趣味と労働(仕事)を考える
たまたま聴いたTBSラジオ『文化系トークラジオLife「“好きなことで、生きていく”から10年~趣味と労働を考える~」』 2024年11月3日放送回が自分の興味にドンピシャだったので、番組内に出てきた話題や書籍をまとめてみました。
「面白い、誰かとこの話がしたい」という衝動に任せてまとめてみましたが、面白いさが十分に伝わるか分かりません。
是非↓の本編を聞いてください!!!
フル本編
Spotify版
Part1:出演者の自己紹介パート
Part2:現代社会における趣味と労働の関係性の変容
三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が大ヒット。
現代で趣味と労働(仕事)の関係に注目が集まっている。
趣味の多様化と浅い関与
現代では一人が多くの趣味を持つ傾向があるが、それぞれの趣味への関与は浅く、入門段階で興味が薄れていく傾向がある。この背景には、インターネットによるコンテンツの供給過多があり、趣味の選択自体が重要なスキルとなっている。趣味と仕事・研究の境界が曖昧になることで、純粋な趣味の時間が失われていく現象が見られる。
推し活と労働の関係
推し活動は日常の労働や社会的役割から一時的に解放される場として機能している。ファンコミュニティでは社会的な肩書きが消え、推しを応援する人として平等になれる一方で、新たな階層化(古参・新参問題)も生まれている。
アイドルと推し文化の課題
アイドル側からは自身を「コンテンツ」として位置づけ、ファンとの適切な距離感を模索している。一方で、ファンはより深い関係性を求め、その齟齬が新たな課題となっている。
趣味の問題化
SNSによる趣味活動の可視化により、本来労働の領域にあった競争原理が趣味の世界にも持ち込まれている。他者との比較が容易になり、趣味に対する投資と見返りを求める傾向が強まっている。
Part3:趣味の現代的課題 - 消費・価値・衝動の観点から
趣味のダークサイド
投資(時間・お金)とリターンの関係から趣味を分析する視点が生まれている。特に近年は消費を促す仕組みが巧妙化し、依存的な趣味行動を引き起こすリスクが指摘されている。
パズドラ問題(趣味の質的変化)
仕事の忙しさによって、文化的で時間のかかる趣味から、スマートフォンゲームのような手軽な趣味への移行が起きている。この変化は趣味の質的な低下として懸念される一方、現代的な適応とも捉えられる。
趣味のジャッジメント
趣味に対する社会的価値判断(高級/低級)や、趣味を仕事にすべきという社会的プレッシャーが存在する。しかし、そうした価値判断から自由になることで、本来の趣味の楽しみを見出せる可能性がある。
新しい趣味観
2010年以降、拡張や成長よりも、引き算や縮小の価値観が台頭している。趣味を仕事にするのではなく、嫌なことを避けながら、日常の習慣の中に趣味を見出す新しい考え方が広がっている。
衝動と趣味の関係性
趣味は必ずしも意味や目的を持つ必要はなく、純粋な衝動に従うことの重要性が指摘されている。一見無意味に見える趣味が、予想外の形で将来に繋がる可能性もある。
Part4:趣味と仕事の境界線 - 私的領域と公的領域の狭間で
趣味の純粋性と仕事化の問題
趣味を仕事にすることで失われる「純粋性」への懸念がある一方、それは必ずしも避けるべきものではないという議論がある。むしろ、衝動に従いながら、仕事と趣味の新しい関係性を模索する可能性が示唆されている。
バーンアウトと燃え尽き
現代社会では、趣味や仕事への過度の没入による燃え尽きが問題となっている。しかし、燃え尽きを誇示する風潮があり、それが新たな生産性への圧力となっているという指摘がある。
システムと時間の制約
趣味を楽しむ余裕は、社会的・経済的状況に大きく左右される。特に、労働や家事・育児との両立において、趣味のための時間確保は現実的な課題となっている。
私的空間と公共空間
SNS時代において、公的な場(バザール)での発言や行動には制約が増えている。そのため、趣味を通じた私的なコミュニティ(クラブ)の存在が、自由な表現や対話の場として重要性を増している。
衝動と自己表現
趣味における衝動は私的な領域でしか生まれないが、それを通じた自己表現や変化の可能性は重要である。私的な場での対話を通じて、新たな自己理解や創造の機会が生まれる。
Part5:持続可能な趣味と仕事 - 多様な自己の共存
そこそこ起業の考え方
拡大や成長至上主義に縛られず、自分の適切な規模で趣味を仕事化する新しい働き方の提案。コミュニティとの繋がりを保ちながら、無理のない範囲で私的領域と公的領域を接続する方法論。
社会的イメージと実態のギャップ
