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「生きる」ってなんだろう

こんにちは!
ねもです。

今日はちょっと自分の中で湧いてきた質問について書きたいと思います。
テーマは「生きる」ってなんだろう、というテーマです。

記事にするとスピリチュアルや宗教感あるって言われそうですが、このことってちゃんと自分の中で定義しておく必要があると思ったので、思考整理してみようと思いました。

これって意外と考えるのを避けてきたテーマではないんでしょうか?
これは個人個人の意味だと思うので、自分の中で「生きる」意味を再定義するきっかけになればありがたいです。

正直、今の僕の中ではこの定義ははっきりしていません。
・守りたい人がいるから?
・世の中に貢献したいから?
・関わってくれる人に恩返ししたいから?
・たくさんの人を笑顔にしたいから?
・新しいものを作り出すため?

しかもこの質問を考えるのに、たくさんの他の質問が上がってきました。
・何で人はそんなにお金を求めるのだろう(お金がないと助けてもらえないの?)?
・戦争で命をかけて戦った人はどういう思いで戦っていたのだろうか?
・自分じゃなくても、誰かが同じことをする。そしたら僕がやる意味は?
・何のために、仕事をしようとしているのか?
・仕事を通して、もっと頑張ろうと思ってもらえる仕事ができているのか?

自分の中で生きる意味を定義できていないのに、他の人の生きる希望とかきっかけにはなれないなと。
自分から湧き出てくる質問を考えていたら、そういう気持ちが湧き出てきました。

自分が生きる意味を定義できてないのに、他の人が生きる意味を明確化させたり、誰かの支えになんてなれないんじゃないか、と。

これを読んでくれている人にとって「生きる」意味ってなんですか?
常識とかお金とか全てとっぱらって、何をしたら生ききったって思そうですか??

「生」があるから「死」があって、「死」があるから、人の命の有限性を感じることができて、大事な人の存在や周りにあるものに感謝ができるようになる。
つまり、生きるとは、自分の大事な人への感謝や恩返しをすることなんじゃないか?
生まれた奇跡、出会えた奇跡を感じることなんじゃないか?
誰かの生きるきっかけになることなんじゃないんだろうか?

「生きる」とは「死」が来ることを理解して、全ての奇跡に、日々の奇跡を感じて、感謝することなんではないだろうか?
つまり、まず「死」が明日訪れるかもしれないことにちゃんと向き合うことが、「生きる」ことなんじゃないだろうか?

「死」に向き合うからそこ、「生きる」意味が自分の中に見つかるんじゃないか。

これが僕の頭の中で考えた結果でした。
「死」に向き合った時に、生きる意味が見つかる。
お金とか、地位じゃなくて、誰かが憧れるものではなくて、自分が生きる意味をはっきりさせたい。

誰かが生きたかった今日を、僕たちは生きさせてもらってるんだから。
本気で生きたいな。

ということで、知覧に行ってきます!!

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