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「中の人」なんていません!(小説)


ゲームセンターでUFOキャッチャーに並んでたら、「おじさんのくせにぬいぐるみ欲しいのかよ」とギャルに小声で言われた。

コンビニで一番くじのラストワン賞(大きめのぬいぐるみ)を引き当てたら、「お子さん喜びますね」と店員に悪気なく言われた。

世間的に見ると俺も立派なおじさんなのか、と今年37歳になる日熊勝は思う。

オールバックにしている髪は年々薄くなってきた気がするし、目元の小皺も増えてきた。気持ちは若いままでも身体は歳を重ねていってしまう、というのは残酷だ。


今の会社、住宅メーカーに勤め始めてもう10年以上になる。

こんな会社辞めてやると言いながら転職するタイミングを失し、いつのまにか部署の中でも中堅と呼ばれるような齢になった。自分が新人の頃より遥かにしっかりしていて気が利く20代の後輩もできた。

金曜日の午後8時、勝とオフィスに残って残業をしていたその後輩が、申し訳なさそうに勝に声をかけた。

「先輩、すみません、今日は同期と飲み会があるんでこの辺で」
「おう、行ってこい。あとは俺がやっとくから」

勝の部署は、一週間後に迫った住宅展示場でのイベントの準備に追われていた。例の疫病の影響も少なくなり、展示場でのイベントーーヒーローショーやキッチンカーの出店なども徐々に復活してきた。


「飲み会なんて大学卒業以来やってないんで、実はめっちゃ楽しみなんですよ。支社に行った同期の女子も今日のために来てくれるみたいで」

後輩はいつになくウキウキしていた。

「合コンか? いいな、楽しそうで」
「いや、そんなんじゃないですよ。気の合う数人と飲むだけなんで。日熊先輩の若い頃は、やっぱり合コンよくやってたんですか?」

「大学の頃はよくやってたな。就職してからもたまにあったけど、同期がどんどん結婚していってそのうちなくなっていったな」
「さぞモテただろうな、先輩は……あ、今もか」
「喋ってる暇があるなら早く行ってこい」

慌ててオフィスを出ていく後輩を見送ると、勝はため息をついた。

自分が今、同期と飲みに行っても、子供の話を聞かされるか、何で結婚しないんだと詰められるだけだろうな、と思うと、ますますため息が出る。

一人でこうして残業をしていると、「嫁も子供もいなくて、仕事ばっか。何が楽しくて生きているんだ」と、いつか同期に言われた言葉が頭をよぎる。

勝は目を瞑り、目頭を指で抑えると、軽く首を振った。そして、机の上に積まれた書類の山に向き直った。

書類の山の中から、今回のイベントのカラー刷りのチラシーー新聞広告やポスティング用の、ツルツルした紙に印刷されているチラシを手に取った。

様々な出店者の情報が所狭しと書かれている中、右端の目立たないところに書かれた、
『浜百合市のキャラクター めん太くんがやって来る!』
という文字と横に添えられたイラストを見て、勝は口元を綻ばせた。

勝はスマホのロックを解除し、Twitterを開くと、フォローしているアカウントの一欄から、浜百合市の広報アカウントを開いた。

『△△住宅展示場で、めん太くんが特産品のPRをします!』というツイートが、トップに表示されている。

「本当に来るんだな……」

写真も何もない、そっけない文章だけのツイートを眺めて、勝はしみじみとそう言った。


めん太くんは、ここ浜百合市のマスコットキャラクター、いわゆる「ゆるキャラ」だ。

かつて浜百合市で行われていた綿花栽培と紡績業にちなみ、綿花の種をイメージした白いもこもこした身体、つぶらな瞳で、木綿の着物を着た小僧さんのような見た目のキャラクターだ。

めん太くんは、市の紡績業記念館の開館にあわせて作られたキャラクターだが、そのもこもこしたフォルムから密かな人気があり、紡績業記念館とは関係がない市の行事にも時々出没している。

