ラーメンは「おかず」なのだろうか?(エッセイ)
皆さんは、中華料理店などで「ラーメンライス定食」というものを注文したことはあるだろうか。
私はない。ラーメンがあればそれで十分だし、ラーメンと白ご飯という組み合わせはあまりピンとこない。
だから、「ラーメンを食べに行ったときは必ずライスを頼む」という人の話を聞いて、驚いた。
その人曰く、「ラーメンだけじゃ足りないからご飯も」というのではなく、「ラーメンをおかずに白ごはんを食べる」ということだった。
ラーメンライス定食をよく頼む人にとっては「何を今更」という話かもしれないが、私には何故かその発想がなかった。
それは必ずしも「ラーメンとご飯、そんなに食べられない」からというわけではない。お腹が空いている時はラーメンとチャーハンやチャーシュー丼、味ご飯を食べることもある。
どちらかというと「ラーメンをアテに白米を食べる」という行為が私にとって当たり前ではない、という言い方が正しいかもしれない。
というわけでこの記事では、私自身の「食べる」という行為、特に「白米とおかずをどう食べるか」という話を書いていきたいと思う。
食べ物の好みや食習慣は、自身にとっては至極当たり前のことであっても、他人には理解してもらえないことは往々にしてある。
あるいは「当たり前」だと思って他人にもそのあり方を押し付けて、相手を不快な気持ちにさせてしまうこともある。
↑一時期Twitterで燃え盛っていた「コロッケはおかずになるのか」論争
そのため、以降の内容は私自身の食習慣を正当化するために書いているのではない、ということを断っておきたい。
私自身にとって「当たり前」の食習慣を細かく分解、言語化してみる、というのがこのエッセイの真の目的だ。
これを読んだ人が、「自分と似た考えを持つ人間はいるんだ」「こんな考えの人間もいるんだ」という共感や新たな気づきを得られたなら幸いだ。
おかずと白米、どう食べる?
ラーメンライス定食は少し特殊な状況ではあるので、まずは普通に「ご飯と主菜(おかず)、副菜などがある場合」で考えてみる。
例えばこういうメニューが食事に出た場合。私なら一番メインの焼き魚をまず食べる。魚に飽きたら副菜のおひたしや冷奴を食べ、味噌汁を飲み、ご飯を食べる。
でもこれは食べ方の一つに過ぎなくて、「ご飯と魚は一緒に食べるでしょ」とか「全部順番に食べていく」とか、人それぞれ色々答えがあるだろう。
ところで、和食に関しては「ご飯とおかずは一緒に食べるのが正解で、一種類だけ食べるのは行儀が悪い」という話を聞いたことがある。
思い出すと小学校のころ「三角食べ」なるものが推奨されていた記憶がある。この定食なら「魚→ご飯→味噌汁→おひたし→冷奴→魚」の順が「正しい」とされるのだろうか。
↑Wikipediaにも載っている。現在は文部科学省の指導要領に「ご飯とおかずは交互に食べなさい」という文言はないらしい。
ただ、三角食べは実際やってみたこともあるが、口の中で味が混ざるので正直なところあまり好みではない。
イラストの定食なら魚→ご飯まだいいだろうがおひたし→冷奴→魚の流れは「別々に食べたらいいじゃん」という気がする。
例えばこういう和洋折衷のご飯ならどうだろう?手前の二つ(生ハムサラダとグラタン)は先か後に回して後ろのおかずとご飯で三角食べをして....…と考えるのだろうか。
...…正直、面倒くさくない?
好きなものを好きな順番で食べていく方が、ご飯とおかずのバランスを考えながら食べるよりも楽だし、それぞれのおかずの味に集中できるのでは、と思ってしまう。
そもそもの話だが、「ご飯とおかずを交互に食べる」ということを「ルール」にしてしまうと、「ご飯を消費するためにおかずを食べる」感が出るのが好きではない。
ご飯に合うおかず・合わないおかずというのは(個人の味覚として)ある程度存在しているのはわかるが、「このおかずはご飯に合わないから別のおかずを作らなきゃ」となるのはよくわからない。
先述のコロッケ論争ではないが、「コロッケはご飯に合わない」と仮に思うなら、先にコロッケを食べたいだけ食べて、あとでふりかけご飯を食べればいい。
コロッケが「主菜」ならそれをメインで味わいたいので、ご飯とのバランスとか他のことは正直どうでもいい。私の中ではご飯が「主」でコロッケが「従」なのではなく、どっちも「主」だからだ。
白米×炭水化物
さて、ここまで基本的な私の食の好みについて書いた上で、ラーメンライス定食について考えていきたい。
まず、先程も述べたように「メイン」となるものがあるならば無理にご飯と合わせることはない、というのが私の好みだ。
だから、ラーメンを「メイン」として食べるなら、「それをおかずにご飯を食べよう」とは思わない。同様に、お好み焼きや焼きそば、うどんを白ごはんに合わせることはない。
一方で、ラーメンとチャーハンやチャーシュー丼は、それぞれが別のものとして皿の中で完結しているのでお腹に空きがあれば食べることに抵抗はない。
同様に、セルフでおかずを取るタイプのチェーンのうどん屋でうどんとおにぎりを同時に食べることもある。
そう考えると、「炭水化物×炭水化物」という組み合わせは、自分の中で「別物判定されたら意外とあり」だということに気づく。
ただし「別物であればok」というのにも例外はあって、例えばパスタの余ったソースをパンにつけて食べる時。
よく考えたらやっていることは「ラーメンのスープでご飯を食べる」と一緒だが、「パンを食べるためにパスタを食べている」とは感じないからかもしれない。
「当たり前」ではなくて「好み」として
ここまで、私の白ごはんの食べ方について色々書いてきた。
色々書いた末に思うのが「食べ方に正解なんてないし、同じご飯でもみんな食べ方が違っているからこそ面白い」のでは、ということだ。
ご飯の食べ方に関して色々論争が起こる、ということ自体、人それぞれ食べ方の多様性があることを証明しているように思う。
「マナー」「正しい食べ方」というものが例えあったとしても、皆がその食べ方を完璧に守ることはないし、その必要もない。
問題なのは、自分の「好み」を「当たり前」として他人の食べ方を否定したり、自分の食べ方を押し付けたりすることの方だろう。
その考えに陥らないためには、まずは自分の「当たり前」を一つの「好み」だと相対化して考え、また相手の好みも理解しようとすることが必要なのかもしれない。
例えばこんな風に自分の好みを開示して、身近な人に自分の好みを知ってもらい、相手の好みを知る、というのもいいかもしれない。
例えばこんな風に↓
みなさんも自分の食べ物の「好み」について、言語化してみてはどうだろうか。
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