人生はなんのためにあるのか
今日はノウハウというよりも価値観よりの話になります。
モチロン、異論はあると思いますよ。あくまでタックの人生観ということでひとつ。人生経験や事項の捉え方によって変わってくる部分なのでどれが正解、不正解というものではないので。
いきなり結論ですが人生に意味なんてないってのが自分の人生観です。そんでもって、自分にとっての人生とは死ぬまでの暇つぶし。これだけの意味です。
この世界の中で自分という存在なんて虫けら以下の存在です。言うなれば有象無象。雑草。その辺に落ちてる石ころ。
宇宙というスケールで観てみると更にひどい。
超高性能な顕微鏡みたいなんでやっと見えるようないわば原子のような存在です。いや、それどころじゃねーわ。
調べてみたら宇宙が生まれて137億年以上経ってます。それに比較して人類。寿命はたった100年で歴史的にもたかだか数千年レベルくらいでしょうか。
宇宙的な時間間隔で考えるとモノの数秒程度です。もっと短いかも?宇宙という環境において我々人類というのは本当にとるに足らない存在なわけです。
ほっといたところでなんの影響もない。極論いてもいなくてもどうでもいい。
だから自分の人生に宇宙的な尺度、影響力でいうとなんの意味もないです。
ただ、それだと味気ないので自分がやってて楽しいこと、面白いと思うことに没頭できればそれでいいんじゃないですかね。
人生に意味づけするのは結局自分自身です。宇宙的に見ると自分なんてなんの価値もないし影響力もないんだから。
人間は誰しも生まれた瞬間から死に向かって歩いてます。技術の進歩でもしかしたら死ななくなるかもですが。
でもそんなもんタダの無限地獄でしょう。ジョジョの奇妙な冒険のディアボロみたいなもんです。
死んでは苦痛を味わいまた生まれて死の苦痛を味わう。生きている限り苦痛から逃れることは出来ないと自分は思います。
だから死とは救済措置。現世は苦しみに満ちてます。そこから脱出することが本当の救いなんじゃないの?と最近は思います。
死んだあとのことは一切わかりませんが無に帰るとしたらそんな悩みも苦しみも一切合切なくなるわけで。
まあ喜びも無くなりますけどね。
ちょっと話がそれましたが自分が満足すれば人生それでいいんじゃないんですか?楽しかった、生まれてよかったと思えればそれだけでいいと思います。それを味わうことが出来るのは人生の中でほんの一瞬ですがその一瞬のために生きてる。
それが他人にとってとるに足らないことでも自分がそう思うならそれで充分。人生は死ぬまでの暇つぶしということも冒頭で自分の価値観として話しましたが人生の意味からは外れるのでまたの機会に話しましょうかね。
興味ある人いないだろうけど
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