勝はその隠れたファンの一人だ。オープン当初の紡績業記念館に出没していた頃から会いに行っているし、めん太くんの着ぐるみの写真が載った市の広報はスクラップして保存してある。

よもや自分が企画した住宅展示場のイベントに、めん太くんが来ることになるとは思ってもいなかった。

めん太くんは着ぐるみこそあるものの、グッズなどもほとんど売られておらず、イベントによく出没するようになったのもここ数年のことだ。

こっそり市の担当者に出演を打診してはいたが、まさか本当に来るとは思っていなかった。

「……イベント当日になれば、めん太くんに会える」

絞り出すような声でそう言うと、勝は拳を握りしめた。そして、机の上の書類を、ものすごい勢いで処理し始めた。


☆ ☆ ☆

イベント当日。

慌ただしく準備を進める勝たちを、春というには烈しすぎる太陽が容赦なく照らしている。あまりの暑さに、スーツのジャケットを脱ぎ腕捲りをしながら、勝は当日の進行の最終確認をしていた。

「お客さんが来たらちゃんとジャケット着てくださいよ、日熊先輩」

後輩はよく冷えたお茶のペットボトルを出店者に配って歩いていた。

「モデルハウス担当のお前がビシッとしてるからいいだろ。俺は今日は裏方だし」

後輩からペットボトルを何本か受け取り、勝は会場を歩き回る。どのブースも慌ただしく準備をしていて、まだお客が来ていないのに賑やかだ。

イベントの始まる前のこのワクワク感は嫌いじゃない、と勝は思う。


勝は浜百合市の広報ブースへと向かった。市のブースは、一番大きなモデルハウスの斜め向かい、一番人目につくいい位置にあった。

ブースに1人、めん太くんのTシャツを着た広報担当者らしき女性職員がいたが、他には誰もいない。

「今日はお世話になります。あれ、他の方は……?」
「ああ、着替えに行ってまして。着ぐるみの」

職員は勝の背後にあるモデルハウスを指をさす。

休憩所兼出店者の控室としても開放している建物の中に、着ぐるみらしきものを抱えた職員が入っていくのが見えた。眼鏡をかけた、若い男性職員だ。

その男性に何やら声をかけているのは、勝が今回のイベントにあたってやり取りをしていた中堅の職員だ。

「あの着ぐるみ、頭が重くて歩きにくい上に、視界も狭くてまともに歩けないんで、ああやって付き添いがいないとダメらしいんです」
「……大変ですね」

「うちの若い職員が入るんで、体力面は大丈夫だと思いますけど、人手不足なもので交代要員もいなくて」

めん太くんの中の人が少し不憫に思えた勝は、お茶を一本余分に置いて、その場を後にした。


イベントの開始まであと10分ほどになると、人の動きがますます慌ただしくなってきた。

挨拶回りやら呼び込みの準備やらを終えた勝は、ふと気になって、例の休憩場所のモデルハウスに向かった。

今日の最高気温は25度近くなる。めん太くんも来てほしい、と自分が頼んだ手前、着ぐるみの中の人が熱中症にでもなったら、という不安が彼にはあった。


市のブースには、Tシャツを着た女性職員はいなかったが、代わりに例の中堅職員がいた。スマホを片手に、何やら真剣な表情で話し込んでいる。

話しかけるのを躊躇した勝の目に、モデルハウスから出てくる真っ白い毛むくじゃらの人影が飛び込んできた。


それは待ち焦がれていた着ぐるみーーめん太くんだった。

めん太くんは、覚束ない足取りでモデルハウスを出ると、建物の壁に手をつきながら、市のブースとは反対の方向へ歩き出した。

「おいおい、どこに行く気だよ」

勝は慌てた。だが、ブースにいる職員も、他の出店者も、皆自分の仕事で精一杯で、明後日の方向へ歩いていくめん太くんに気づかない。

「……しょうがない」

勝はめん太くんの後を追いかける。めん太くんの着ぐるみは、この手の着ぐるみにしては珍しく成人男性くらいの身長がある。密度の高い白い毛に覆われた大きな頭部は、近づくと妙な圧迫感がある。

