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「先生」からの手紙(小説)

11月19日(水)  20時過ぎの職員室にて

先生へ

朝晩がめっきり涼しくなってきましたね。会議が終わって職員室に戻ってきたらとても寒くてびっくりしてしまいました。

昨日のお手紙にお返事すぐに返せずすみません。ホームルームの後生徒の進路相談を受けていたら遅くなってしまい、レターボックスを見れずじまいでした。進路相談、といっても勉強面だけでない、将来の不安や様々な事情があって難しいですね。

先生の好きな花は石蕗、ということですが、僕の好きな花は梅です。今は季節じゃないですが、赴任したての頃、この学校の裏山で遅咲きの梅が咲いているのを見かけて、少し嬉しくなったのを思い出します。

同僚の先生たちにこのことを話すと、梅より桜の方が好き、やっぱり入学式は桜だよねと言われてしまいましたが。

これからますます寒くなりそうですが、先生もお身体にお気をつけて。それでは。

藤田


藤田先生へ

忙しいのにお返事ありがとうございます。裏山の木も少しずつ黄色や赤色になってきましたよ。

そちらのことはわかりませんが、梅より桜が好きという人もいるのですね。

桜は、山桜ならともかく今のソメイヨシノは、どれもこれも同じように見えるのでそこまで有り難がるのはよくわかりません。まあでも人の好みも時代によって移り変わるから、ワタシがとやかくいうことじゃありませんね。

そういえば、昨日裏山にチョウゲンボウがやってきて驚きました。少し羽を休めた後すぐ川の方に飛んで行きましたが。

この裏山も、昔はオオタカだとか色んな猛禽がやってきましたが、今は一部が拓かれてグラウンドが作られたり、周りの田んぼがなくなったりで小鳥も少ないですね。鳥たちとのことも、また時代の移り変わりによるものだから仕方ない、のかもしれませんがね。

先生より


11月3日(木) 14時過ぎの職員室より

先生へ

こんにちは。今日は珍しく僕からお手紙を差し上げます。

今日は祝日で半日だけ陸上部の練習があったので、裏山の第二グラウンドにいたのですが、先生が先日言っていた例の鳥、チョウゲンボウらしきものを見かけました。グラウンドの隅、ネットが張ってあるポールの上で羽繕いをして休んでいました。

お手紙をもらった後調べたら隼の仲間だとあったので、「こんな住宅地のど真ん中に隼なんていないだろう」と思っていましたが、本当にいて驚きでした。

自分が勤めている学校だ、というだけで何でも知った気になってしまいがちですが、全然そんなことはない、と気付かされました。今担当しているクラスにも、僕には見えていない一面があるのかも知れません。見えてない一面にも気づけるのが「いい先生」、なのかも知れませんが……

そういえば、先生からお手紙をもらうようになってちょうど半年になりますね。いつの間にかレターボックスに入っていて、どの「先生」からのお手紙かいまだに分かりませんが、これからもお手紙、楽しみにしています。

藤田


藤田先生へ

チョウゲンボウ、見られてラッキーでしたね。猛禽類をはじめ山から渡ってくる鳥は一期一会、パッと飛んできて去ってしまうことも多いのですが、あの鳥はこの山を気に入ってくれたみたいです。

ワタシがチョウゲンボウに気づいたのは、藤田先生よりずっと長い時間、山を見続けているからです。

でも、1年やそこらで、40人もの人間をずっと見続けて、その人たち全員のことをわかる、というのはどだい無理な話ではないですかね。

と言ったとて、「先生」はそういうお仕事だから仕方ない、と言われてしまえばおしまい、なのかも知れませんがね……

先生、という言葉は元々、「先に生まれた人」という意味なんだそうです。いつのまにかそんな責任のある存在になってしまったようですね。

これから風邪が流行る季節となりますから、お気をつけて。

先生より


1月20日(金)17時の職員室にて

藤田先生へ

こんにちは。しばらくお手紙が途切れてしまっていますが、お元気でしょうか?

