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勝手に作った第二の名前「ウツミ ヤヒト」

<1階>命名

僕は単純な欲望として新しい名前を作ろうとした。

簡単に言えば新しい自分が欲しかった。

今更もう一つの理由をつけるとしたら、この間見たシン・仮面ライダーに影響を受けたともいえる。本郷猛でありながら仮面ライダーとも名乗るというのに単純に憧れた。

では、さっそくお見せしよう。これがゴロゴロしながら考えを巡らせて考えた、僕の第二の名前である。

「ウツミ ヤヒト」

ちゃんとしたもっともらしい読みになってしまった。すかした名前になったのが自分でも腹立つ。

これがカタカナなのは単純にどういう漢字を当てればいいかわからなかったというだけだ。

<2階>なんでこうなった、苗字

最初はこれまでテキトーに自己紹介をするときに名乗っていた偽名を使おうと思った。

「田中です。」とか「内田オカキオです。」とか「ワシヤと申します。」とか。

そもそもアカウントのタクオノレというのもそういう分類に近いのだが。

今後もこれはこれで積極的に使っていこうと思うが、こういう搾りかすみたいな発想法ではなく、ちょっとちゃんと考えようと思った。

そもそも僕は、大学に入って自分のやりたいことが見つからないし、自分とは何かということで大変困っていた。「虚ろ」(うつろ)な状態がずっと続いていた。

そして、あらゆる課題をほっといてどうでもいいことにうつつを抜かし、その都度それも飽きちゃうという、どうしようもない特性があった。

こうやって、ぼーっとした状態を続けていくうちに、社会にほっぽり出されて何ができるんだろうという思いは日々強くなった。

自分が生きていることさえ、身のない嘘っぽさがある、虚構であるという風に考えていた。

しかしながら、ある時人間はそういう虚構に何かを見出し、虚構を信じて生きている生物であるということに気づいた。(後日そのことを書くだろうと思うけど、気になる人はサピエンス全史読んでください。)

じゃあ、もう開き直ろうじゃないかという風な考えのもとこうなりましたとさ。

<3階>なんでこうなった、名前

自分という存在は自分のものであって自分のものではない。自分の中には無意識という存在がいつもいるし、そもそも他者の存在がすごく大きいものだ。

その比率は詳しくはわからないけれど、でも自分の在り方としてはそういうものなんだと思う。

僕の本名は「拓己」と書く。つまり「己」という自分そのものに視点を向けた字を授かったわけだ。

じゃあ、「自と他」というテーマのもと、「他」に視点を向けた名前を付けようじゃあないか、と、思った。自分であって自分でないものを作りたいんだから。

じゃあ、単純に「他」という漢字を分解して「人」と「也」にして組み合わせたら、「人也」。ジンヤとかって読むのかな。でもちょっとジンヤはなんか違ったから、ひっくり返して「ヤヒト」にした。

<4階>どこで使うんだよ

と、こう長々と自己満足かつ、すかした論を書いてきたわけだが、問題はここからである。

どこで使うんだよ。

だいたいの場合は本名で事足りるし、SNSのアカウント名を変えるつもりはない。

じゃあなんだと、ただ作っただけじゃないかと。

まあいつか使う日が来るんじゃないかと思っている。正直な話この名前も、しっくりこなくて改名するかもしれない。じゃがいも亭キヨヒコとかに。

近い将来短い小説を書くときにつかってもいいかもしれない。書くかもわからないけど。後は俳句や短歌を作った時の名前にするとか。

決めてはないけど、頭の片隅にはおいておくだろう。そういう自分があったっていいじゃないか。

ここまでつまらない話を長々と聞いていただきありがとうございました。








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