「もしもし」
勝は、差し出がましいことを承知で着ぐるみの肩を叩いた。めん太くんが振り返る。つぶらな黒い瞳が、勝の目の前に現れる。

「あ、えと」

勝は口ごもった。綿花の種をイメージしたふわふわの頭部、溢れんばかりの綿毛の中から見える黒い目に正面からまともに見つめられ、言葉を失った。

着ている着物は張りぼてではなく本当に木綿で出来ているようだった。縞模様が入った茶色の生地に、白い糸で綿花の絵が刺繍された焦茶色の帯。作った人の細かなこだわりが感じられる。

「ブースはこっちじゃないですよ、逆側……ってこれ聞こえてるのか?」

めん太くんは声がした方を振り向いてみた、という感じで固まっていて、勝の姿も見えているのか怪しかった。

「……見えてないなら、ブースまで連れて行ってあげますよ」

勝がそう言うと、めん太くんは大きく頷いた。ぶんぶんと短い腕をふる。

お礼を言っているつもりだろうか。ひとしきり手を振り回すと、めん太くんは、そのまま勝に向かって手を伸ばしてきた。

真っ白で、もこもこの、愛らしいミトンみたいな手。

「……ああ、手を握ってね、もちろん」

勝はめん太くんの手を握ると、その手を引いて市のブースの方へと歩いて行った。

めん太くんの手は大きく、綿毛のような白い毛に包み込まれると、少しくすぐったい。

勝は夢でも見ているのか、と思いながら、市のブースまでの十数歩をめん太くんと共にした。

めん太くんは、バランスを崩さないよう必死に、ペンギンのようなよちよち歩きで歩いていた。勝は一歩一歩ゆっくりと、めん太くんの歩調に合わせて歩いた。

10分くらいかかってめん太くんをブースに連れ戻すとーー戻ってきた女性職員にお礼を言われた気がするが彼は上の空だったーー勝はその場を後にした。

一般客の入場が始まり、あちらこちらで風船やチラシを手に持った親子連れが目に入る。会場にまた、違う種類の熱気と喧騒が流れ込んできた。太陽は一段と高くなり、気温は上がり続けている。

