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マクスウェルの悪魔と"分別"

私は全くの文系脳だけれど、最近熱力学や量子学などをかじっては、科学哲学の真似事のようなことを考えている。そんな中で気になるのが、マクスウェルの悪魔だ。

詳しいことはwikipediaで。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%82%AA%E9%AD%94

熱力学第二法のように対立する2項が変化していくのは思想の側面からも面白いと思う。マクルーハンはテレビをHot、ラジオをcoolと表現していたし、社会の変化を熱力学の法則のように捉えることのは、単純な2項対立で線引きをして全く交わることのない矛盾を作り出す考え方なんかよりはよっぽど有用だ。そんなことを考えているとマクスウェルの悪魔という仮説は、忌まわしい2項対立を熱力学上でも作り出すらしく、気になったので自分なりに一考してみた。

マクスウェルの悪魔を超簡単に素人的に説明すると、熱い分子と冷たい分子の部屋の仕切りにマクスウェルの悪魔という仮説上の存在が、両者の分子を選別することがでいれば、両者の部屋が交わることはなくエントロピーは上昇せず、温度変化もしないということらしい。ただし、あくまでも仮説。実際にそんな悪魔は存在しないが、仮説であっても熱力学第二法則を成り立たせないというのは由々しき問題らしい。

このマクスウェルの悪魔のような存在は、人間の思考に例えるなら、身勝手な”分別”のように思える。対立するものを理解する上で両者が別れていないと気が済まず、両者が交わろうものならあらゆる要素をレッテル付けして”分別”して,2項対立で理解する。そして、その対立した図式をマクスウェルの悪魔の目線で傍観する。思い返せば、自分もそんな時があった気がする。自戒を込めて気をつけていきたいものだ。

ただ、このマクスウェルの悪魔のような矛盾も人間らしさなのだと思う。こんな存在、現時点では仮説でしか成り立たないのだが、(ネットで検索したらマクスウェルの悪魔を現実で作り出すことができたらしいが・・・。)仮説であっても真理にそぐわない可能性があるのなら、真理すら疑わしいと思ったりするのも人の理なのではないだろうか。

結果的に、何が言いたいのかは良くわからないが、私個人としては諸説あるかもしれないがマクスウェルの悪魔には出会わずに、熱力学第二法則のように物事を自然に受け止めていきたい。