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日記:3月9日啓蟄、梅のお花見(小説)


今日は暦の上では「啓蟄」と呼ばれる日らしい。

外が暖かくなり、虫たちが土の中から出てきて羽を伸ばし、活動を始める日、という意味らしい。冷たく狭い地中から温かく広い外の世界へ。

実際はもう少し暖かい日が続かないと虫は活動し始めないらしいけど、今日くらい暖かい日は、そういう風に表現したくなるのもわかる。


それはそうと、今日は久々に、高校を卒業して以来だから3年ぶりに望に会った。望が今一人暮らしをしている隣町のS市まで、地下鉄に乗って会いに行った。

彼女とは小学校が一緒で、中学校は違ったけど、高校はまた一緒だった。同じクラスになったことはそんなに多くないけど、学校からの帰り道や図書館で会ったら話をするし、お互いの家に行ったこともある。

今日彼女と過ごした時間は楽しかった。でも、楽しい記憶ほどすぐに薄れてしまう。もう明日になったら、その時感じたことの半分は、忘れているかもしれない。だからこうやって日記に残しておく。

本当は日記というのは毎日書くものなんだろうけど、まるまる1年ぐらい何も書かずにいた。授業や課題、サークル活動や就職活動とか、日記よりも優先しなきゃいけないことがたくさんあった。

私はマルチタスクが苦手だ。やらなきゃいけないことが大量にあると、それだけで気が滅入ってくる。

でもこうしてキーボードを叩いてみると、自分が今向き合わないといけない感情がはっきりして、心が落ち着く感じがする。



望はこういうことしなくても、自分のやるべきことを理解できている、そういうタイプの人間だろうな。彼女が何かうじうじ悩んでる様子を見たことはないし、竹を割ったような、何でもはっきりした彼女の性格が私は好きだ。

私と彼女は共通点がさほど多いわけでもない。

望は背が高い。私は平均ぐらいの身長だ。

小学生の頃の彼女は、ショートカットの髪に長身、来ている服も男の子向けのもの(本人曰く「女子用はサイズがない」らしい)だったから、度々男の子に間違われていた。

望は地域の剣道クラブに入っていて、中学の大会では結構いいところまで行っていた。私は万年帰宅部で、スポーツとは縁遠い人生を送ってきた。

小学校の頃の彼女は学級委員をしていて、中学校の頃は生徒会の仕事をしていた、らしい。何でもはっきり言う性格だから彼女の悪口を言う人もいたけれど、特に気にする様子はなかった(私なら悪口を言われたら一週間は落ち込む)。

ただはっきりとした共通点はある。高校の時は、一緒に図書委員をやっていた。

委員会、といっても昼休みに本を読みながら図書室のカウンターで過ごす、という活動くらいのものだったけど、好きな本の話や授業の話、他愛もない情報交換をする時間は十分あった。

望はミステリが好きだと言っていた。

実家にあった怪人二十面相シリーズを貸したらすごく喜んでくれた。家でこういう本を読んでると親に顔を顰められるから、と言い、放課後わざわざ図書館に来て読んでいた。

血飛沫が飛ぶスプラッタ系の映画も好きで、映画館まで一緒に見に行ったこともある。

授業が午前で終わった日に、バスに乗って片道40分、最寄りの映画館(隣町のイオンシネマ)まで見に行った。タイトルもストーリーも忘れてしまったけど、帰りのバスで、特殊メイクや衣装がすごいと興奮した様子で語っていたことを今でも覚えている。

私たちの通っていた高校の周りには、娯楽らしきものが何もなかった。

国道沿いまで出ればゲームセンターとマクドナルドはあったかな。あとは駅の近くにあったコンビニ。周辺地域にあるほぼ唯一と言っていい高校だから、電車やバスで遠くから登下校する生徒がよくたむろしていた。

だから、というわけではないだろうけど、同級生は皆、部活動に熱心に取り組んでいた。特に運動部は強豪と言われていて、剣道部なんかは全国大会出場の常連だった。

でも、望は中学卒業と同時に剣道をやめていて、帰宅部の私と一緒に、図書室で自習したり駄弁ったりしながら放課後を過ごしていた。

一つ下の彼女の弟は中学・高校と剣道を続けていたけれど、彼女の方は両親からストップがかかったらしい。医者のストップ、というのは聞いたことがあったけど、親のストップは聞いたことがなくて、私は無邪気に、彼女に理由を尋ねた。

「うーん特に理由はないんじゃない? 勉強に支障が的なことを言ってたけど、それだったら弟も辞めさせるだろうし」

「あっでも、じいちゃんが『これ以上男勝りになってどうするんだ』って言ってたし、そういうことかもね」

映画の衣装作りの裏側を描いた本をパラパラとめくりながら、彼女はいつものサッパリとした調子で、こともなげに言っていた。

でも、自分が好きなこと、夢中になってやっていることをよくわからない理由で辞めさせられて、平然としていられる人などいるのだろうか。

私たちが通っていた高校の制服は、男子が詰襟で女子がセーラー服という、今どき珍しい、というか古臭いものだった。背が高くて、その分肩幅が広くがっちりした骨格だった望は、セーラー服を着ると少し窮屈そうに見えた。