「クリエイティブな仕事=好きを仕事にしている」という社会的イメージと実態とのズレが存在する。趣味や仕事に対する固定観念が、実際の活動や選択の幅を狭めている可能性がある。
分人主義と言葉の多様性
状況に応じて異なる自己や言葉遣いを使い分ける(分人主義)ことで、より豊かな活動が可能になる。矛盾する複数の側面を持つことを許容し、それを活動の安定性につなげる考え方。
締め切りと継続性
締め切りという外部からの要請は、活動を継続させる重要な仕組みとして機能する。私的な活動と公的な約束事を結びつける接点として、締め切りが重要な役割を果たしている。
長期的な視点での活動維持
日々の小さな成果を積み重ねる加点方式の考え方が、活動の持続可能性を高める。数年後を見据えた視点を持つことで、現在の制約の中でも活動を継続できる可能性が広がる。
Part6(外伝1):趣味の再定義 - オタク文化から余暇の本質まで
趣味概念の変容
オタク文化に対する社会的認識は、この10年で大きく変化している。かつての差別的なニュアンスから、むしろ没頭できることへの羨望の対象へと変化し、デジタル化によって趣味の敷居も下がっている。
趣味の認識ギャップ
多くの若者が「趣味がない」と言う一方で、実際には様々なコンテンツに没頭している。これは趣味の定義や自己認識の問題であり、趣味として認識されていない日常的な没頭が存在している。
「ちょっぴり好き」の価値
趣味は必ずしも大きな熱量や専門性を必要としない。些細な好みや関心も趣味として認める柔軟な考え方が、より自然な趣味との付き合い方を可能にする。
余暇の本質
余暇は単なる暇つぶしではなく、自己を客観視し、内省する機会として重要な意味を持つ。日常から一時的に離れて自己を見つめ直すシェルターとしての機能を果たしている。
コミュニティと学び
趣味は単なる個人的な楽しみを超えて、知識の獲得や他者との対話を通じた学びの機会となる。同じ興味を持つ人々との交流は、新たな視点や理解をもたらす重要な要素となっている。
Part7(外伝2):仕事と趣味の境界線 - グラデーションとしての共存
文体と自己表現の使い分け
アカデミックな場面、SNS、アイドル活動など、場面に応じて意識的に文体や表現方法を使い分けている。この使い分けは単なる形式的なものではなく、それぞれの場面における自己のあり方を確立する重要な手段となっている。
家族との関係性における趣味
趣味活動を家族に説明することの難しさや、趣味に時間を使うことへの後ろめたさが存在する。特に、趣味を持たない家族との間で理解の格差が生じ、活動の開示や時間の使い方に悩む人が多い。
ライスワークとライフワークのグラデーション
生活のための仕事(ライスワーク)と生きがいの仕事(ライフワーク)の境界が徐々に曖昧になっている。この境界の曖昧さは必ずしも否定的なものではなく、新しい働き方や生き方の可能性を示唆している。
公共性と私的空間の共存
私的な空間を部分的に公共に開くことで、新しい社会的価値を創出する試みが行われている。サロンや地域活動など、私的領域と公共性が重なり合う場所づくりを通じて、新しいコミュニティの形が模索されている。
仕事による趣味の変容
趣味が仕事になることで失われる純粋性がある一方で、仕事を通じて新たな興味や視点が生まれる可能性もある。内側と外側の視点を持つことで、趣味自体への理解が深まったり、新たな価値を見出したりする経験が語られている。
Part8(外伝3):生き延びるための趣味と仕事 - 多様な依存先としての活動
視点の変化による再発見
内側から外側に出ることで、それまでの活動や場所の新しい価値に気づくことができる。アイドル卒業の経験などから、距離を置くことで見える景色の変化が、新たな気づきや成長をもたらすことが語られている。
ライフステージと趣味の変遷
人生の各段階で趣味の形は変化し、それぞれの時期に適した楽しみ方が存在する。仕事は比較的固定的である一方で、趣味は年齢や環境の変化に応じて柔軟に形を変えることができる。
複数のコミュニティと役割
一つの場所や役割に依存せず、複数のコミュニティに所属することで心理的な安定が得られる。仕事、学校、趣味など、異なる性質の活動を持つことで、一つの場所で困難に直面しても別の場所で支えられる構造を作ることができる。
協力プレイとしての活動
常に主役である必要はなく、時には後方支援に回ることで全体として持続可能な活動が可能になる。互いの得意分野を活かし、補い合う関係性が、長期的な活動の継続を支える。
持続可能な生き方
「好きなことで生きていく」という理想から、「生きていける」という現実的な視点へと転換することの重要性。複数の活動やコミュニティを持つことで、リスクを分散し、長期的な持続可能性を確保できる。
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