今年は例年にないほどの寒波だそうで、心なしか、渡り鳥がやってくるのも遅い気がします。昨日などは霜が降りていて、グラウンドに向かう生徒たちが霜を踏む、パキパキという音が響いていましたよ。

冬というと、草木は枯れ、日も短くて気が滅入ってくる人も多いのか、虚な目で裏山の辺りをフラフラ散歩する人を見かけて、時折心配になります。

それでも、真っ赤な南天の実がなっていて、ヒヨドリやツグミがかわるがわる訪れているだとか、少し目を凝らせば生き物の息遣いが感じられるはずです。

忙しい中しょうもない話ばかりで恐縮ですが、気が向きましたらお返事ください。

先生より


先生へ

ご存じかもしれませんが、体調がすぐれず一週間ほどお休みをいただいていて、お手紙が書けず心配おかけしました。

先生のお手紙を読んで、お返事を書いている時間は、仕事のことから距離を置いて、自然のことに思いを馳せることができるので楽しい時間です。

僕は生物が専門ですが、裏山の身近な自然や鳥のことは全然知らなかったので、新鮮な驚きが得られる先生からの手紙はとても貴重です。

陸上部の生徒たちは、今月末にマラソン大会があって張り切っています。彼らを見ると、僕も頑張れるような気がします。

藤田


3月16日(木)19時の職員室より

先生へ

裏山でも梅の花の香りがかすかに感じられる頃となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

明日の終業式でもご挨拶しますが、僕は今月末で教師の仕事を辞め、地元に帰ることにしました。

「先生」としてこの学校で過ごした日々は、とても貴重なものでしたが、体調を崩してしまったことをきっかけに、自分にはもっと違う「選択肢」があったのではないか、という思いが強くなったためです。

先生が裏山のことをずっと見ていて、細かい変化に気づけるように、些細な人の機微に気づき、寄り添える「先生」に、僕はなりたかった。でもそう思って頑張りすぎた結果、皆に迷惑や心配をかけてしまいました。

今は、自分の性分にあった、別の目指すべき自分があるのではと思っています。

最後に一つ、お願いがあります。

一年近くお手紙を交換していましたが、とうとうあなたがどなたなのかわからずじまいでした。

実を言うと、最初は一体誰がこんな手紙を、という好奇心から返事を書いたのです。

その後、一日中レターボックスを見張ったり、レターボックスの近くに座っている先生に誰か手紙を入れていないか聞いてみたりしたのですが、誰もレターボックスに触れていないはずなのに手紙が入っていて、少し不気味でした。

けれど、先生と文通することはなんだかんだで楽しく、このお手紙がなければ、もっと早く心が折れていて、新しいスタートを切ろうという選択肢すら浮かばなかったかも知れません。

この学校を去ってしまう前に、ぜひ直接お会いして、お礼が言いたいのです。

もしお会いできるなら、明日の16時、生物室の裏、校舎と裏山の間にある大イチョウの下のベンチに来てください。お待ちしています。

藤田


3月17日(金)16時 大イチョウの下のベンチにて

藤田先生

ワタシが貴方の前に姿を見せず、この手紙だけを置いていったことに、心底がっかりされているでしょう。

ですが、これが最もいい方法なのです。仮にワタシが姿を見せても、貴方は見ることすらできないでしょうから、思いを伝えるのは、この方法が最良だったのです。

ひょっとしたら薄々勘付いておられるかも知れませんが、ワタシは教師ではありません。

貴方よりもずっと年上で、何百年も前からこの裏山を見続けているという点で、「先に生まれた存在」であることは間違いないので、先生、と名乗っていますが……誰かがワタシに名をつけてくれたわけではないので、他に適当な名がないのです。

ワタシの手紙が、藤田先生が「先生」である事の支えとなっていたなら、これほど嬉しいことはありません。

先生に手紙を出そうと思ったのは、5月のはじめごろ、生物室から時折ぼんやりとこちらの裏山を眺めている先生の様子が、妙に気になったからです。虚ろ、というか、何かを諦めてしまったような、そういった目をしていました。

ワタシのような名もない怪しいモノが書いた手紙など、悪戯だと一笑されて捨てられるだけかも知れない、と思っていました。現に何度か同じことを他の似たような目をした先生にしましたけど、返事はありませんでした。

けれど、藤田先生は、お返事をくれました。自分の手紙にお返事が来るのはこんなに楽しいことなのか。自分の知らない、学校のお話がありありと伝わってくる先生のお手紙は、ワタシにとっても心の慰めでありました。

長々と自分のことを語ってしまいましたが、藤田先生がこれから、「先生」でない自分自身を見つけ、幸せな人生を送ってくれることを祈っております。

先生より


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チョウゲンボウは最近都市部でも見られるようになった隼ですね。
あと、この小説はフィクションで、実在の人物や学校とは一切関係ありませんので、念のため(とらつぐみ・鵺)