在学中はそんな風に結構長い時間を一緒に過ごしていたのに、高校を卒業して一人暮らしを始めて以来、望とは会ってなかった。私は浪花大、望は県内の大学に進学し離れてしまったし、例の疫病もあり、リアルでは会っていなかった。

けれど先月末、何かの弾みで望が「今S市に住んでいる」と聞いて驚いた。浪花大のある市の隣町だ。何故そこにいるのかはわからないけど、彼女が近くに住んでいるというだけでちょっと嬉しかった。


地下鉄の改札前で待ち合わせをして、駅構内にあるサブウェイでサンドイッチを買い、徒歩10分ほどのところにある公園まで散歩した。正午過ぎの一番暖かい時間、日向だとコートを脱ぎたくなるくらい暖かい。日差しに誘われて、公園には多くの人がやってきていた。

「この公園、今梅が見頃なんだよね。今日はなんかイベントやってるみたいで人多いけど、平日はそんなに混んでなくてゆっくり見れていいんだ」

そういう望は、薄桃色のブラウスの上に、栗色のテーラードジャケットを羽織っていた。素敵な服、と思わず私が言うと、彼女は照れたように頭をかいた。

「これ、実はわたしがデザインしたんだよね。わたしのサイズに合ういい服がなくて……」

「マジで!?」

「うん。専門学校で服飾の勉強してて、卒業制作? みたいなので作ったうちの一つ。伸縮性が高い生地で疲れにくくて、ポケットもいっぱいついてて機能的、みたいな」

望は大学を辞めて、公園のすぐ近くにある専門学校に入学したという。今年卒業で、もう就職先も決まっているらしい。人生の展開があまりに早い。

「学校の講師の先生でね、一人ちょっと変わった人がいて……授業日数が足りてないのに『今日は梅を見に行きましょう』とか急に言い出して、この公園に連れ出されたりして」

公園には確かに梅がたくさん咲いていて、授業を放り出しても見たくなるわな、という景色だった。梅というとなんとなくピンク、というイメージだったが、赤、白、黄色、ピンクはピンクでも花びらが多いタイプ、花が小さいタイプなど、様々な「梅」があった。

梅の匂いに誘われて、メジロやヒヨドリといった野鳥の姿もあった。メジロの細やかで絶え間ないさえずり。ヒヨドリのかしましい声。春の穏やかな日差しの中、視覚、嗅覚、聴覚とあらゆる感覚が満たされる。

私と望はその中を歩きながら、他愛もない話をしていた。この春に引退したサークルの話をしていた気もする。望が専門学校で出会った変な学生の話をしていたかもしれない(もうすでに何を話したか覚えていないくらい、他愛もない話だった)。

望は、高校の頃に比べて話し方や表情が柔らかくなっていた気がする。サッパリした性格なのは変わりないけど、自分が嫌な目にあってもこともなげな顔をする、そういう硬さは今の彼女にはなかった。

ベンチに座ってサブウェイのBLTサンドをかじった瞬間、ソースがこぼれ出てジャケットにかかっても、高校の頃の彼女なら何事もなかったかのようにウエットティッシュで拭いていただろう。

でも今日の彼女は、眉を歪ませ、両腕を広げてジャケットが汚れた悲しみを表現した後、渋々と言った感じでウエットティッシュを取り出した。

窮屈な地元を出てS市に来たことが、「地元の大学を出て地元に就職」というコースを外れて専門学校に入ったことが、彼女を変えたのだろうか。

いや、案外、最近ミステリやホラー以外にもコメディも読み始めたとか、そういう些細なことが原因なのかもしれない。私が知らないだけで、彼女は元々表情豊かな人なのかもしれない。

でも一つ、確実に言えることがあるとすれば――サイズの合わないセーラー服を着ていた頃の彼女より、自分にピッタリ合う、自分でデザインしたジャケットを着ている今の彼女の方が、のびのびしていて、ずっと幸せそうだ。


サンドイッチを食べ終わった頃、急に空が曇り始めて寒くなったので、私たちは駅前に戻り、カフェで小一時間おしゃべりをしてから解散した。

地下鉄に数駅乗って帰るだけなのに、望はわざわざ改札前まで見送ってくれた。構内でこのあたりでは有名だという和菓子屋のいちご大福が売っていたので、勧められるままに買って帰った。いちごが大きくて甘く、とても美味しかった。


S市にもイオンがある。4D作品も上映している、このあたりで一番大きいイオンシネマがある。帰り際、4月から公開予定のコメディ映画をそこで一緒に観る約束をした。

就活があるので髪色を変えたりネイルはあんまりできないけど、今度会うときは、もう少しおしゃれして行こうかな。



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近所の空き地、しばらく見ないうちにナズナとホトケノザが一面に咲いててちょっと嬉しかったです。春は一番好きな季節かもしれません。虫と花粉が多いのは許さん(とらつぐみ・鵺)