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分析の語源から行き着いた自分のアイデンティティ

分析の語源が気になって調べてみると「その漢字が示すとおり、木を斧で切り分けて使いやすくすること」(*1) という言葉がありました。

なるほど、そういうことか。これは深い意味がありますね。

確かに斧で木を切り倒し、のこぎりで切り分けてカンナで綺麗に削ると使いやすくなります。

仕事のデータも同じですね。切り分けて綺麗にすると、行動の意思決定に使いやすくなります。

一方この語源で、反対側に起こっていることも想起できました。

斧で切り倒しすぎると木が育たない。森林が減ってしまう。
森林が減ると水も食べ物も減って生物も減ってしまう。

だから必要な分析はすればいいけど、育成があってこそ持続可能になります。



今の関心事は、分析よりも大いに育成の方。

木を切らないわけではありません。生きるのに必要なものは切って使えばいいと思います。

どうせ切るなら、道具は切れ味の鋭いもので綺麗に無駄なくサッと済ませればよいとも思います。

一方、今のままのペースで木を切りすぎると、分析しすぎると、「全体」から失われるものがあまりにも多いように感じます。

「コスパ」「タイパ」も必要かも知れません。しかし、そこには育つ土壌はできるでしょうか?



私は草木が育ち、森ができていく土壌を耕したい。

だって私の名前は「森本繁生」ですからね。名は体を現すとはよく言ったものです。

「育つ土壌を耕す人」というのが、自らの名前に立ち戻った私のアイデンティティということになるのでしょう。

*1 デジタルクロス データ分析で重要なのは「列(属性)」を増やすこと【第2回】 より引用
https://dcross.impress.co.jp/docs/column/column20170926-02/000142.html

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