「クソ、熱でもあるのか、頭がぼうっとするな」

歳かな、と自嘲気味に呟きながら、勝は妙に鼓動の早い胸に手を当て、少し休憩しようと事務所の方に足を向けた。



★ ★ ★


犬山一希が異動してきた部署で最初に任せられた仕事は、着ぐるみに入ってイベントに出ることだった。

一希は、浜百合市役所に就職して今年で3年目になる職員だ。童顔のせいでたまに学生に間違われることもあるが、つい先週25歳になった。


役所の仕事というのは、よく言えばバラエティーに富んだ仕事、悪く言えば何でも屋のような仕事だ。

だが、3人だけしかいない「市産品振興係」に配属になり、25歳にして初めて、もこもこの着ぐるみを身に纏うことになるとは、思ってもいなかった。

「この着ぐるみ、背が高い人が着ないとバランス悪くて歩けないのよね。だから今年も男性の若手の方が来てくれてよかったわ」

イベントの当日、更衣室で着替えながら、一希は女性の先輩の言葉を思い出していた。

彼の身長は、平均より少し低いぐらいだ。自分が中の人に抜擢されたのは「若い」「体力がある」という理由だけだろう、と彼は思う。


着ぐるみの「中の人」になることは、若くて体力が無ければ、いや、若くて体力があっても、過酷なものだ。

まず、着ぐるみの中はとても暑い。自分の体温が逃げていく場所がなく、湿度も高い。

天気の良い春の日の屋外、着ぐるみの中は真夏日のような暑さで、立っているだけで汗が噴き出てきた。

そして、視界が暗い。着ぐるみの目の部分が覗き穴兼通気口になっていたが、視野は狭く、外の様子は僅かしか見えない。

特に足元が見えないのは心細い。上司が転ばないように手を引いてくれる、と聞いていたが、更衣室を出て数歩外に出ても、誰に声をかけられるでもない。


半ば泣きそうになりながら、一希はとりあえず、市のブースがありそうな方向に歩き出す。手足も上手く動かせず、重い頭でバランスを取って立っているだけで精一杯だった。

僕はこんなことするために、市の職員になったわけじゃないのに、と誰にも聞こえない弱音を言おうとした時、誰かに肩を叩かれた。


『ブースはこっちじゃないですよ、逆側……ってこれ聞こえてるのか?』

着ぐるみ越しでくぐもっていたが、男性の声だということはわかった。

声がする方を振り返ると、正面に誰かが立っているようだったが、顔までは見えなかった。

めん太くんの着ぐるみは両目が離れていて、目と目の間、つまり真正面は死角だと先輩は言っていた。


一希は、なんとか聞こえているとアピールするため、着ぐるみの腕を振り回した。

「見えてないなら、ブースまで連れて行ってあげますよ...…ああ手を握ってね、もちろん」

男性は優しくそう続けると、一希の手を(着ぐるみ越しに)そっと握った。

男性はそのまま手を引いて市のブースの方に誘導してくれた。

まるでよちよち歩きの赤ん坊の手を引くかのように、一歩歩いては止まり、一希の歩調に合わせて手を引いてくれた。

その手が、暗くて心細い世界の中で、唯一の導きかのように、一希は感じられた。


「ああ、すみません、日熊さん! 着ぐるみの誘導までしてもらって」

上司の声が聞こえる。市のブースの前にたどり着けたようだ。

日熊と呼ばれた男性は爽やかに上司の礼に応えると、一希の手を離してどこかへ去っていった。


優しい男性ーー顔も知らない、声もぼんやりとしか聞こえなかったその男性の正体を、一希は期せずして知ることになった。

イベントが終わった次の週の水曜日、一希の部署に上司とやりとりをしていた住宅メーカーの社員がやってきた。

すらりとした長身で、ダークブルーのスーツを着こなして髪を後ろになでつけた30代くらいのその男性を、「日熊さん」と上司は呼んでいた。

「日熊さんですか!」
一希は思わず立ち上がって男性に近づいた。
「イベントの時は、ありがとうございました」

日熊はきょとんとした顔で一希の顔を見つめた。

「着ぐるみに入っていた者なんですけど」
「ああ、めん太くんの...…!」
「その節はありがとうございました」

日熊は爽やかな笑顔を浮かべ、「いやいや、お役に立てたなら何よりですよ」と言った。

心なしか目元が優しく見えるのは、笑うと目元に小皺ができるからだろうか。

「お礼といってはなんですが、うちの係で作っためん太くんのクリアファイルがたくさんあるんですが、いかがですか。あ、缶バッジもありますよ」

一希は机の上に置かれていた小箱からクリアファイルと缶バッジを取り出した。数年前まとめて発注したっきり倉庫で眠っていたものを、今回のイベントに合わせて持ってきてあった。

「え、そんな、いいんですか......?」
日熊は目を大きく見開いた。

「はい、ぜひ」
「うわー、こんなグッズがあったんですね、めん太くん...…ありがとうございます」

目を輝かせて喜ぶ日熊を見て、一希はなんだか嬉しくなった。


「日熊さん、お好きなんですか、めん太くん」
「ええ...…好きです、かわいいので」
日熊は照れて頭をかきながら、それでもはっきりとそう言った。

一希は何故か、くすぐったい感じがした。

めん太くんの着ぐるみに入り、ブースを訪れた子供に触られたり「かわいい」と言われた、その時と似たような感覚だった。

そしてその言葉が、目の前にいるスーツをビシッと着こなした男性から聞けたということに、不思議な感銘を受けた。


日熊は一希と上司にお礼を言い、溢れるような笑みを残して、去っていった。

颯爽と歩くその姿は、着ぐるみの狭い視界から見たときよりも、眩しく見えた。


ーー
着ぐるみの中の様子は着ぐるみに入ったことがある知人に聞いて書きました。情報提供SPECIAL THANX!(とらつぐみ・鵺)