見出し画像

いしころ

今日は、大学最後の授業の日だった。だからといってなにか特別なことがあるわけでもないのだけれど。

学生として今の大学で授業を受けることはないんだという寂しさを感じつつ、一年生から数えて何回僕は授業を受けてきたのだろうと、ぼうっと心を放り投げて、真っ暗な中を流れていく街灯を電車の中から眺めている。

今でもはっきりと、こっちに来た日のことは思い出せる。小さなスーツケースを引き摺って、ローカル線の小さな駅を降りて、契約していたアパートに歩いていった。

そこそこ大学から距離のある家だったから、雨の日なんかは行くのが億劫で仕方なかった。寝坊した日には死にものぐるいで自転車のペダルを漕いで、きつい坂を登っていった。

そんなふうにして、何度僕は大学に通ったのだろう。何回僕は授業を受けたのだろう。最初から最後まで受ける授業の回数を表示するカウンターのような、日をめくるようにパラパラとゼロに近づいていくものがあればよかったのにななんて少し思った。そうしたら、もう少しここでの時間を大切にできた気がするから。

いろいろとせわしなく過ごしていた僕の大学生活は、最後あっけない形で幕を閉じた。他のみんながしているように、オンラインで普通に授業を受けて、対面で会える機会があれば足を運んで、卒論には人並みに苦しめられた。 

本当なら、僕は今頃バングラデシュにいるはずだった。コロナでそれが中止になって、その通告を聞かされたときは悔しくて悲しくて、涙が流れそうになったけれど、ここで流れる大切な時間はそれ以上に価値のあるものだったと今は思う。

遠くの国の誰かを思いやって行動することも大切だ。ただ僕は、それに目線を奪われすぎていたのかもしれない。先を見据えるばかりで自分の足元が見えないまま歩き続けたら、泥濘にはまってしまっていた。

忙しくて自分が蔑ろにしていたものを取り戻すように、僕は静岡に向かった。静岡の農家さんの家で働きながら、大学にはできるだけ足を運んだ。たとえ対面で授業がなくとも、行けば誰かに会えたから。

世界の課題と向き合うことよりも、今は、僕が大切にすべきだったものと向き合う時間で、コロナはそのためにあるんだと半信半疑で信じるようにしていた。いつしかそれは、疑いもなく当たり前に僕の心に居座り続けた。

一緒に昼ご飯を友達と食べたり、ゼミの合間に話したり、暇があればお酒を持ち寄って飲んだり、ちょっと前まで当たり前だった日常は、僕がケニアに行ってから当たり前とは程遠い位置に置き去りにされてしまっていて、なんだか慣れるのに時間がかかった。

人生をバケツに例えた教訓を聞いたことがある。大きな石から最初に詰めないと、小石や砂利をバケツがいっぱいになるまで入れることはできない。小石や砂利を先に入れてしまうと、大きな石は入らなくなる。

要するに、「人生は細かいことを敷き詰めすぎると本当に大切なものを失ってしまうから、自分の大切なものを理解して大事にとっておけ」という教訓のようなものだ。

きっと僕にとって大きな石は、友達と過ごす大切な時間だったのだろうと思う。もちろん、国際協力だってそうだけれど、人のことばかりを思いやって、自分を思いやることを忘れていた気がする。そんな僕にとって、本当に大切なことは、きっと今までずっと目の前にあったものだった。

ふたつ、大きな石をバケツの底に沈める。

うち片方はこれまで身近にあったけれど、身近にあったからこそ思いもよらなかったもので、それはきっと、今でなければ得られなかったものだったように思う。

これから僕はどんどん大人になっていく。変わらない日常なんてないから、またねとばいばいを伝える相手も風景とともに変わっていく。静岡駅のホームを挟んで帰りの電車に乗る前に、いつものように僕は別れ際友達にばいばいと軽く挨拶をした。それはきっと、これまでの日常に別れを告げる合図でもあった。

少しやっぱり寂しいけれど、それでも、変わらないものなんて何一つない世の中で、時間の激流にも押し負けない大きな石を見つけられたことは僕の一生の財産だと思う。

きちんと感謝を伝えるのはなんだかまだ早いような気がするけれど、今日はなんだかありがとうと伝えたい気分でこんなことを書く。見返して恥ずかしくないことを祈る。汗臭いことは苦手ですと、ゼミの先生に言われそうだ。

サポート代金は取材のための移動費・活動費に充てさせて頂きます!少しでも僕の記事がもっと読みたい!と思ったら、サポートしていただけると嬉しいです!