りして、若さなる資産がジャブシャブとロスしていくことはない。
もちろんスリルの海を泳ぐだけで、若くいられるわけではないし、年を取ったら挑戦できないわけではない。だけど挑戦するなら遅いより早いほうがいい。三十歳になってから挑むより、二十歳のときに挑むほうがいい。
【若さ=資産】という文脈で書いてしまったが、これは残酷な事実だ。確実に値下がりし、いずれはデフォルト、債務不履行に至るリソースだ。体感として二十代のときよりも調子を整えるコストがかかる。一回体調を崩すと、戻すまで少し大変になってきた。
「若さ」の資産運用として『競争しない挑戦』は利率がいい。プロセスにもいろいろとお得なものが詰まっている。
経験、知識、場数、同志、チャンス、ピンチ、そして成果。これらがパックになったインデックス投資だ。
冒頭に行き着くが『健康』は必須になる。次第に健康おたくになってくる。健康おたくとはすなわち自分おたくのことであろう。
いまだに自分で自分をぞんざいに扱う人間の格好よさに憧れてもいるのだが、現実は少しずつ逆になっていく。
なるべく回復に良いものを摂り続けている。アル中の時点で健康もクソもないのだが、僕は体調をぶっ壊したおかげで、健康のありがたみもひとしおだったりする。
『涙とともにパンを食べたものでなければ、人生の味はわからない』というゲーテの言葉があるが、アレはアル中に向けたものなんじゃないかとさえ思う。思いながら、今日も薬をポリポリやってこれを書いている。
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