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仕事が好きなひとには最大の特徴がある

昔の知り合いに会うと「好きなことして生きてていいわね」と言われることがある。そんなつもりはないのだが、「嫌いなことをして生きるのはたしかに苦痛だろうな」とは思う。そしてそんな「苦痛の時期」というのはどんなひとにでもあると思う。

ちなみに『芸事げいごとをやっていれば楽しい生き様になり、サラリーマンになると苦しい人生になる』なんてことはない。どちらの自殺率が高いのかは分からないが、エンタメの人々は早期に死ぬイメージはあると思うし、不幸になる確率も高い気がする。「好きなこと」というのは賞味期限があるものだ。

それに音楽仲間と喋ると、「今スゲー好きなことしてます」というひとは大多数ではない。もちろん中には楽しそうにしているひともいるけれど、少数派であることは間違いない。一般社会にもそんな楽しそうなひとっていないのと同じだ。

仕事が好きなひとには最大の特徴がある。
自分のやっている仕事そのものについてべらぼうに楽しそうに喋ることだ。

僕は酔っ払って仕事について楽しそうに喋るひとがわりと好きだ。別にシラフでも好きだ。

これは別に音楽だろうが、役所の仕事だろうが同じである。
やっていることの華々しさなんかよりも、楽しそうに自分の仕事を語ってくれるひとにこそ「好きなことしてていいわね」という言葉を贈りたい。

逆に酔っ払って、「仕事とはな!」とか「音楽とはそもそもこういうものでな!」みたいな精神論、具合、摂理みたいなことを喋るひともいる。

悪いわけでもないし、自分だってそういったタイミングの方が多い気がする。
だけど一般論や精神論を語っているひとに「好きなことしてていいわね」という言葉は贈れない。

僕は何事にも当てはまるような抽象的な表現には価値があると思う。具体的なことというのは転用ができない。

抽象的というのはどういうことか。
たとえば「心を込めて演奏すれば聴くひとには届くよ」「分かるひとにだけ分かる曲を書けばいい。好かれもせず嫌われもしない音楽など意味はない」なんて話だ。

これらは抽象化するとマーケティングの話や商品開発の話とも言える。こういった内容は他の仕事をする上でも活かせるし、何なら恋愛にだって活かせる。

だけど、本当に仕事を楽しんでいるひとというのはもっと具体的な話が多いのだ。

先日、富山に行ったときに「ピックの握りを深くしたらギターの音がぶっとくなる」という話をしていた。
ピックが弦に当たっている時間が短くなるからだ。深く持つほど先端の領域、面積が狭くなる。

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基本的な音響原理だけど、ピックが現に触れているあいだ、音は止まっている。ピックが弦から離れ、はじかれて始めて発音される。これが「く」というアクションだ。触れている時間を短くするほど太い音が出る。録音して、波形で見ると一目瞭然になる。

深夜のファミレスでソウルパワーの店長と延々と喋っていた。
その後はボーカルの返しの話だった。

返しとは『モニター』とも言われるが、ステージ上、自分に向いているスピーカーのことだ。ステージ上でも自分たちの音を聴いているのだが、じつは客席、フロアとは異なるバランスで音が出ている。自らの声やドラムの音などを「返して」もらって聴く。

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そしてリハーサルでは九割のボーカリストが「自分の声もっと上げてくださーい!」と言う。フェスとかサーキットの音出しだとありがちな発言だと思う。聞いたことがあるひともいるだろう。

しかし、しかしだ。ここで「自分の声を下げてください」と発言できたら一目置かれる。寺田町、天王寺Fireloopの店長足立さんも同様のことを言っている。

「自分が良く歌う」という意識ばかりでなく、「伴奏の中でどういう歌唱をするか」という次元にいるということに他ならないからだ。

しかし超ベテランバンドのひとはさらに上らしい。
ソウルパワーの店長から聞いた話にすぎないが、「返しの役目ってのはピッチとかリズムを合わせるもんじゃない。そもそもピッチやリズムなんて合って当然。ボーカルなんだから。これは俺の声がどういう感じで客席に聞こえているかを『確認』するためのもんなんだよ」と言っていたそうだ。

これらの話を延々とやっていた。これだけ具体的な話は他の仕事では活かせない。もちろん恋愛にも活かせない。

だけど仕事の具体的な知識やノウハウを楽しそうに語るひとは好きだ。もしあなたのまわりにそういうひとがいたら、そのひとと一緒に仕事をするのがいい。きっといい仕事になる。


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